会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 1406

2017-04-30 20:00:35 | Weblog
会津八一に関するブログ 321

観仏三昧(会津八一)第8首 2013・1・31(木)

 浄瑠璃寺(第3首)    解説

  やまでら の ほふし が むすめ ひとり ゐて 
        かき うる には も いろづき に けり    

   (山寺の法師が娘一人ゐて柿売る庭も色づきにけり)
 
 紅葉し始めた浄瑠璃寺、赤い柿を売る少女、眼を閉じて情景を思い浮かべてみる。
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会津八一 1405

2017-04-29 20:32:54 | Weblog
会津八一に関するブログ 320

観仏三昧(会津八一)第7首 2013・1・30(水)

 浄瑠璃寺(第2首)    解説

  あしびき の やま の みてら の いとなみ に 
         おり けむ はた と みる が かなしさ    

  (あしびきの山のみ寺の営みに織りけむ機と見るが悲しさ)
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会津八一 1404

2017-04-28 20:41:52 | Weblog
会津八一に関するブログ 319

観仏三昧(会津八一)第6首 2013・1・28(月)

 浄瑠璃寺(第1首)

 二十日奈良より歩して山城国浄瑠璃寺にいたる。寺僧はあたかも奈良に買ひものに行きしとて在らず 赤きジャケツを着たる少女一人留守をまもりてたまたま来るハイキングの人々に裏庭の柿をもぎて売り我等がためには九体阿弥陀堂の扉を開けり 予ひとり堂後の縁をめぐれば一基の廃機ありこれを見て詠じて懐を抒(の)ぶ。   解説

  やまでら の みだう の ゆか に かげろひて 
        ふりたる はた よ おる ひと なし に
   
 (山寺のみ堂の床にかげろひて古りたる機よ織る人なしに)  
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会津八一 1403

2017-04-27 20:01:55 | Weblog
会津八一に関するブログ 318

観仏三昧(会津八一)第5首 2013・1・25(金)

 十九日室生寺に至らむとて桜井の聖林寺に十一面観音の端厳を拝す 旧知の老僧老いてなほあり   解説

  さく はな の とわ に にほへる みほとけ を    
         まもりて ひと の おい に けらし も
      
  (咲く花の永遠ににほへるみ仏を守りて人の老いにけらしも)

 聖林寺の十一面観音は素晴らしい。古寺巡礼(和辻哲郎)の「七 疲労――奈良博物館――聖林寺十一面観音」は必読! 
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会津八一 1402

2017-04-26 19:46:25 | Weblog
会津八一に関するブログ 317

観仏三昧(会津八一)第4首 2013・1・21(月)

 三月堂にて      解説

  びしやもん の おもき かかと に まろび ふす
       おに の もだえ も ちとせ へ に けむ 

    (毘沙門の重き踵にまろびふす鬼のもだえも千年経にけむ)

            
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会津八一 1401

2017-04-25 19:44:13 | Weblog
会津八一に関するブログ 316

「大和路」(堀辰雄)と會津八一13 2013・1・20(日)

 「古墳」の中で柿本人麻呂の挽歌を扱う。會津八一との関連はないが、愛する人がまだ山中に生きてさ迷っていると詠う人麻呂の歌が好きだ。
 「――自分のひそかに通っていた軽(かる)の村の愛人が急に死んだ後、或る日いたたまれないように、その軽の村に来てひとりで懊悩(おうのう)する、そのおりの挽歌でありますが、その長歌が「……軽(かる)の市にわが立ち聞けば、たまだすき畝傍(うねび)の山に鳴く鳥の声も聞えず。たまぼこの道行く人も、ひとりだに似るが行かねば、すべをなみ、妹(いも)が名呼びて袖ぞ振りつる」と終わると、それがこういう二首の反歌でおさめられてあります。

 秋山(あきやま)の黄葉(もみぢ)を茂しげみ迷まどはせる妹(いも)を求めむ山路(やまぢ)知らずも
 もみぢ葉ばの散りゆくなべにたまづさの使(つかひ)を見れば逢(あひ)し日思おもほゆ

 丁度、晩秋であったのでありましょう。彼がそうやって懊悩しながら、軽の村をさまよっていますと、おりから黄葉がしきりと散っております。ふと見上げてみると、山という山がすっかり美しく黄葉している。それらの山のなかに彼の愛人も葬られているのにちがいないが、それはどこいらであろうか。そんな山の奥ぶかくに、彼女がまだ生前とすこしも変らない姿で、なんだか道に迷ったような様子をしてさまよいつづけているような気もしてならない。だが、それが山のどこいらであるのか全然わからないのだ。


 私事だが、今日の早朝義姉のお母さんが94歳で亡くなられた。とてもお母さんを大事にした義姉にこの人麻呂の歌を捧げたい。
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会津八一 1400

2017-04-24 19:49:05 | Weblog
会津八一に関するブログ 315

「大和路」(堀辰雄)と会津八一12 2013・1・18(金)

 「十月二十六日、斑鳩の里にて」は続く。
 「僕は漸(ようや)く心がしずかになってから夢殿のなかへはいり、秘仏を拝し、そこを出ると、再び板がこいの傍をとおって、いかにも虔(つつ)ましげに、中宮寺の観音を拝しにいった。・・・・
 それから約三十分後には、僕は何か赫(かがや)かしい目つきをしながら、村を北のほうに抜け出し、平群(へぐり)の山のふもと、法輪寺(ほうりんじ)や法起寺(ほっきじ)のある森のほうへぶらぶらと歩き出していた。


 関連する八一の歌を引用する。

   みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の 
             あさ の ひかり の ともしきろ かも   
解説
   くわんおん の しろき ひたひ に やうらく の
             かげ うごかして かぜ わたる みゆ   
解説
   みとらし の はちす に のこる あせいろ の 
             みどり な ふき そ こがらし の かぜ  
解説

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会津八一 1399

2017-04-23 20:03:57 | Weblog
会津八一に関するブログ 314

観仏三昧(會津八一)第3首 2013・1・14(月)

 十七日東大寺にて(第2首)  解説

  おほてら の ひる の ともしび たえず とも     
         いかなる ひと か とは に あらめ や 
   
 (大寺の昼の灯火絶えずともいかなる人か永久にあらめや)

 人間の命の有限を詠う。限りある命ならどう生きるかが問われる。八一の生涯を想う。
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会津八一 1398

2017-04-22 20:00:07 | Weblog
会津八一に関するブログ 313

観仏三昧(會津八一)第2首 2013・1・12(土)

 十七日東大寺にて(第1首)   解説

  おほてら の ひる の おまえ に あぶら つきて    
             ひかり かそけき ともしび の かず
      
   (大寺の昼のお前に油尽きて光かそけき灯火の数)
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会津八一 1397

2017-04-21 19:56:36 | Weblog
会津八一に関するブログ 312

観仏三昧(會津八一)第1首 2013・1・10(木)

 新たに鹿鳴集の中の観仏三昧・28首を紹介する。昭和14年10月の作である。早大文学部芸術科の学生を連れた奈良見学旅行の時の作で、冒頭に八一はこう記す。「観仏三昧 仏像の研究と鑑賞に専念すといふこと

 十五日二三子を伴ひて観仏の旅に東京を出(い)づ  解説

  やまと には かの いかるが の おほてら に    
           みほとけ たち の まちて いまさむ      

  (大和にはかの斑鳩の大寺にみ仏たちの待ちていまさむ)
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