目指せ!ツール・ド・モンブラン。

フランス・イタリア・スイスを巡る旅「ウルトラトレイル・ド・モンブラン」UTMB他大会やハワイトレイル、国内のラン旅など。

UTMB完走記~なさん01~ ウルトラトレイル・ド・モンブラン2011

2011-09-20 | →UTMB & CCC体験記
2011年度大会のUTMBは2010年度を思わせるような天候不順で幕開け、

5時間遅らせてのスタートとなった。

その中からUTMB本戦に出場したなさんの完走記をご紹介します。

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なさんの登山歴・トレラン歴・レース歴(年数と主な大会名)を教えて下さい
トレラン歴3年、マラソン歴4年です。
2008 Davos alpine marathon 78K(Swiss)
2009 Davos alpine marathon 78K(Swiss),CCC,CTSシリーズ(UK)
2010 Davos alpine marathon 78K(Swiss),TDS(中止の為やり直しUTMB),Classic Quarter(グレートブリテン島最南端から最西端まで走るトレイルレースですUK),Beacons Ultra(UK), CTSシリーズ(UK)
2011 Country to capital(UK)


なさんがUTMBに出場した「きっかけ」を教えて下さい
2007年6月、10日間かけて、ツールドモンブランをトレッキング。
その時、スイス人リーダーにこの大会の存在を教えてもらいました。




2011年のUTMB、前半の悪天候はフィジカルやメンタルのパフォーマンスに影響しましたか?
スタート5時間遅延により、睡魔が序盤のBalme小屋できてしまいました。


レース前立てた予想と、実際のレースでの走りは異なりましたか?
・レース前の予想
35時間前後
・実際のレース
36時間25分12秒。距離、獲得高度ともに増えたのでin lineです。


海外レース経験が豊富かと思います。その経験はUTMBで役に立ったと思いますか?
時間変更はよくあります。また、全くコースマークがなく、地図を渡されるのみのレースもあります。
よって、レース中に時間変更、関門時間変更、コース変更があっても臨機応変に対応できるようになったと思います。
何がおきても平常心ですね。
そして、辛そうにしている人には必ず声をかけるようになりました。
私も何度も声をかけられ救われましたので。
あとは、泥んこレースです。
UKのレースは標高こそないものの靴を泥の中に忘れるくらいはまるレースが多いです。
昨年のやり直しUTMBはその経験が生きました。


2010.10 National Three Peaks Challenge (UK)にて


デポポイントのクールマイヨール(78K)どのように利用しましたか?
補給食補充、濡れたジャケット交換、着替え(Tシャツ、靴下、靴-二足、雨用と晴れ用を準備)、
食事(パスタ、スープ、水)とハイドレーションパックに水補給。最後にトイレです。
その間、日本人ランナーの方と会話。合計60分程度でした。


レース中、まわりの選手との具体的なエピソードがあれば教えてください。
Arete Mont Favreを目指すトレイルで譲ると、
俺に「ついてこい」とけしかけるフランス人がいて引っ張ってもらいました。
また、2010年のやり直し(reprise)UTMBですが、フランス人のJさんに引っ張ってもらいました。

そのエピソードは、「チームパリマラソン」MLの完走記の一部を抜粋します。
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2010年reprise UTMB(クールマイヨール~シャモニー) の回想録
「チームパリマラソン」メーリングリストより

この時点(Champex)でもう走る力はほとんど残っていなかった。あと3つ峠があるのに。。

まずBovine(1987m)。2010年の私のハイライト!
次第に歩けなくなる。
日本人のJ(Junさんです)さん達にパスされる時、心配されるも、今の自分は歩いて休んでの繰り返ししか出来ない。
終始、つらい時は楽しもうと自分を鼓舞するも、この時ばかりは効果なし。
次第に休憩時間のほうが長くなる。この山を降りたら棄権しようと決断する。

その時、50歳位だろうか、フランス人のJさん登場。
彼が、今回私にとっての恩人であることは間違いない。

止まっている私を激しく叱責。
無理と答えても、俺について来いと聞く耳を持たず、その時の私に無理難題を押し付ける。
その時、頭にきたのが良かったのだろう。

うるさい、このじじぃ!と思いながらもなんとか怒りながら歩く。
「ポレポレだ!」、「絶対止まるな!」「おい、離れるな、Naoto!!!」を連呼。
彼に引っ張ってもらううちに身体が動き出す。
※ポレポレ スワヒリ語でゆっくりの意味

そこからは、いろんなことを教わった。
山の走り方、足の置き方、UTMBを何度も完走していることや、キリマンジャロの話、家族の話などなど。
そうこうしているうちに、峠に到着する。
そこからの下りは、彼の神がかったストックワークにほれぼれしながら、技術を学ぼうと思い必死についていく。
山を降りても、俺について来いというので、行けるところまでついて行こうと思った。

彼をみていると応援やボランティアに感謝しながら、時には辛そうなランナーを励まし、
本当にレースを楽しんでいるようだった。
そうしているうちに、Trient(標高1300m)のエイドが見えてくる。
その途中、「おいNaoto、ちょと待て!」と私を止め、「妻と母と弟と家族だ!」と自分の家族を紹介し始める。
私のことも紹介してくれて、写真を撮る。

「俺には、ジェルもチョコレートもいらない。家族が何よりも一番のエネルギーだ。
すべてのエイドで家族が待ってくれている。そして、当然ゴールにもだ!どうだ、ビューティフルストーリーだろ!」
とウインクする。

彼に出会えたことで、このレースに対峙する時の心構えが少し見えてきた気がした。

と、感傷に浸っている暇もなく、「休憩は5分だ!」と相変わらず手厳しい。
私がもたついている間、エイドで応援している人達を盛り上げている。
棄権することをすっかり忘れCatogne(2027m)に二人で向かう。
が、さすがに、彼の登りにはもうついていけない。

「先に行ってくれ!教えてくれたころは必ず守る。絶対、止まらない!休まない!」といい、
何度も頭をふる彼も、ようやく納得したようで、「ゴールで待っているぞ!」といい、暗闇に消えていく。

ペースは遅いが、確実に登っていく。
どれくらい時間が経ったのかわからないが、満点の星空が近付いて来た。そろそろ頂上だ。
とそこに、Jさんが待ってくれていた!
「よし、一緒に行くぞ!」と言ってくれ、Vallorcine(1260m)まで二人で走る。
が、足の痛み、霧、ぬかるみ状態の下りでさすがにMAXで走れない。
それでも進んでいると、彼が「Naotoもっと走りたいか?」と尋ねてくる。
私は、もう少しいけると答えると、先に行けと言う。調子が悪いのか。

結局、その後彼には会えなかった。
しかしVallorcineのエイドで彼の家族に聞いたところ元気にエイドを通過したとのことだった。

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※ルートマップはUTMB公式サイトからのものです。
※画像はなさん提供のものです。


・関連情報
UTMB完走記~なさん02~

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