みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

たとい…

2016年10月17日 | ヨブ記

ヨブ記 9章1−20節

 金曜日の読むべき箇所を飛ばしてしまったために、金曜日には土曜日の箇所を、土曜日には日曜日の箇所を取り上げてしまいました。「あれっ?」と思った方もおられたでしょう。おわびいたします。😓

 金曜日から日曜日までの修養会は、こぢんまりとしていましたが、日本やイスラエルから参加なさる方もいて、しかも、初めて会った方に共通のお友だちがいることがわかるなど、不思議な出会いの場所ともなりました。二日目の午後には小川のほとり、そして森の中をみんなで歩き、その後は美味しくて大きなケーキとお茶を楽しみました。そこは、日本にも多くの宣教師を送り出している宣教団体の運営するカフェでした。すてきな時を過ごすことができました。

 二人目の友人のビルダデに対するヨブの答えが、9、10章です。ヨブは、「神に訴える」「神と言い争おうと思う」「神に答える」「神とことばを交わす」などと神と自分とのやりとりについてのことばを語っています。ここで、ヨブは神に「このようなひどい目に遭っているのは私が罪を犯したからではない」「私は潔白だ」と神に訴えたいと願っています。けれども、もしそのようなことができるようになったとしたら、自分はきっと打ち負かされてしまうに違いないと考えているのです。

 心に留めたのは、ヨブが繰り返し用いている「たとい…」ということば。

  たとい神と言い争おうと思っても、千に一つも答えられまい(3節)
  たとい神が私のそばを通り過ぎても、私には見えない(11節)
  たとい、私が正しくても、神に答えることはできない(15節)
  たとい、私が呼び、私に答えてくださったとしても、神が私の声に耳を傾けられたとは、信じられない(16節)
  たとい私が正しくても、…たとい私が潔白でも…(20節)

 自分の潔白を主張しようとしても、神に打ち負かされてしまうのでは…とヨブは恐れています。誰か私が潔白だということを神の前に弁明してくれないだろうか、という思いが彼の心の中に募っていくきっかけの箇所に思えます。

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