会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 1568

2017-10-15 19:20:18 | Weblog
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最後の奈良見学旅行8  2014・8・27(水)

 途中でおくれて参加をゆるされたわたしは、独りでよくみるべきもの、もう一度見たいものがあって、道人に挨拶して室生寺川の道を、一足さきに急いで戻っていった。独りになったとき、悲壮な孤独感におそわれた。入営の間近さが一層、心をたかぶらせたのであろう。わたしはつぎのような和歌を詠んだ。

 青空にしきりに紅葉舞ひ上る秋のをはりの室生寺の川

 わが世には再びは見じ流れゆく室生寺川の瀬々の紅葉は

 もう一度聖林寺の十一面観音に逢いたくて訪れると、やさしい老僧がどうぞといってくれ、本堂に上がらせてもらった。すると、小さな蝋燭をともしてこもっている老母が合掌し、観音さまにしきりにつぶやいている。村の人々に日の丸を振って歓呼の声でおくられ、わたしも旗をふってわが子を見送ったが、どうかわが子が無事であるようお守り下さいと、涙ながらにいっている。これで三度目の召集であるという。仏さまが眼の前に在(いら)っしゃっているように、訥々と老母が語っているのだ。慈悲のまなざしで観音さまは蓮をかざしておられる。

 みほとけのみ手のはちすのいつしかも人の心に咲きてあれこそ

 こう願い、このように歌わずにはいられない想いに駆られて詠んだ一首である。
 わたしは三輪神社に詣でた。晩秋の木枯らしが三輪の御山を吹いていた。拝殿や古い神杉のあたりには人影はなく、白髪の老翁が長い箒で、しずかに掃ききよめている。しかし、夕日の射すあたりに、杉の古枝が丸い塊りになって、ばさっばさっと落ちてくる。それを意に介せぬように翁は落着いていて黙々と掃いている。その有様が何とも清浄で、たかぶっていたわたしの心は、はじめて落ちついていった。嬉しいような心定まる想いであった。

  みやしろのみ前しづかに掃く翁見つついつしか心定まる

  こがらしに杉の古枝落ちしきり翁黙々と掃き浄めゐる


 「わが世には再びは見じ・・・」と詠み「たかぶっていたわたしの心は、はじめて落ちついていった」と言う出征前の植田先生の心を想う。

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