みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

信じない人、信じない人

2017年08月09日 | ヨハネの福音書

ヨハネの福音書 10章31−42節

 久しぶりに近くの公園を歩きました。「♫ 小さい秋みつけた」という歌のとおりに、ある樹木の葉はいくぶん色づいていました。気温もそれほど高くない中でいただいたアイスクリーム。もう少し暑い中で食べたいというのは贅沢なことですよね。

 「わたしと父とは一つです」というイエスのことばを聞いたユダヤ人たちは、神を冒瀆しているという理由で、イエスを石打ちにしようとしました。「どの良いわざのために、わたしを石打ちにするのか」というイエスの問いにユダヤ人たちは答えました。

 「良いわざのためにではなくて、冒瀆のため」だと答えるユダヤ人たちには、「人間でありながら自分を神とする」イエスが理解できません。しかしそれは、理解できるようにするためのイエスの努力が足りないということでは決してありません。このような態度を持つならば、どのような良いわざをイエスが行ったとしても、到底イエスを神だと信じることはできないのです。

ここでイエスは、ご自分を信じるようにと促しています。そのためにイエスは、大きなわざを行ってこられたのです。一方でイエスを信じる人々もありました。ヨルダン川東岸の地に住む人々の多くはイエスを信じたのです。

 何が「信じる」と「信じない」を分けるのだろうかと考えました。イエスが人々をアッと言わせるようなわざ(しるしとしての奇蹟)をもっともっとたくさんなされば、信じるようになるのかというと、違うように思えるのです。信じた者にとってイエスのわざは、イエスを神の子、神と一つであるということを証しするものでしたが、信じようとしない人にとっては素晴らしいわざさえも妨げになります。

 私はなぜイエスを信じたのだろうかということを、思い起こさせる箇所ですね。

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