すりはんどく日誌

創価学会壮年部員の日誌。

こころゆくまで祈る

2006年05月28日 | Weblog
戸田先生、池田先生がおっしゃるには、唱題というのは、

「赤ん坊がお乳を欲しがってうわーんと泣くような、素直な唱題」

でなくてはいけないそうです。
同じりくつで、ある男子部の先輩が語っていたところでは、

「たとえば会社で嫌な上司がいたときに、ご本尊に向かって、
『あの嫌な上司も包み込めるような大きな境涯にしてください』なんて、
気取った態度で唱題しなくていい。ご本尊様は、カッコつけても、
お見通しだ。上司が嫌いなら嫌いで、『あの野郎を何とかしてください!』と、
素直に気持ちをぶつけていけ」

ということです。



男子部の後輩がつぶやいていました。

「いま職場が大変な状況になっていて、本当は2時間でも3時間でも
唱題しないといけないのに、夜遅くに家に帰ると疲れ果ててしまって、
唱題しててもすぐ眠くなるし、なかなか長時間の題目があげられない。
どうしたら、みっちり題目をあげられるようになるんでしょうか」

と。
僕は、

「疲れている時はよく寝るのが大切で、題目は、10分しか時間がなければ
10分しっかりあげればいいし、5分しか時間がなければ5分間しっかり
あげればいい」

というようなことを言いました。
後輩はそれでも悩んで、

「その10分の間も、なんか考えることが多すぎて、雑念だらけになって、
集中して祈れないんです」

と言います。
ハイクオリティな題目が上がらない、みたいなことを言う。

もちろん、池田先生もおっしゃっているような、一念のしっかり定まった
具体的な祈りができれば、それがベストにはちがいない。

ただ・・・。

日蓮大聖人は、六万法蔵を凝縮し、釈迦一代の功徳を全て集約して、
七文字の題目を僕たちに与えてくださいました。
その尊極の題目を、唱えられるだけでもありがたいのに、
クオリティがどうとか、時間が少ないとか、そんな不平不満を言って
いいものでしょうか。

題目は、こころゆくまであげることが大切であって、
それは5分なら不足とか1時間なら充分とか、決められるものじゃない。

題目をあげるときの命の状態にしても、千々に乱れていることもあれば、
苦悩に押し潰されていることもあれば、楽しみに浮かれていることも
あるのが当然であって、その時その時の一念を素直にご本尊様に
投げかけていくことが大切だと思います。

雑念まみれであっても、とにかくご本尊様に向かっていく中で、
一念も定まっていく。
最初に雑念まみれであることに対して否定的になってしまえば、
そこで行き止まりになってしまう。



学会の中には、祈ること、ご本尊に向かうことについて、
へんなところで厳格になっている人がいて、中には、
「今の自分は惰性に流されてだらしないから、申し訳なくて
ご本尊に向かうことができない」
と言って、ご本尊を恐れ、信仰から離れていく人もいる。

僕は後輩に、素直に自由に祈ること、弱っている時はご本尊に甘えることを
勧めました。
時間がどうとかクオリティがどうとか言わなくていい、と。
そうするとようやく笑顔になってくれました。

24 コメント

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Unknown (一応アンチですが)
2006-07-02 23:17:57
心ゆくまで祈る・・・感動しました。

わたしは壮年役職者の未活動家ですが、

24時間ほぼ 携帯ご本尊をはなみはなさず

シャツのポケット ポケットがない場合はかばんの

ポケットに入れています。

話しているとすれば、お風呂の時ぐらい。

この 祈るということは 正座して祈ることに

形式的こだわりがあるのではないでしょうか。

わたしは、家のご本尊に最近5年間は座ったことがありませんし、活動もしていません。まったく皆無です。しかし、バリ活動家やったそれ以前より、ご本尊の威力というか、今のほうが実感します。

 毎日、祈ってるというより 受持即観心やから、叶って当たり前という感覚で毎日過ごしています。

 結果は・・・?

 すべて(時間の前後はありますが)叶います。かなえる条件は? 職場・人間関係ある程度すべきことはするということが前提ですが。

 また、目標・到達点をしっかりワープロで書いておき、すべきことも書いておきます。これだけです。

 さらに、目標・到達点に必死にならないことも大切かもしれません。

 「一応 やるべきことはやったし、あとはどうなるやろう」ぐらいですか。

 信仰はこれぐらいがいいと思います。

 それより、職場や地域社会で必要なスキル・・・取るべき国家資格や昇格試験、日ごろの勉強、知識の習得、人間関係の醸成のためのお付き合い、これがしっかりできていないと、いくら信仰しても刈り取るべき実がないはずです。学会的に言うと、「世法」とでもいうのでしょうか、ある一定の職業でしたらそのプロとしての技量がないと無理だと思います。いわゆる種まいてないのに、実がなるはずなしということですね。

 バリ学会員の中には、仕事ほったらかしで、よく休み、早く帰り、仕事中に折伏する人います(今も現在の職場にもいる)が、それで、何で会社でえらくならんとすねるひといますが、間違っていると思います。

 会社が大変なことになっている・・・・なるようになります。

 雑念は、自分がどうしたい、なぜこうしたいと思うのか、さらに書き進めていき、整理するだけで充分です。

私たちには、書くということ、書いて整理して、詳細な実行に移す動機を刻んでいくことこそが必要ではないでしょうか。

 信仰を研ぎ澄まさないといけない・・・・庶民の宗教にそれを自ら求めるとしたら、大きな誤りでしょう。



 

 

Unknown (すりはんどく)
2006-07-17 18:17:02
>アンノウンさん



コメントありがとうございます。

いま、自宅がネット未開通で。。。レスつけられずすみません。



活動に時間を割かなくなったことによって、信仰を活動に反映させることができるようになった・・・よく理解できます。



いまの組織では、組織活動自体が目的になってしまっている観がいなめません。

単純に言い切れば、創価学会が信心を学び深める場ではなくなっている。

あるのは目標とスケジュールと、追い立てる幹部の声・・・



創価学会は信仰を深めるための団体にならなければならないと思います。
Unknown (Surihandokuになりたい)
2006-09-22 20:21:05
私は、感謝の唱題ができずに悩んでいました(います)。

以下のコメントとても心に残りました。



「日蓮大聖人は、六万法蔵を凝縮し、釈迦一代の功徳を全て集約して、七文字の題目を僕たちに与えてくださいました。その尊極の題目を、唱えられるだけでもありがたいのに、クオリティがどうとか、時間が少ないとか、そんな不平不満を言っていいものでしょうか。」



どうしても祈りが叶わず、ご本尊に悪態をついているような気がしてました。不信で、もう信仰をやめようとも思いました。しかし、今夜からもう一度挑戦してみます。

ありがとうございました。



Unknown (すりはんどく)
2006-09-23 10:17:12
Surihandokuになりたいさん>



どうも!

あらためて自分の文章を読み返すと恥ずかしい感じがします。。。しかしお役に立てて嬉しいです。



いま、2級試験の勉強会などであらためて「南無妙法蓮華経」の意味について学んでいますが、知れば知るほどありがたい七文字です。
Unknown (Surihandokuになりたい)
2006-09-24 00:28:22
私、今本当に「修利槃特」のようになりたいんです。



---

幹部ではありませんが、

福子として学会の中で生きてきました。

小さいころから、お題目をあげてきていっぱい功徳を

受けてきました。



しかし、ここ数年は

希望通りにならない現実に失望し、

自分の頭であれこれ考えて、

「いくらご本尊に願っても恐らく駄目だろうなー」って諦めていました(います?)。(ここでのBlogを見た今は、諦める気持ちと諦めない気持ちが入り混じっている変な気持ちです。)



折伏、新聞啓蒙、公明支援活動、財務、教学、唱題など。

自分の願いをかけてやりきりました、成果は全て出してきました。幹部からはよくほめられます。しかし、現実生活が変わりなく正直、ほめられたり、声をかけたりされるのが苦痛な時さえあります。結局、私の宿命の深さ、私の傲慢さ、信じる心のなさ、感謝できない気持ち、「これだけ(活動を)やったのに・成果をあげたのにどうして希望をかなえてくれないの?」とご本尊に悪態をついている心が強いのでしょう。



※友人や身内のご本尊送りを3人にして、自身がこの様な不信状況で、彼らには「ご本尊は絶対と訴えること」にどうしようもない罪悪感を感じ、耐え切れず学会本部に指導にも行きました。



不思議なんですが、自分以外の他人のことは疑わず願えるんです。他の人の悩みは、最初は客観的で悩みの原因が明確で、雑念がわく余地もない。またそれが逆に願いやすいのかもしれません。

よく、うちに悩みをかかえたメンバが皆に内緒できます。

組織や座談会では言えないという悩みを打ち明けられ、

よく一緒に唱題をします。そして、そのほとんどが解決に

至っています。にもかかわらず、自分の悩みが解決しないのはどうしてなんでしょうか。



「すりはんどく」さんは、願いがかなわない時ありますか?その様なときどうなさいますか?疑いは起きますか?

願いの中で、世法的にはどうみても無理と思われる願いもありますか?また、時間的に急を要する祈りをされたことはありますか? もう、今の私の場合もう

時間がなくて、、、。さすがのご本尊も不可能だと

思ってしまいます。



、、、っと、こんな長くクドクド書いてしまい申し訳ありません。2級試験のこの大変な時なので返事は不要です。

試験は、10/1ですね。「すりはんどく」さんは、試験該当者ですか?or 教えられているのですか?何れにしてもがんばりましょう。私は残念ながら青年部ではないので

陰の応援に回っています。

ちなみに、教学は「教授」です。しかしですよ、しかしこんな「元品の無明」に覆われ埋もれてしまって、一体何を学んできたのか猛省するばかりです。
Unknown (すりはんどく)
2006-10-01 08:24:32
Surihandokuになりたいさん>



信仰のスタイルにもさまざまあると思います。

僕の身近にいて最も尊敬する男子部の先輩は、

目標を明確にした祈りで完璧に祈りを叶えてきた人で

(一戸建て・結婚・子ども・ベンツ、など)

「欲が深い人ほど信心強情になれる」という説を主張しています。



それはそれで良いと思いますが、僕は、そういうスタイルにはさほど共感できません。

その先輩にはいろいろと相談に行くものの、その点には相違があります。



先生の指導に、

「結局のところ、正しい信心をしている人には『功徳しかない』ということを知ることが大切です。いいことがあれば楽しいし、悪いことがあっても、それを変毒為薬していける。結果的にはすべて功徳になるのです」

というのがありました(主旨)。



で、僕の場合、「この祈りは絶対にいつまでに叶えられないと困る」というような祈りはあまりしたことがありません。

もともと「うつ」の傾向があり、病院に通っていたこともありました。

いろいろありましたが、今は、毎日をご本尊さまの前からスタートし、ご本尊さまの前で終わることができ、それによって、正体不明の不安や恐怖を抑えていけることだけで満足しています。



そういう中で、いつのまにやら仕事も決まり、結婚も目前で、友だちも増え・・・「ばくぜんとした願い」が、振り返るとちゃんと叶ってる、という感じです。



たまたまのんきな人生を送っているだけかも。。。

そういう調子なので、祈って叶わなくても別にいいんじゃないかと感じています。

また、前述の先生の指導に照らして考えてみると、祈って叶わなかったからといって、それを「失敗」のようにとらえることはないんじゃないかとも思います。

最終的に幸福になればいいのであって、そのときそのときの祈りは叶ったり叶わなかったりいいんじゃないかと。。。言い方が不適切かも知れませんが。



いま思い出しましたが、中学生のころ、祖父が危篤になり、「なんとか祖父を助けてください」と、絶叫するような唱題を、声が枯れて出なくなるまで、3、4時間あげたことがありました。

しかし、祖父はその日亡くなりました。

とはいえ祖父の訃報を聞いても祈りが叶わなかったことに対してどうこうは考えませんでした。

あとで聞いたところでは、僕の声が枯れて唱題を終えた時間と、祖父が息を引き取った時間が、ちょうど一致していたそうです。

あまり迷信めいた空想は好きでないけど、旅立つ祖父は、電車を一本遅らせるように、僕の題目が聞こえる間は待っていてくれたのかも知れません。

ちなみに祖父の死相は眠るように安らかで、学会員ではない人たちからも「これが成仏の相というものか」と感嘆されました。



今日は2級試験ですねえ。

教える側として、ハラハラドキドキしています。

教学は「青年教学一級」ですが、もう教学試験を受験することが一生無いと思うとさびしくもあります。
Unknown (Surihandokuになりたい)
2006-10-03 19:59:48
少し時間が経過してしまいましたが、2級試験終わりましたね。お疲れ様でした!

私はある女子部メンバの応援をしておりました。この辺りの地域は、夜試験@創大+雨降り でした。

でも、無事終わってほっとしました。



さて、以下のコメント、何度も何度も何度も読ませて頂きました。



>先生の指導に、

>「結局のところ、正しい信心をしている人には『功徳し>かない』ということを知ることが大切です。いいことが>あれば楽しいし、悪いことがあっても、それを変毒為薬>していける。結果的にはすべて功徳になるのです」



悪いことがあっても"功徳"ですね。

そう、信じることができたら、凄く楽しそうな といいますか、生きていること自体が幸せ、つまり絶対的幸福になれそうな気がしました。

うーん、先生のご指導。今一度読み直すときがきました。ちなみに私は、最近青春対話をよく読んでいます。
一念などと言っている場合か!! (神龍天舞)
2015-08-12 10:43:52
安保保障の問題でいつ戦争に巻き込まれるか分からない以上、日本人には生きていられる時間があとわずかしかない。それにもかかわらず一念が定まってないとは何事か!!
公明党は学会員が今まで活動に使った時間を無駄にしたため、今すぐ願いが叶うという補償が必要である。戦争がはじまらないうちに願いが叶わないと生きてきた意味がないのだ。
とても共感いたしました (白ユリ)
2016-10-30 22:48:38
 そのとおりだと賛同いたします。
Re:とても共感いたしました (surisuri-handoku)
2016-10-31 23:53:19
すごく昔の記事にコメントありがとうございます。
なんか偉そうなこと書いてて冷や汗がでます。
月水御書、1199ページ〜 にも、
つらいときは無理に経を読まなくてよいと説かれていますね。

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