仏教の歴史には正法時代、像法時代、末法時代、の3つの時代があると日蓮大聖人は教えられました。
(末法時代とはあまり言いませんが。末法。)
正法時代は、仏が生きていて、もしくは弟子たちが仏の本意をしっかり継承していて、仏の情熱が失われないまま保持されている時代。
像法時代は、仏が死んで久しく時が過ぎ、仏像や寺院はたくさん造られて仏教が隆盛しているように見えるものの、
教えは形骸化して仏の当初の情熱が失われていく時代。
で、その結果仏の教えが虫の息になって世が乱れるのが末法。
これは、仏教に限った話ではないなと思います。
企業なんかでも、起業した当初は、強烈な創業者がいて、その周りにひとクセある個性的な人材群がいて
革新的な事業を情熱的に進めていく。でも、会社が大きくなっていくにつれて、「管理」が必要になり
求められる人材像も限定的になり、よくもわるくも「企業の体質」みたいなものが醸成されて
本社のビルは大きくなるし支社はどんどん増えるものの、創業の情熱は失われ、事業は形骸化していく
そんで、不祥事とか金融のショックとかなんたらとかによって大きく転倒し、
崩壊してしまう。
もしくは、その衝撃をバネにして新しく生まれ変わっていく。
明治維新にあてはめると、坂本竜馬や西郷隆盛、木戸孝允などが活躍した維新回天の時代が正法時代で
それが明治の世が始まって時を経るにつれ像法時代になり、昭和になると末法になって、アメリカに降伏して終わる。
アメリカの黒船に驚き、「異国に日本を乗っ取られてはいかんがじゃ〜!」と奔走する志士たちの姿をドラマとかで見ると
最後は結局、その黒船でやってきたアメリカに全面降伏して占領されてしまう事実が頭をよぎります
んで
我らが創価学会も、僕たち後継者の動向によっては、
三代会長の正法時代が終わったあとは、たくさんの大きな会館を世界各地に残しつつ、像法時代に入っていく可能性がある
と、思います。いまの創価学会の強烈な管理主義と精神論に触れると、
もうすでに像法時代は始まっているのかも知れない、とも思います。