進む道 2007 うさぎとオカメな生活 永遠へ

2007年~新たな旅立ち、選んだ道を信じ続け感謝の気持ちと笑顔を絶やさない家庭を望みながら前に・・・

初七日

2009-11-22 04:44:52 | Weblog
ずっとずっと苦しくて、会いたくて泣いていた日が多くて、昨日も泣いて
仕事してても反省点が多くてランに笑われてしまうね。

接客業、笑顔が一番、テキパキ、ハキハキ、理由なんてお客様には関係ない、
はずなんだけど、分ってはいるんだけど、出来なくて昨日はまじめに車置いて帰ろうかと思ってしまいました。

ランが日曜日に亡くなったのと同時に、いろんな動きがあり、前夫の引越し場所決定=掃除
私もそこで12年は暮らしていたので無視も出来ず水曜日の仕事休みの日は荷物の仕分けに追われる1日でした。


11月で自分で出て行くと大家さんに言ったのに、準備する気になったのがランの亡くなる前日で、次の日は私の両親と話し合いをしていました。

私も喧嘩してもなにも変らないので、新たな出発、その動きに付いて行こうと思いましたが、それも出来なくて、滞納分と次回移動の資金援助してもらってる手前
両親にも悪く、話もせず・・・

当の本人は相変わらずのへっちゃらでその態度がムッ!”とグッ!”と来て・・・
他人事の様に振舞う姿が気に入りませんでした。
借金する癖は私は直らないと思ったんで、返せる借金ならいいけれど・・・

ガスが止まるくらいなら新聞お休みするとか、いつまでも目先だけの楽しみで生きてはいけんよ!”


資金援助してくれたのは、大家さんと父の関係が遠い友達であり、連帯保証人であったから、
引越しの手伝いも、今まで世話になったから・・・と、人間の縁ってすごいです。
と、私も他人事にとでも思わなければおかしくなりそうで、これからそう思うようにします。


ランを亡くした悲しみと別物の苛立ち&悲しみも同時に込み上げて来て
心の中がずっと苦しかった。

そんな日が続いた1週間、仕事を終えて家るとランの居ない空気になじめないすーさんもいて、二人でウルウルの毎日でした。



悲しみと共に、いろんな事を考えなければいけなくて、今思えばもしかして
ランが僕の事ばかり考えて凹んだらダメ!”と騒動させてくれていたんかな?

風邪も抜け切らないのに中間痛になり、最後は唇に出来物で締めくくる

そんな事もあり、泣くばかりで落ち着いてランに手を合わせる時間すらなかった様な気もします。

初七日の昨日、写真がまだないので、選んでプリントしてくれました。
お花に囲まれて、お香の香りに包まれて・・・

ランを今まで応援してくれたお友達に本当に感謝しています。




そして・・・複雑な事書きましたが、最後の2年半は、オンリーランで愛してくれたすーさん。

「みんな連れて来い!」と、言ってくれた言葉が、どこだったか、どんな感じだったか鮮明に脳裏に焼きついています。

「ワシはよう分らんけん面倒は出来んが・・・」と言って迎え入れた日も覚えています。

喧嘩していろんな物が割れていく中、ランとミーを急いで連れ出して、ご飯も持って出てなくてすぐに迎えに来てくれた事も、覚えてるよ。

男組みだとランを抱いて、私とミーに「こんならはどーもならんの!”おっ!”?ラン!」と言っていた事もあったよね!

ん???誰がいなくなったん??・・・?


と、書くように、いつもセットになっていて、私が帰宅するといつもブラッシングでほわほわでした。

忘年会も喪中だと断ってくれてました。

面倒は見れないけど、と言っていたすーさんが、変り始めた時に、愛されてるランを見てて幸せ感じていました。
連れてきて迷惑かけたらどうしよう・・・と思っていたから

私に抱かれるよりもすーさんに抱かれる時の方が安心しきっていたランを見たときも、給餌や、圧迫排尿の時も力抜いていたのが私ではありませんでした。

8歳を越えてからは、ある程度のマニュアル思考で一緒にいましたが、人間でも同じく、体調が悪い日もあれば、そこそこの日もあり
調子の悪い時、強引に食べさせたり、量を守ったりは必死になりすぎて、本当に食べたいのかは見抜く事は出来なくて、たとえそう思っていたとしても、
もし、これ食べたら少しでも一緒にいれるのではないか、とか、

「頑張れ!強引作戦」でごめんねらんちゃん。

最後に食べさせたご飯は辛かった様で口の横から出て、飲み込めなくて苦しいから口あけたままだったよね!

書いていれば書くほど、まとまらない頭の中で

〆は???





らんちゃんありがとう







コメント
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