特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

柏11 三井団地行とあおいそら運動の作文 その1

2017-08-10 20:26:43 | 旅行
                       


 今年も夏本番。都心の気温が人の体温を超越する37℃に達したそうです。

 大人ですと8月は「ニッパチ」と申しますように普段の慌しさがやや薄れてきて落ち着く季節ですが、小学生はちっとも落ち着きませんね。
ラジオ体操のハンコをもらわなきゃならないし、何より夏休みの宿題がワンサカ残っているからです。
 
 はるか昔、小学6年生だったわたくしも宿題の多さには悩まされておりました。宿題だらけでバスに乗る暇が無くなるではないかっ!と。
では、バスの中で宿題をしてしまえば良いではないか、という浅知恵を持って東武バスに乗ったという話です。


  
 夏休みの宿題のなかでなかんずく大嫌いだったものに「あおいそら運動」の作文というのがあります。この宿題があるのは世界でも野田だけであろうと思います。
あおいそら運動というのは一口でいうと、市民の民度のあまりの低さに頭にきた市長だの警察の少年課だの為政者連が謎の教育組織を作り
「野田市の子供は一人残らず、たとえ空が青くない日でも一日一善しろ」と指導するという、
まことに迷惑千万な、もとい、教育上大きな効用が期待できる社会運動のことで、わたくしが小学5年のときに始まりました。
 
 夏休みの宿題に、如何なるあおいそら運動を夏休み中に展開したか原稿用紙4枚以上書け、というものがありました。
 おばあちゃんから小遣いもらって赤字バス路線に起点から終点まで小児運賃で乗った、というのは一善のようで只の一悪なので書くことが無くて困りました。

 バスに乗っておればいろいろあること無いこと思いつくだろうと、作文草稿用に親の寝室から便箋を盗み出し、朝7時台の野07に乗りましたが通勤する作業着姿のおじさんの酒くさい口臭やら奇声を上げる子供二人連れの親子などがいて、野田市駅に着くまでなんら思いつくことなく過ごしました。

 駅に着いてから仕切り直しとばかりに終点まで1時間は所要が見込まれる柏駅西口行へ乗り換えました。
前回のブログで紹介した、バス待ちが誰一人いない1番バスのりばから乗り、他人に邪魔されない最後部の左側角席に座ってグラグラ揺れる車内で、
ミミズののたくったような文字で「電車・バスでシルバーシートに座っていたらお年寄りが着たので席を譲りました。お年寄りは『ありがとう』と言ったので僕は少し照れました」等と
口から出まかせ書き記し、なんとか柏到着までに原稿用紙4枚分のネタは揃いました。

 さて、乗ったバスは車体こそお馴染みの富士3Eで前方方向幕も幅狭の従来タイプでしたが、作文ネタが整ったことで安堵したのか、
やっとバスを観察する心のゆとりが出来、降りたところでまんじりともせずボケーっとくるりんくるりん前方方向幕が回るのを見ていました。

 幕は「柏11 三井団地」をちょっと行き過ぎるとまた少しばかり逆転し止まりました。車内の運賃表示器の幕と違って方向幕というのはピッタリ停まるのではなく必ず行き過ぎてからやや戻りがあって停まる、という制御でした。そして生まれて初めてこの路線に乗ったのです。運賃は終点まで子供で70円だったと思います。貨幣価値が違うので安いとは思いませんが、当時自動販売機の缶ジュース一本がすでに百円でした。


 当時から私は運転席の右側にひっそり置かれた行路表をチラ見するのが大好きでしたが、最初の行路が野田→柏となっている行路表において復路が素直に野田に帰ってしまうものは一度たりとも見たことがありません。
 最低でも2回、東急ビレジ線か三井団地線をこなしてから野田へ帰庫するのが普通で、東急ビレジ線を6か7往復こなしてから回送帰庫する行路表も見ました。
 
 昔の運賃箱の運転席側側面にはせいぜい起動用のキーホールがあった程度でごみごみした操作ボタン等なかったと記憶してますが、
現行運賃箱よりはるかにスペースがあり、行路表をマグネットか引っ掛けフックか何かで箱側面に掛けている車両もありました。しかし小学生時代のわたくしは2.0内外の視力と大人の半分以下の高さの目線を生かして難なく見抜きました。

 東急柏ビレジ線は柏14、三井団地線は柏11と系統番号が付されておりどちらも野田の車両が運行をなしていました。
 今なお番号は変わっていませんが、乗ったところで車内のどこを探しても「東武鉄道自動車局野田営業所」のプレートが見当たらないので寂寞たる気持ちに襲われてなりません。
 
 柏14の終点は方向幕の字義通り「東急柏ビレジ」ではなく、当時は「柏ビレジ第3」と言ってました。
車内路線図にも現地のバス停にもそう書かれておりアナウンステープでは「次は終点・・・トウキュウ柏ビレジ第3」と言っていました。
 
 当時の野田出張所管内には野田~越谷線に「小田急」の名が付くバス停もあって「東武はなんで他所の会社の宣伝ばかりしてんのかな」と思いましたが、
京成に「国鉄千葉駅前」という駅があることを知り得心を得ました。


 三井団地だろうか幽霊団地だろうが柏駅西口を発する車両の方向幕には必ず柏高島屋のロゴが入っていました。
こういうのを広告方向幕と言うそうです。
柏高島屋は東武鉄道が「今度出来るうちの駅ビルに入って下さい」とお願いして出現した百貨店なので当然ですが、
バランスを取るかのように東口へ行くと「柏そごう」の方向幕が見れました。




 乗るときに後扉の左上を見るとこんな感じの方向幕がありました。


 

三井団地行きは柏駅を出るとしばらく野田行きとそっくり同じところを走っていきますが、途中「布施入口」という停留所から生き別れになってしまいます。

 一方同じように布施入口から分岐する東武バスの路線もあって柏04布施行きという路線でした。この線とは「土谷津入口」なる途中停留所で分岐しますが、
野田出張所ではなく柏営業所の手になるもので小学生時分に乗ったことはありません。



 ところで三井団地はいかなる土地かというと、三井不動産が昭和47年に切り開いた新興住宅地で、最寄のバス停が例の柏04の路線、
1時間に1本しかないというので三井不動産と住人間でトラブルが起きたそうです(昭和50年『朝日新聞』)。
 当時の柏周辺では決して少ないとは言えない1時間1本にいちゃもん付けるところを見ると、この辺りの人はきっと南青山か三軒茶屋から都落ちしてきたんでしょうな。


 昭和51年に三井不動産が三井団地に柏駅西口行きの東武バスのターミナルをつくったという記事。
これがこのまま今日まで現存し終点折返場になっています(『朝日新聞』)
 

 その6年後にわたくしは小児運賃で往復乗り通したわけです。高校時代にも途中から乗ったことがあります。
この路線は東武分社化した今なお健在なので先日久方ぶりに終点まで乗ってまいりました。もちろん大人運賃で。
次回は子供時代を振り返りながらそのお話をしたいと思います。
ジャンル:
バス
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