空蝉ノ詩

蝉は鳴く。地上に生きる時間は儚く短い。それでも蝉は生きていると。力の限り鳴き叫ぶ。私も今日、力の限り生きてみようか。

59編 北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(3)

2017-07-11 07:49:40 | 読書ノート

北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(3)

編集委員 大岡信 大谷藤郎 加賀乙彦 鶴見俊輔『ハンセン文学全集』1(小説)皓星社:北條民雄「いのちの初夜」3~28頁

(3)
重病者に献身的に尽くしている佐柄木の姿を目の当たりにしながら、
尾田は彼に親しみと同時に嫌悪を感じながら、
病室から飛び出し、病院の裏にある松林へ這入った。
枝に巻き着けた帯に首を引っ掛け死のうとする。
歩く人の足音が聞こえてきたので、
あわてて帯から首を引っ込めようとしたとたんに、
穿いていた下駄がひっくり返り危く死に損なった。
「尾田さん」と「不意に呼ぶ佐柄木の声に尾田はどきんと一つ大きな鼓動」を打ち、
危険く転びそうになる体を支えた。
佐柄木は、「死んではいけない」と咎めることもなく
「僕、失礼ですけど、すっかり見ましたよ」
「・・・・やっぱり死に切れないらしですね。ははは」(16頁)、
「止める気がしませんでしたのでじっと見ていました」(17頁)。

続けて佐柄木は優しさを含めた声で彼に話かける。
「尾田さん、僕には、あなたの気持ちがよく解る気がします。
・・・・僕がここへ来たのは五年前です。
五年前のその時の僕の気持ちを、
いや、それ以上の苦悩を、あなたは今味っていられるのです。
ほんとうにあなたの気持、よく解ります。
でも、尾田さん、きっと生きられますよ。
きっと生きる道はありますよ。
どこまで行っても人生には抜路があると思ふのです。
もっともっと自己に対して、自らの生命に謙虚になりませう」(17頁)。

彼は尾田に「癩病に成り切ること」で「生きる道」が見つかると励ましながら、
佐柄木は重病者の介護に当たるのであった。
ここでもまた佐柄木の介護から学ぶのである(筆者自身が)。

「じょうべんがしたい」と訴える重病者の訴えに、
佐柄木は「小便だな、よしよし。
便所へ行くか、シービンにするか、どっちがいいんだ」と問いかけるのである
彼の言葉(彼の排泄ケア)から、あなたは何を感じましたか。
重病者は両膝の下は足がなく、歩くことができないこともあり、
「しょうべんがしたい」と患者から訴えられたら、
何も考えずに当然の如く尿瓶をもっていき排泄介助を行なうのが普通である。
佐柄木は相手に「便所へ行くか、シービンにするか、どっちがいいんだ」と選択肢を与え自己決定を促していることである。
援助とは何か、援助のあり方について、佐柄木を通して北條民雄は教えてくれている。
「佐柄木は馴れ切った調子で男を背負ひ、廊下へ出て行った。
背後から見ると、負はれた男は二本とも足が無く、膝小僧のあたりに繃帯らしい白いものが覗いていた」(18頁)。
「なんといふもの凄い世界だろう」。
この中で佐柄木をはじめ多くの癩病者が「生きるといふのだ」と尾田は胸に掌をあて、
「何もかも奪はれてしまって、
唯一つ、生命だけが取り残されたのだった」(18頁)と感じるのであった
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