会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 1403

2017-04-27 20:01:55 | Weblog
会津八一に関するブログ 318

観仏三昧(会津八一)第5首 2013・1・25(金)

 十九日室生寺に至らむとて桜井の聖林寺に十一面観音の端厳を拝す 旧知の老僧老いてなほあり   解説

  さく はな の とわ に にほへる みほとけ を    
         まもりて ひと の おい に けらし も
      
  (咲く花の永遠ににほへるみ仏を守りて人の老いにけらしも)

 聖林寺の十一面観音は素晴らしい。古寺巡礼(和辻哲郎)の「七 疲労――奈良博物館――聖林寺十一面観音」は必読! 
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会津八一 1402

2017-04-26 19:46:25 | Weblog
会津八一に関するブログ 317

観仏三昧(会津八一)第4首 2013・1・21(月)

 三月堂にて      解説

  びしやもん の おもき かかと に まろび ふす
       おに の もだえ も ちとせ へ に けむ 

    (毘沙門の重き踵にまろびふす鬼のもだえも千年経にけむ)

            
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会津八一 1401

2017-04-25 19:44:13 | Weblog
会津八一に関するブログ 316

「大和路」(堀辰雄)と會津八一13 2013・1・20(日)

 「古墳」の中で柿本人麻呂の挽歌を扱う。會津八一との関連はないが、愛する人がまだ山中に生きてさ迷っていると詠う人麻呂の歌が好きだ。
 「――自分のひそかに通っていた軽(かる)の村の愛人が急に死んだ後、或る日いたたまれないように、その軽の村に来てひとりで懊悩(おうのう)する、そのおりの挽歌でありますが、その長歌が「……軽(かる)の市にわが立ち聞けば、たまだすき畝傍(うねび)の山に鳴く鳥の声も聞えず。たまぼこの道行く人も、ひとりだに似るが行かねば、すべをなみ、妹(いも)が名呼びて袖ぞ振りつる」と終わると、それがこういう二首の反歌でおさめられてあります。

 秋山(あきやま)の黄葉(もみぢ)を茂しげみ迷まどはせる妹(いも)を求めむ山路(やまぢ)知らずも
 もみぢ葉ばの散りゆくなべにたまづさの使(つかひ)を見れば逢(あひ)し日思おもほゆ

 丁度、晩秋であったのでありましょう。彼がそうやって懊悩しながら、軽の村をさまよっていますと、おりから黄葉がしきりと散っております。ふと見上げてみると、山という山がすっかり美しく黄葉している。それらの山のなかに彼の愛人も葬られているのにちがいないが、それはどこいらであろうか。そんな山の奥ぶかくに、彼女がまだ生前とすこしも変らない姿で、なんだか道に迷ったような様子をしてさまよいつづけているような気もしてならない。だが、それが山のどこいらであるのか全然わからないのだ。


 私事だが、今日の早朝義姉のお母さんが94歳で亡くなられた。とてもお母さんを大事にした義姉にこの人麻呂の歌を捧げたい。
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会津八一 1400

2017-04-24 19:49:05 | Weblog
会津八一に関するブログ 315

「大和路」(堀辰雄)と会津八一12 2013・1・18(金)

 「十月二十六日、斑鳩の里にて」は続く。
 「僕は漸(ようや)く心がしずかになってから夢殿のなかへはいり、秘仏を拝し、そこを出ると、再び板がこいの傍をとおって、いかにも虔(つつ)ましげに、中宮寺の観音を拝しにいった。・・・・
 それから約三十分後には、僕は何か赫(かがや)かしい目つきをしながら、村を北のほうに抜け出し、平群(へぐり)の山のふもと、法輪寺(ほうりんじ)や法起寺(ほっきじ)のある森のほうへぶらぶらと歩き出していた。


 関連する八一の歌を引用する。

   みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の 
             あさ の ひかり の ともしきろ かも   
解説
   くわんおん の しろき ひたひ に やうらく の
             かげ うごかして かぜ わたる みゆ   
解説
   みとらし の はちす に のこる あせいろ の 
             みどり な ふき そ こがらし の かぜ  
解説

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会津八一 1399

2017-04-23 20:03:57 | Weblog
会津八一に関するブログ 314

観仏三昧(會津八一)第3首 2013・1・14(月)

 十七日東大寺にて(第2首)  解説

  おほてら の ひる の ともしび たえず とも     
         いかなる ひと か とは に あらめ や 
   
 (大寺の昼の灯火絶えずともいかなる人か永久にあらめや)

 人間の命の有限を詠う。限りある命ならどう生きるかが問われる。八一の生涯を想う。
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会津八一 1398

2017-04-22 20:00:07 | Weblog
会津八一に関するブログ 313

観仏三昧(會津八一)第2首 2013・1・12(土)

 十七日東大寺にて(第1首)   解説

  おほてら の ひる の おまえ に あぶら つきて    
             ひかり かそけき ともしび の かず
      
   (大寺の昼のお前に油尽きて光かそけき灯火の数)
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会津八一 1397

2017-04-21 19:56:36 | Weblog
会津八一に関するブログ 312

観仏三昧(會津八一)第1首 2013・1・10(木)

 新たに鹿鳴集の中の観仏三昧・28首を紹介する。昭和14年10月の作である。早大文学部芸術科の学生を連れた奈良見学旅行の時の作で、冒頭に八一はこう記す。「観仏三昧 仏像の研究と鑑賞に専念すといふこと

 十五日二三子を伴ひて観仏の旅に東京を出(い)づ  解説

  やまと には かの いかるが の おほてら に    
           みほとけ たち の まちて いまさむ      

  (大和にはかの斑鳩の大寺にみ仏たちの待ちていまさむ)
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会津八一 1396

2017-04-20 19:48:34 | Weblog
会津八一に関するブログ 311

赤べこ 2013・1・8(火)

 福島県会津地方の郷土玩具。807年、柳津町の徳一大師が円蔵寺の虚空蔵堂を建立する際、牛の群れが現れて手伝い、最後まで働いたのが赤色の牛だったという伝説がある。そのことから、赤べこが作られた。赤は魔避けを表す。
 会津八一は30歳の時、坪内逍遥の招きで早稲田中学の英語教員になる。その頃、新渡戸稲造を中心にした郷土史研究会の一員になり、郷土玩具の収集に熱中し、600点余集めた。その中に「会津の赤べこ」があったがどうかは定かではない。
 星野富弘さんの1,2月を飾る詩と絵は「赤べこ」


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会津八一 1395

2017-04-19 19:47:20 | Weblog
会津八一に関するブログ 310

南京続唱(会津八一)第13首 2013・1・5(土)

 春日野にて(第3首)  解説

  うつくしき ひと こもれり と むさしの の    
         おくか も しらず あらし ふく らし
      
  (美しき人こもれりと武蔵野の奥かも知らず嵐吹くらし)

南京続唱(会津八一)第14首 完 

 述懐   解説

  ふるてら の みだう の やみ に こもり ゐて   
         もだせる こころ ひと な とひ そ ね 
   
  (古寺のみ堂の闇に籠りゐて黙せる心人な問いそね)
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会津八一 1394

2017-04-17 19:50:11 | Weblog
会津八一に関するブログ 309

南京続唱 2013・1・5(土)

 昭和3~5年(会津八一48~50歳)に作られた南京続唱14首の会津八一ページでの解説を先月終わった。
 故植田重雄教授は南京続唱についてこう記している。
 「昭和三年秋十月に、美術史研究のために奈良の諸寺を訪れ、十三首ほど生まれた。今までとはちがい学問考証に没頭し、歌は余滴のように詠まれている。・・・・以前の抒情的、パセティックな作品とちがい、一首一首が歌域(かいき)をひろめ、言葉が緊密な構造力をもっている。
  (注 パセティック 哀れをさそうさま。また、感動的なさま)

             明日は休みます。
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