成り行きアラカルト日記

人生は成り行きでありますが、日日是好日と考えて、日々の出来事を凡人の視点でアドリブ的に記載したいと思っております。

北 杜夫氏が死去

2011-10-26 19:58:26 | 書物
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とぼけたユーモアに文明批評を織り込んだエッセー「どくとるマンボウ」シリーズで人気を博し、「楡(にれ)家の人びと」などの小説で知られる作家の北杜夫(きた・もりお、本名斎藤宗吉〈さいとう・そうきち〉)さんが、24日午前6時2分、腸閉塞(ちょうへいそく)のため東京都内の病院で死去した。84歳だった。通夜、葬儀は親族のみで行う。喪主は妻喜美子さん。故人の遺志でお別れ会などは開かない。

 27年、歌人斎藤茂吉の次男として東京に生まれた。母は、日本人女性で初めて南極を旅した斎藤輝子。精神科医でエッセイストの故・斎藤茂太さんは兄。娘の由香さんはエッセイスト。東北大医学部卒。慶応大病院助手を経て精神科医を務める一方、同人誌「文芸首都」を拠点に小説を発表した。

 60年、水産庁調査船の船医として南洋から欧州をめぐった体験に基づく「どくとるマンボウ航海記」がベストセラーになる。同年、ナチの精神障害者虐殺にささやかな反抗を試みる医師の姿を描いた「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞した。

 64年、脳病院を築いた祖父らをモデルに一家3代の興亡を活写した長編小説「楡家の人びと」(毎日出版文化賞)を刊行、三島由紀夫に「戦後に書かれたもっとも重要な小説の一つ」と絶賛される。他に「酔いどれ船」「輝ける碧(あお)き空の下で」(第2部で日本文学大賞)などで海を越えて生きる人間の原質を描き出した。短編にも秀作が多い。

 純文学と軽妙なエッセーを書き分ける執筆スタイルを遠藤周作らに先駆けて確立、「どくとるマンボウ青春記」は68年のベストセラーとなった。ユーモア小説では「船乗りクプクプの冒険」「さびしい王様」などが若い層に愛読された。

 96年に芸術院会員。父茂吉の評伝4部作が98年に完結し、大佛次郎賞を受賞した。

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 若い頃、好きな作家でしたね。独特のユーモアが何とも言えず。

 遠藤周作とのコンビでの対談なども面白かった。

 斉藤茂吉の次男として生まれて、精神科医になりましたが、40歳頃から、双極性障害(躁鬱病)で悩まれていたとか。

 軽そう状態でテレビ出演されていたこともありました。ああ、噂どおりに病気なんだ、本当なんだと思ったことを思い出します。

 躁状態で書かれた小説と、うつ状態で書かれた小説がはっきり分かれていたのでしょうか。

 個人的には、深刻な小説も好きでしたが、やはり、軽妙はユーモアたっぷりのエッセーが一番好きでした。

 ご冥福を祈ります。

 
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