空蝉ノ詩

蝉は鳴く。地上に生きる時間は儚く短い。それでも蝉は生きていると。力の限り鳴き叫ぶ。私も今日、力の限り生きてみようか。

69編 “人生の短さ”と老人介護

2017-07-14 12:23:31 | 読書ノート
“人生の短さ”と老人介護
 セネカ著、茂手木元蔵訳『人生の短さについて』岩波文庫

(1)
哲学者ハイデガーは、
「今此処に生きている」
自分とは一体何者なのか。

生きているかどうか意識しようが意識しまいが、
自分はこうしていま「存在」している事実は否定することができない。
その「存在」は、“いま(現在)”という「時間」に在る。
ハイデガーは「存在」と「時間」という二つのキーワードから
人生について内なる対話を展開。

ハイデガーと同じく、
セネカも、人生において「時間」のもつ意味が如何に重要であるか、
書物『人生の短さについて』を通し後世に遺している。
今回はセネカの思想から
人生の短さと老人介護との関連づけながら
「読書ノート」を書いていくとしよう。


喉頭癌により人生にピリオドを打った
作家高見順の詩集『死の淵より』のなかに、
ある詩の一節を思い出した。
指のすきまから砂がこぼれるように時間が流れていく
(blogのなかで何度か引用した)、
普段私たちは時間に対しては無頓着であり、
時間は永遠に在るものとして意識することもなく過ごしているのではないだろうか。
介護施設でよく介護者は
「忙しくて時間がない」とつい口にしがちである。
よくよく考えてみると
「時間がない」のは、
介護者ではなく死期が迫っている老人の方である。

その「時間」というものについて、
私たち介護者はどう捉えなければならないのか。
自分自身の人生の在り方そのものを考え直し、
セネカが語っている「人生の短さ」とは何を意味するのか、
探っていきたい。
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