教学資料室

自学自習用リファレンスの意味も兼ねたブログであり、内容の誤り等一切の責任は筆者に帰します。

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備忘&カテゴリー方針

2012年01月30日 13時49分55秒 | 妙相寺勉強会自習解説
妙相寺にて行われる勉強会、特に樋田さん主催の勉強会についてのカテゴリーです。

[2012.03.09補足]
①自習は以下の通りに行います。
  ・相手主張と、主張を支える公理(注1)等の論拠を抽出
  ・破折資料が公理等の論拠をどう崩すのかを抽出
  ↑
  ここまでで止まっては効果が薄い場合あることに注意

  ○破折と同時に、どう呵責するか

   注意1公理(こうり、Axiom)
    ある命題(結論)を導き出すため、前提となる基礎原理。
    (基礎仮定としても良い。)
    議論に置いては、互いに納得できる公理を元にして自説
    の正当性を主張することとなる。
    例えば
     ・結論:東京より沖縄の方が日の出が遅い
     ・公理:a.東京は沖縄より東に位置する。
         b.太陽は東から昇る。(自転方向)
         c.東京と沖縄は同一国内
           (日付変更線を越えない。)
    この場合、公理a~cが正しければ結論も正しいが、公理
    のうち一つでも間違いであると証明されれば、結論も否定
    される。


相手の論拠が崩れれば(論拠自体の崩壊、公理からの滑落)が起これば
相手の主張も崩れるのが議論のイロハであり、これ自体が「議論の公理」
とも言えるが、破折の場合は長文になるため、自習者にとって「論拠の
提示と否定」が見えにくくなる場合がある。

よって、資料の理解を深める第一歩として、議論の幹となる「論拠の提
示と否定」の抽出試みる。
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備忘&カテゴリー方針

2012年01月30日 13時48分15秒 | 猊下御指南関連御書
猊下御指南に出た御書について、過去の御指導等による解説を中心に、初心者でも解りやすく解くカテゴリーです。
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11月度、日如猊下御指南

2012年01月30日 12時53分12秒 | 猊下御指南
()内は
 ・難読漢字等に対し、筆者が当用漢字に直した部分です。
 ・難解熟語には”注”として、末尾に注約を付けてあります。
 ・正確を期してはいますが、これらは筆者独自に付加した
  ものですので、正誤の責は筆者に帰します。






平成23年11月度 広布唱題会の砌    (於 平成23年11月6日 総本山客殿)



 皆さん、おはようございます。
 本日は、十一月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 いよいよ本年も十一月に入り、残り二月となりましたが、各支部ともに本年度の折伏誓願を達成すべく、昼夜を分かたず、僧俗一致の戦いを進めているものと思います。
 御承知のとおり、本年は三月の東日本大震災をはじめ、台風やその他の異常気象などによって大雨・洪水等が発生して各地で大きな被害をもたらし、多くの方々が犠牲になられたことはまことに悲しむべきことであり、心から御冥福をお祈り申し上げるものであります。



 私どもは、こうした悲惨な現状を目の当たりにして、その根本原因が那辺(なへん。意:どこに、何に)にあるかを探り、平穏なる仏国土実現のため、今、何をなすべきかをしっかりと見極めていかなければなりません。



 結論から言えば、天変地夭をはじめ世の中の混乱と不幸と苦悩の根本原因は、大聖人様が『立正安国論』に

 「世皆正に背き人悉く(ことごとく)悪に帰す。
  故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。
  是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。
  言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」
  (御書 P234)

と仰せられているように、ひとえに「世皆正に背き人悉く(ことごとく)悪に帰す」故であります。すなわち、その根本原因は、すべて謗法の害毒によるのであります。
 されば、今こそ我々は謗法を対治し、折伏を行じていかなければならないのであります。


 大聖人様は『立正安国論』に、

 「若し(もし)先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば
  速やかに情慮を廻らし怱いで対治を加へよ
  (急いで退治を加えよ。意:急いで、こぞって、
  全てに、退治しなさい。)」(御書 P248)

と仰せであります。



 世の中の人々の幸せを願い、現当二世にわたる国土の安穏を祈らんとすれば、まず不幸の根源たる邪義邪法の謗法を対冶することが最も肝要であることを知るべきであります。 折伏は最大の慈悲行であります。苦悩にあえぐ多くの人々を救い、平和で安穏な世の中を築くためには、この慈悲行をもってすることが最善の方途であります。
 また、折伏によって世の中の人々の心田に妙法を下種結縁し、仏性を目覚めさせ、妙法を唱えせしめることは、まさしく大乗の菩薩のなすべき最高の仏道修行であります。


 故に、菩薩の総願たる「四弘誓願(しぐせいがん)」の最初には「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」が置かれているのであります。
 四弘誓願とは、菩薩が発する四つの誓願、すなわち衆生無辺誓願度・煩悩無数誓願断・法門無尽誓願知・仏道無上誓願成(注2)のことでありますが、すべての菩薩が共通して起こすので、総願(そうがん)とも言うのであります。
 このうち、衆生無辺誓願度とは、生死の苦しみに縛られ、苦悩にあえぐ人々をすべて成仏に導こうと誓うことであります。この衆生無辺誓願度を四弘誓願の最初に置くのは、他の三つが自行の誓願であるのに対し、化他行を重視し、衆生教化を菩薩の本分とするが故であり、また、それが菩薩の修行にとって最も肝要であるからであります。



 よって『御講聞書』には、

 「所詮四弘誓願の中には衆生無辺誓願度肝要なり。
  今(いま)日蓮等の類は南無妙法蓮華経を以て衆生を度する、
  是より外には所詮無きなり」(御書P1862)

と仰せられているのであります。



 世間的に言っても、世のため人のために尽くすことは、自分自身がそこに生きがいと喜びを感じ、自らの成長が図られ、充実した人生を歩むことができると言われております。 仏法においてはなおのこと、折伏によって一人でも多くの人々を幸せに導くことは、我ら地涌の菩薩の眷属(けんぞく)として最も重要なことであり、これこそ最高の喜びであります。その折伏には、また自らも幸せになり他をも幸せとする、自利利他の大きな功徳を存しているのであります。
 そもそも、末法の衆生は本未有善であります。その本未有善の荒凡夫が成仏をするためには、爾前諸経に説かれるような歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう 注1)や、末法の衆生には到底不可能な六波羅蜜等の修行を経なくとも、ただ寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経を受持し、自行化他の信心に励んでいくことによって、必ず成仏がかなえられるのであります。


 故に、無量義経には、「未だ(いまだ)六波羅蜜を修行することを得ずと雖も、六波羅蜜自然(じねん)に在前す」(法華経P43)と説かれ、『観心本尊抄』には、

 「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。
  我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。
  四大声聞の領解に云はく『無上宝聚(むじょうほうじゅ)、
  不求自得(ふぐじどく)』云云(注3)」(御書P653)

と仰せられているのであります。




 まさしく、正像適時の本已有善の凡夫と異なり、末法本未有善の荒凡夫が成仏得道しうる秘法は、ただ寿量品文底秘沈の妙法蓮華経にして、この妙法を信受する以外には末法の荒凡夫が幸せになれる道はないのであります。
 さればこそ、我々本宗僧俗は大確信を持って、一人でも多くの人々に対して大御本尊様の広大無辺なる功徳を説き、折伏を行じ、救済していくことが最も肝要となるのであります。
 今、宗門は僧俗挙げて、来たる平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて大前進をしております。この戦いのなかで最も大切なことは、大御本尊様に対する絶対的な確信と、あらゆる困難・障害を排して断固、折伏を実践する、たくましい行動力であります。
 そのためには、しっかりと唱題することが肝要であります。唱題の功徳と歓喜をもって折伏に打って出ることが、誓願達成の秘訣であります。
 唱題の功徳によって、たくましい力と智慧と勇気が湧いてくるのであります。そして、私達の発する確信あるひとこと、ひとことが、必ず相手の心を大きく動かすことになるのであります。
 本年も残り二月、一人ひとりがこの大確信を待って折伏に励んでいただきたいと思います。
 時間の価値は、その内容によって決まります。広宣流布のために、いかに充実した時間を送れるか否かは、これからの我々の戦いのいかんによります。その結果は、的確に我々の成仏、不成仏につながっているのであります。
 是非とも残り二月、限られた尊い時間を一時も無駄にすることなく、各支部ともに、なお一層の精進をもって、僧俗一致・異体同心して折伏を行じ、もって本年度は必ず全支部が折伏誓願を達成されますよう心からお祈りいたしまして、本日の挨拶といたします。




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注1:菩薩が長い間、過去現在未来の三世において転生を繰り返して修行すること。



注2:
  ・煩悩無量誓願断(ぼんのうむりょうせいがんだん) - 煩悩は無量だが、すべて断つという誓願
  ・法門無尽誓願智(ほうもんむじんせいがんち) - 法門は無尽だが、すべて知るという誓願
  ・仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう) - 仏の道は無上だが、かならず成仏するという誓願




注3:「無上の宝聚、求めざるに自ずから得たり」



法華経信解品(しんげほん)第四の偈頌(げじゅ)の一節。
須菩提(しゅぼだい)等の中根(ちゅうこん)の四大声聞は、譬喩品第三で上根(じょうこん)の舎利弗が成仏の記別を受けたのを目の当たりにし、さらに「三車火宅の譬(たとえ)」の説法を聴聞して、仏の開三顕一(かいさんけんいち)の法を信解した。
そして信解品の冒頭、四大声聞は跳び上がって喜び、歓声を上げた。このことが「我等今日、仏の音教(おんきょう)を聞いて歓喜踊躍(かんぎゆやく)して未曾有なることを得たり 仏声聞当(まさ)に作仏することを得べしと説きたもう 無上の宝聚、求めざるに自ら得たり」(開結 P263)と説かれている。



二乗は小乗教に執着し、灰身(けしん)滅智して小乗の解脱(げだつ)を得たと誤解したため、それ以上の悟りや成仏を求めようとしなかった。ゆえに爾前経では、二乗は決して成仏できない。
しかし法華経では、諸法実相に約して理の一念三千が説かれており、仏の開示悟入(かいじごにゅう)の化導によって二乗も成仏できることとなった。
これを知った四大声聞は躍り上がって喜び、釈尊に心からの感謝を込めて「無上宝聚不求自得」と述べた。



無上宝聚は「御義口伝」に「今日蓮等の類(たぐい)の心は、無上とは南無妙法蓮華経、無上の中の極無上なり。此の妙法を指して無上宝聚と説き玉ふ(たもう)なり。宝聚とは、三世の諸仏の万行万善諸波羅蜜の宝を聚(あつ)めたる南無妙法蓮華経なり」(御書 P1739)と大聖人様が御指導である。



「不求自得」は同じく御義口伝に「此の無上宝聚を辛労(しんろう)も無く行功も無く一言に受け取るは信心なり。不求自得とは是なり」と御指南されている。



要すれば、「無上の宝聚とは生命と生命を生み出す妙法であり、御本尊様であり、すなわち三宝である。 成仏という功徳を得るには、三宝をひたすら信じることであり、帰命(命を仏に奉ること。白米一俵御書参照)し自行化他することである。(他の苦労、苦行、修行では得られない。)」との意であろうか。
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11月度、日如猊下御指南 その2

2012年01月30日 12時35分10秒 | 猊下御指南
()内は
 ・難読漢字等に対し、筆者が当用漢字に直した部分です。
 ・難解熟語には”注”として、末尾に注約を付けてあります。
 ・正確を期してはいますが、これらは筆者独自に付加したものであり、正誤の責は筆者に帰します。


今回のお言葉は、寿量品の絶対性の御教示に始まり、成仏(仏果)とはどう
いうものであるのか、どういう状態であるのかを示され、禅、天台妙楽等を
破折されておられます。

その意は全て「末法の今日においては、求め導かれて永遠の成仏を求めるな
ら、大聖人様を下種の御本仏と仰ぎ奉り、本門戒壇の大御本尊様に対し奉り
至心に題目を唱え、自行化他の行業に励むことである。」に繋がるかと。




平成23年11月度 総本山御大会の砌 
                     (於 平成23年11月20日 総本山仮御
影殿)


妙法蓮華経如来寿量品第十六にのたまわく、

「是(かく)の如く、我(われ)成仏してより已来(このかた)
 甚(はなは)だ大いに久遠なり。
 寿命無量阿僧祇劫なり。
 常住にして滅せず。諸(もろもろ)の善男子
 我本(もと)菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命
 今猶(なお)未(いま)だ尽きず。
 復(また)上(かみ)の数(すう)に倍せり」(法華経P433)




 本日は、宗祖日蓮大聖人御大会式を奉修いたしましたところ、宗内僧侶代表
各位ならびに法華講大講頭・法華講連合会委員長・永井藤蔵氏ほか代表の御信
徒各位、海外信徒代表各位、寺族代表各位には多数御登山され、御報恩の法会
を執り行うことができ、まことに有り難く、厚く御礼を申し上げます。

 さて、本夕(ほんせき)は恒例により、ただいま拝読いたしました如来寿量品
の御文について少々申し上げます。

 御承知の如く、寿量品は釈尊出世の本懐たる法華経の中心肝要なる一品であ
るばかりではなく、一代五十年の説法の肝心骨髄であり、十界皆成即身成仏の
直道を示された大法であります。

 故に、大聖人は寿量品の絶対性を明示され、『太田左衛門尉御返事』に

  「寿量品と申すは本門の肝心なり。又此の品は一部の肝心
   一代の聖教(しょうぎょう)の肝心のみならず、三世の
   諸仏の説法の儀式の大要なり」(御書P1223)

と仰せられているのであります。

 そのうち、ただいま拝読の御文は寿量品の長行(じょうごう)中、三世益物
(やくもつ)のなか現在益物中、「非生現生」に続いて「非滅現滅」(注1)
を明かされたところの御文であります。

 このなかに二段あり、初めはまさしく明かし、のちは利益を明かされてお
りますが、初めはまさしく明かすなかに二段あり、初めは本来実(じつ)にして
滅せざることを明かし、のちは迹中に滅を現ずることを明かされています。

 さらに、初めに本来実にして滅せざることを明かすなかに二節あり、初めは
果位の常住なるを明かし、のちは因位を挙げて果上を比況(ひきょう)してお
ります。

 このうち、初めの

   「是(かく)の如く、我(われ)成仏してより已来(このかた)、甚
    (はなは)だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり。常住に
    して滅せず」


とある御文は、果位(注2)の常住なることを明かされた御文であります。

 天台大師は、この御文について『法華文句』に、

   「常(じょう)の故に滅せず、此の四字に寄せて、未来の大勢
    威(い)猛(みょう)常住の益物を明かすなり」
   (学林版文句会本会P315)


と釈されています。

 すなわち、「成仏」とは果位を示し「甚だ大いに久遠なり」とは、これ常に
して、常なるが故に滅せず、滅せざれば益(やく)未来に至るとし、「常住不滅」
の四字に寄せて、未来の大勢威猛常住の益物を明かされているのであります。

 「大勢威猛」の「大勢」とは、仏の生命に具わる大威勢・大威(い)力(りき)の
ことで、大慈悲心をもって一切衆生を教化し、救済する偉大なる力を言い、その
偉大なる仏の寿命は、久遠よりこのかた、未来常住なることを顕されているので
あります。


 大聖人は『立正観抄』に

   「法華経の仏は寿命無量、常住不滅の仏なり。禅宗は滅度
    の仏と見るが故に外道の無の見(けん)なり。是法住法位
    世間相常住(ぜほうじゅうほういせけんそうじょうじゅう)
    の金言に背く辟見なり」(御書P773)

と仰せられ、法華経寿量品の仏は「寿命無量、常住不滅」なることを明かされ、
禅宗の辟見を破折されているのであります。

 また天台大師はこの御文を十重顕本のうち、第五の「住本顕本」の文と釈さ
れております。
 住本顕本とは、仏の常住する本地の国土はそのまま今日(こんにち)の娑婆世界
であり、久遠の本仏そのまま今日の釈尊なりと顕すを言い、仏は久遠以来、その
寿命は本国土である娑婆世界に常住して滅せずと、本地を顕すことを言うのであ
ります。

 つまり、この文は釈尊の仏果の久遠常住を示されたものであり、非滅現滅の非
滅の上から、その寿命の常住なることを明かし、未来にわたり衆生を利益するこ
とを示されているのであります。

 次に「諸(もろもろ)の善男子、我本(もと)菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命
今猶(なお)未(いま)だ尽きず。復(また)上(かみ)の数倍せり」と仰せであります
が、この御文は、先の御文が果位の常住を明かされたのにのに対して、因位
(注3)を挙げて果上を比況(ひきょう。比べ例えること)しているのでありま
す。

 この文について、天台大師は『法華文句』に、

   「経に久しく業(ごう)を修して得る所なり寿命無数劫なりと
    云うは神通延寿に非ざるなり。何となれば、仏は円因を修し
    初住に登る時已(すで)に常寿を得たまえり。
    常寿は尽き?(がた)し、已に上の数に倍す、況んや復(また)
    果をや」(学林版文句会本会P316)

と釈されています。

 すなわち、古えの他師が寿量品は神通力によって延ばしたものにして常住に非
ず、無常なりと解していることの誤りを指摘され、仏と成る原因は菩薩道の修行
にあり、既にそのなかの初住の位において得たところの寿命の常住を挙げ、比況
して仏果の寿命の常住なることを明かされているのであります。

 つまり、因の智慧によって得た寿命が「今猶未尽。復倍上数」と言われるよう
に、永遠に尽きないものであること。したがって「我本行菩薩道。所成寿命」の
因の寿命も、また「我成仏已来。甚大久遠」の果の寿命も、倶(とも)に常住であ
るとして「因果倶(く)常(じょう)」であることを明かされているのであります。


 また『法華玄義』には、

  「文に云く、我本菩薩の道を行ずる時、成ずる所の寿命今猶未だ
   尽きずとは、即ち是れ本の行因妙なり」(学林版玄義会本会P221)

と述べられ、「我本行菩薩道」を本因妙の文としています。


 その本因妙について、同じく『法華玄義』には、

  「本因妙とは、本初に菩提心を発し、菩薩の道を行じ、修する所の
   因なり。若(も)し十六王子、大通仏(注4)の時に在って弘経結縁
   する。
   皆是れ中間の所作にして本因に非ざるなり(中略)
   我本(もと)菩薩の道を行ずる時は中間に非ず。
   是れを過ぎて已前の所行の道は、之(こ)を名づけて本と為(な)す。
   即ち是れ本因妙なり」(同P214)

と仰せであります。

 すなわち、本因妙とは大通仏等、中間の仏の出現による種々の仏因を指し、寿
量品の「我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽」の御文に、その本因妙が明かされ
ているのであります。

 さらに『法華玄義』には、

  「本因妙とは、経に言(いわ)く、我本(もと)菩薩の道を行ぜし時
   成ずる所の寿命とは、慧(え)命(みょう)は即ち本時の智妙なり。
   我本行とは、行は是れ進趣、即ち本行妙なり。
   菩薩道時とは、菩薩は是れ因人、復(また)位妙を顕すなり。
   一句の文に三妙を証成(しょうじょう)す。
   三妙は即ち本時の因妙なり。迹の因に非ざるなり」(同P223)

と仰せであります。

 すなわち「我本行菩薩道。所成寿命」の文について「一句の文に三妙を証成す」
と仰せられて、久遠の本地における智妙・行妙・位妙の三妙が存することを釈さ
れ、「我本行」とは行妙、「菩薩道時」とは位妙、「所成寿命」は智慧とされて
この三妙を本時の因妙と釈されています。

 天台大師は、ここでは境智行位の四妙のうち、境妙については明らかにしてお
りませんが、妙楽大師は『釈籖(しゃくせん)』に、

   「一句の下は本因の四義を結す」(同ページ)

と仰せられて、智には必ず境あり、この故に、この文に本因の境智行位の四妙が
存すると明かされております。

 つまり、釈尊が久遠五百塵点劫に成道した根本の原因は菩薩道を修行したこと
にありますが、この時、常住の慧命を得たことを『法華文句』に

  「仏は円因を修し初住に登る時已に常寿を得たまえり。常寿は
   尽き?(がた)し、已に上の数に倍す、況んや復果をや」
   (学林版文句会本会P316)

と仰せられて、五十二位の第十一・初住位(注5)に登った時に常住の慧命を得
たとしておりますが、修行して後々の位に登るためには、智慧をもって観照する
対象としての智妙がなければならず、境智行位の四妙がそろって初めて、本因妙
としての修行の条件満たされるのであります。

 しかしながら、その本因妙の実体については、天台・妙楽等は内鑑冷然(ないが
んれいねん)にして詳しく述べ給わず、本因妙に対する見解は、詮ずるところ五十
二位の第十一・初住位にありとするところに止(とど)まっているのであります。

 それは、天台・伝教等の迹化・他方の菩薩の関わり合うことのできない最大深秘
の大法なるが故であり、この本因妙の法体こそ、末法出現の御本仏宗祖日蓮大聖人
によって示され、弘宣せられたのであります。

 そこで『開目抄』を拝しますと、

   「一念三千の法門は但(ただ)法華経の本門寿量品の文の底に
   秘してしづめたまへり」(御書P526)

と御教示あそばされております。

 この『開目抄』の御文を釈して『三重秘伝抄』には、

   「師の曰(いわ)く『本因初住(ほんいんしょじゅう)の文底に
    久遠名字の妙法・事の一念三千を秘沈し給えり』云云」
    (六巻抄P28)

と明かされ、また『開目抄文段』には、

   「『我本行菩薩道』の文底に久遠名字の妙法を秘沈し
    給うなり」(御書文段P67)

と御指南あそばされております。

 すなわち、釈尊の成道の本因は初住位に登ったところにありますが、これを
示した「我本行菩薩道」の文底に修行の対境が秘沈されており、釈尊成道の本
因は久遠名字の妙法を行じたところにあると示されているのであります。

 久遠名字の妙法とは、『当体義抄』に、

  「釈尊五百塵点劫(じんでんごう)の当初(そのかみ)、此の妙法の
   当体蓮華を証得して、世々(せせ)番々(ばんばん)に成道を唱へ
   能証所証(のうしょうしょしょう 注6)の本理を顕はし給へり」
   (御書P696)

と仰せでありますが、そもそもこの御文は本理の自証を明かされたものであり、
「五百塵点劫の当初」とは、他門流では皆、天台に準じて本果第一番の時を指
して「五百塵点劫の当初」と言っておりますが、これは不相になるが故であり
ます。

 正しくは、久遠元初の名字凡夫の御時(おんとき)を指して「五百塵点劫の当
初」と申すのであります。 まさしく「当初」の両字に意(こころ)を留(とど)
めて拝すべきであります。
 この名字凡夫の御時、妙法当体の蓮華を証得し給うを、本門寿量の当体の蓮
仏華と名づけるのであります。また久遠元初の自受用身と名づけ、また久遠名
字の報身とも名づけるのであります。しこうして、所証の法を「久遠名字の妙
法」と申すのであります。

 また『三世諸仏総勘文教相廃立』には、

  「釈迦如来五百塵点劫(じんでんごう)の当初(そのかみ)、凡夫に
   て御坐(おわ)せし時、我が身は地水火風空と知ろしめして即座
   に悟りを開きたまひき」(同P1419)

と仰せられ、仏が久遠元初に、己身の生命は三千の一切諸法と一体不二である
と覚知し成道したことを明かされ、人法一箇の深旨(じんし)を御教示されて
おります。

 故に『御義口伝』には、

   「自受用身とは一念三千なり」(同P1772)

と仰せられ、本地自行の真仏である久遠元初の自受用身と南妙法蓮華経とは体
一であることを明かされています。
 久遠元初の自受用身とは、すなわち末法御出現の御本仏日蓮大聖人を指し、
下種の教主とも、また本因妙の教主とも申し上げるのであります。

 故に『百六箇抄』には、

   「具謄(ぐとう)本種正法実義本迹勝劣正伝本因妙の教主本門
    の大師日蓮」(同P1685)

と仰せられ、さらに同抄に、

   「我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の事なり。
    其(そ)の教主は某(それがし)なり」(同P1695)

と仰せられ、これを『文底秘沈抄』には、

   「釈尊は乃(すなわ)ち是れ熟脱(注7)の教主なり
    蓮祖は即ち下種の教主なり
    故に本因妙の教主と名づくるなり」
                   (六巻抄P52)

と仰せられているのであります。

 さらにまたに『百六箇抄』には、

   「久遠元初の天上天下唯我独尊は日蓮是(これ)なり」
                  (御書P1696)

と、宗祖日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身たることを御明示あそばされてい
るのであります。

 されば、私ども一同、久遠元初の自受用身・末法御出現の宗祖日蓮大聖人を
下種の御本仏と仰ぎ奉り、その御魂魄(こんぱく)たる本門戒壇の大御本尊様に
対し奉り、至心に題目を唱え、自行化他の行業に励む時、即身成仏、決定(け
つじょう)として疑いないのであります。

 特に、昨今の混迷を極めている世情を見る時、一人でも多くの人に妙法を下
種結縁し、折伏を行じ、救済していかなければならないと痛感いたします。
なかんずく今、宗門は平成二十七年・三十三年の目標達成に向かって、僧俗
一致して大前進すべき大事な時を迎えています。

 この時に当たり、各位には、宿縁深厚にして、この機に巡り値(あ)える喜び
を噛み締め、誓願達成へむけて、いよいよ御精進くださることを心からお願い
申し上げ、本日の法話を終了いたします。


 『生死一大事血脈抄』

   「総じて日蓮が弟子旦那等自他彼此(じたひし)の心なく、水魚の
   思ひを成して異体同心にして南妙法蓮華経と唱へ奉る
   処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然(しか)も今(いま)日蓮が
   弘通する処の所詮是(これ)なり。若(も)し然(しか)らば広宣流布の大願
   も叶(かな)ふべき者か。剰(あまつさ)へ日蓮が弟子の中に異体異心の
   者之(これ)有れば、例せば城者として城を破るが如し」(同P514)


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注1:「非生現生」「非滅現滅」
   生ずに非ずして生を現ず、滅するに非ずして滅を現ずること。
   実在の如来は、常住不滅・非生非滅であるけれども、衆生の機の前には
   生を現じ滅を現じる。
   何故なら、方便の涅槃であることを衆生は知らないが為に「衆は我が滅
   度を見て広く舎利を供養し、咸く皆恋慕を懐いて渇仰の心を生ず」と
   釈尊が生きて教えを説いている時よりも、滅後にその教えを非常に尊び
   渇仰の精神を燃え起こすからである。

注2:果位
   仏道修行によって得られた悟りの位。仏果のこと。

注3:因位
   仏道の修行中で、まだ悟りを開くに至らない位。菩薩(ぼさつ)の地。

注4:大通仏(大通智勝仏 大通智勝如来)
   釈迦の師にあたる仏(如来)のこと。
   法華経化城喩品(けじょうゆほん)に出てくる仏で、三千塵点劫の昔
   に世に出て、八千劫の間「法華経」を説いたという。
   阿しゅく、阿弥陀、釈迦など十六仏をそのときの王子とする。

注5:五十二位の第十一・初住位
   菩薩が修行して得られる菩薩五十二位の中、下位から数えて第11番目の
   位で、菩薩が信を得て進んで仏地に住する位をいう。

注6:能証所証
   人が能動的に悟りを開くことを能証といい、人によって開かれる悟りを
   所証という。
   転じて「妙法を求めて成仏する、妙法によって成仏する。一大秘法
   三大秘法を求め導かれることで成仏する。(一大秘法、三大秘法と
   の縁が無ければ成仏はかなわない。)」という意か。

注7:熟脱
   過去すでに下されている仏種を調熟して成仏させること。
   熟脱の仏の特徴は、三十二相をもって身をかざることで人々に尊敬の
   念をおこさせ、法を信受させる。
   その説法は、まず爾前経(小乗経・権大乗経)を説き、次に法華経を
   説いて過去の下種を思い出させ、成仏させる。
   熟脱の仏は垂迹第一番の五百塵点劫以来多く出現し、最後に釈迦仏が
   出現した。
   この釈迦仏(釈尊)の説法を聞いて、過去に下種を受けた衆生はすべ
   て成仏し、また釈尊在世に成仏できなかった衆生も、その後正像二千
   年の間に生まれ、遺された釈迦仏法によりことごとく脱し終わった。
   ここまでが末法以前の状態である。
   しかし、末法に入ると過去に下種を受けた者は一人もいなくなり、衆
   生の機根は久遠元初と全く同じ、つまり「新たなる下種が無ければ
   誰一人成仏できない」状態となった。
   ゆえに、久遠元初の自受用身が、末法の全人類をお救い下さるために
   出現された。
   すなわち、大聖人様であり、今日においては戒壇の大御本尊様であり
   三大秘法である。
   この筋目から見ると、釈尊は数千年前に出現していても所詮は「熟脱
   の迹仏」であり、日蓮大聖人、戒壇の大御本尊様、三大秘法は、後に
   出現されても「下種の本仏」(と同位)となる。



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