みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

生かし育てた方を捨て

2017年09月13日 | エゼキエル書

エゼキエル書 16章1−29節

 夕方、買い物を兼ねて散歩に出かけましたが、帰り道夕立に遭いました。雹(ひょう)混じりの激しい雨に見舞われましたが、バス停の屋根の下でしばし休息。濡れましたが無事に帰宅できました。出かけたばかりの時には、こんなに青空が広がっていたのですが…。

 16章前半を読み、神がイスラエルの民を深く愛しておられることを覚えました。3節の「あなたの起こりと、あなたの生まれはカナン人の地である。あなたの父はエモリ人、あなたの母はヘテ人であった」というのは、イスラエルの起源についてというよりは、誇れる何かがあったので神が彼らを選ばれたのではなくて、罪に染まった者たちであったのに…、ということを表わしているように思えます。

 生まれてはみたものの、誰も世話をするもののないみどりごの惨めさが、4−5節からは伝わってきます。そんな赤子に何度も「生きよ」と言い、育て上げたのがわたしだと、神はおっしゃるのです。さらに神は、イスラエルを美しく装わせたのもわたしだと続けます。「みことばの光」が書くように、ソロモン時代の栄華を思わせます。

 しかし、美しく装った彼女(イスラエル)は、それがすべて神によるものであるのをどこかにやって、神々のところに走っていったということが15節以降に続きます。ここで神とイスラエルとの関係は夫と妻だと言われていますが、ある部分では育ての親と娘というようにも思えます。

 どちらにしても、「ここまでしたのにどうして!」との神の悔しさがにじみ出るような箇所です。


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