みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

水を飲ませてください

2017年07月15日 | ヨハネの福音書

ヨハネの福音書 4章1−15節

 金曜日は、同労のご夫妻を訪ねてお昼をいただきました。家並みが途切れる所に建つ家には広い庭があり、大きなサクランボの木の下でランチ。吹き抜ける風が心地よかったです。空の広さを存分に楽しみました。

 この箇所は、「サマリヤの女との出会い」として知られています。

 蛇口からきれいな水がいつでも流れるということがない所では、今でも水汲みは大変な仕事。サマリヤのスカル(シカル)にあった井戸に一人の女が水を汲みに来て、そこで休んでいたイエスに会って…という出来事です。

 「サマリヤを通って行かなければならなかった」と4節にあります。9節には「ユダヤ人はサマリヤ人とつき合いをしなかった」ともあります。ユダヤ人とサマリヤ人の対立の発端は、紀元前722年、北王国イスラエルがアッシリヤによって滅ぼされたことにありました。征服したアッシリヤは、イスラエルに他国人を送り込みました。その結果、イスラエルの民と他国人とが結婚することとなったのです。血統的な純潔を重視するユダヤ人は、サマリヤ人をエルサレムの宮に受け入れなかったのです。するとサマリヤ人は、ゲリジム山に自分たちの神殿を建てて対立の溝が深まって、イエスの時代にまで至っていたということなのです。

 しかし主イエスは、「サマリヤを通って行かなければならなかった」のです。それほど急いでいたとか、イエスはそのようなことにはこだわらなかったとかの理由の他に、この一人の女に会うためだったと説く人もいます。そのように考えると、彼女のすべてを知る主イエスは、彼女を井戸の所で待ち構えていたということになります。この福音書では、人のすべてを知るメシヤであるイエスのお姿が浮き彫りにされています。しかも、水を汲みに来た女に「水を飲ませてください」と願うのです。

 すべてを知るイエスが、私の生活の場で待っておられるのだということなのです。そのようなことがありますね。


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