教学資料室

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1月度 日如猊下御指南 その2

2012年03月07日 13時23分56秒 | 猊下御指南
()内は
 ・難読漢字等に対し、当用漢字への修正や読みの付加をした部分です。
 ・難解熟語には”注”として末尾に注約を付けてあります。
 ・正確を期してはいますが、これらは筆者独自に付加したものであり、正誤の責は筆者に帰します。



今回の御指導は総量としては短いですが、それだけに熟読しやすく、ピンポイントで
「今

何をやるべきか、どういう心構えで踏み出すべきか」がより鮮明に理解出来ます。

特に

○身軽法重・死身弘法の心構えで
○今この時に実行前進すべき(折伏を推し進める)

という点は繰り返し御引用・御指導で、ひいては創価学会が唱えるところの「仏法は
民衆が
主役」としていることが如何に間違っているか、法理の面から明らかにしておられま
す。



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新年之辞 (平成24年1月 大日蓮・第七九一号)
 
 立宗七百六十年の新春を迎え、御隠尊日顕上人猊下には御機嫌麗(うるわ)しく新年
をお迎えの御事と存じ上げます。
 また、宗内僧俗御一同には、清々(すがすが)しく新春を迎えられ、慶賀の至りに存
じます。
 本年「実行前進の年」は、平成二十七年・平成三十三年の目標達成へ向けて、三年
目に当たる誠に大事な年であります。

 昨年、宗門は僧俗の固い団結と師子奮迅の活躍により、八七.一六%、五百九の支
部が折伏誓願を達威し、就(なかん)中(ずく)、北海道第二布教区・北海道第三布教
区・山形布教区・宮城布教区・茨城布教区・甲信布教区・静岡北布教区・三重布教
区・京都布教区・南近畿布教区・兵庫布教区・山口布教区・香川布教区・福岡西布教
区・熊本布教区・南九州布教区では、管内全支部が折伏誓願を達成し(十二月十五日
現在)、完全勝利を収めることができました。
 これも偏(ひとえ)に、布教区内僧俗一人ひとりが、強盛な一念をもって折伏に取り
組んで来た結果であり、弛(たゆ)まぬ努力の賜(たまもの)でありますが、同時に、宗
務院布教部の指導のもと、適時行われた折伏推進指導会、並びに全国的には折伏推進
委員の昼夜を別(わか)たぬ献身的、精力的な指導激励によるものであり、布教部をは
じめ折伏推進委員各位の為宗為法の御奉公に感謝の意を表するものであります。

 さて、本年「実行前進の年」は、文字通り全支部が足並みを揃えて前進し、折伏誓
願を必ず達成すべき大事な年であります。
 前進とは、目標に向かって精魂込めて、ひたすら進むことであります。
 当然、それには行く手を阻む様々な障魔が惹起(じゃっき)しますが、身軽法重・死
身弘法(注1)の信心に徹し、目的達成に向かって勇敢に努め励むことが肝要でありま
す。

日蓮大聖人は『教行証御書』に、

「日蓮が弟子等は臆病(おくびょう)にては叶(かな)ふべからず。
彼々の経々と法華経と勝劣・浅深・成仏不成仏を判ぜん時
爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。何(いか)に況(いわ)んや
其の以下の等覚の菩薩(注2)をや。
まして権宗(ごんしゅう、注3)の者どもをや」(御書 P1109)

と仰せであります。
 一閻浮提第一の大御本尊に対する絶対的確信と勇気をもって、邪義邪宗の謗法を打
ち破り、折伏逆化(しゃくぶくぎゃっけ)の戦いに参加し前進していくところ、必ず御
本尊の御照覧を給わり、願いは達成成就されるのであります。 則(すなわ)ちこの確
信こそ、誓願達成の要諦と言えるのであります。 宗内僧俗各位には猶(なお)一層の
御精進をもって、来たるべき平成二十七年・三十三年の目標を達成すべく、先ず本年
「実行前進の年」を必ず勝利するよう衷心よりお祈りして、新年の挨拶といたしま
す。


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○注1:身軽法重・死身弘法

しんきょうほうじゅう・ししんぐほう。

「身軽法重・死身弘法」の語は、涅槃経疏巻十二の『菩薩品第十六』に説かれる文
で、「身は軽く法は重し、身を死(ころ)して法を弘む」と読みくだす。

 身軽:衆生の身は軽く
 法重:弘むべき法は重い
 死身:身命を賭して
 弘法:仏法を弘める。

という意味である。


「乙御前御消息」には、
 「身軽法重、死身弘法とのべて候へば、身は軽ければ人は打ちはり悪(にく)むと
も、法は重ければ必ず弘まるべし。法華経弘まるならば死かばね(屍)還つて(かえっ
て)重くなるべし。かばね重くなるならば此のかばねは利生あるべし」(御書 
P898)

と説かれており、身軽法重・死身弘法の覚悟で正法を弘通していくことが、自らの懺
悔滅罪の行法であること、その功徳によって軽いはずの凡夫の屍も(法と同じく)重
く尊いものになることを御指南されている。

また「松野殿御返事」に、

 「迹門には『我(われ)身命を愛せず但(ただ)無上道を惜しむ』ととき、本門には
『自ら身命を惜しまず』ととき、涅槃経には『身は軽く法は重し、身を死(ころ)して
法を弘む』と見えたり。本迹両門・涅槃経共に身命を捨てゝ法を弘むべしと見えた
り。此等の禁(いまし)めを背く重罪は目には見えざれども、積もりて地獄に堕つ」
(御書 P1051)

と仰せられているように
①身命を捨てて法を弘めなければならないこと
②この戒めにそむく場合の罪(罰)は「堕地獄である。」こと。

すなわち「やらなければならないこと。やらないことは謗法と同意であること。」を
示されている。


「身軽法重・死身弘法」の具体例は前掲の「松野殿御返事」で

 「雪山童子の古(いにしえ)を思へば、半偈の為に猶(なお)命を捨て給ふ。何に況ん
や此の経の一品・一巻を聴聞せん恩徳をや。何を以てか此を報ぜん。尤(もっと)も後
世(ごせ)を願はんには、彼の雪山童子の如くこそあらまほしくは候へ(中略)我が身
命を捨て仏法を得べき便りあらば、身命を捨てゝ仏法を学すべし」(御書 P1050)

と説かれているということを拝察しても、法華経を理解し、信じ、学び、行じる(そ
の中の重要な柱が折伏)ことが非常に重要であるという事が理解できる。



○注2:等覚の菩薩
    等覚は、52段階ある菩薩の位のうち、上から2番目の位。
    最上位の妙覚は一切の煩悩を断じ尽くした位で、仏・如来と同一視
    され、等覚は、その智徳が妙覚と等しくなったという意味で等覚と
    いう。
    つまり、意としては「仏と同一視される妙覚に比肩しうる等覚で
    あっても、法華経のありがたさとは比べ物にならない。」

    

○注3:権宗
  権とは「仮」の意味で、法華経以外の経典を表わす。

「権実相対」において法華経以前の四十二年の諸経と法華経とを比較し、勝劣が明ら
かになっている。
 
権大乗教の経典とは、五時教判(ごじきょうはん)の中の第一の華厳(けごん)時、第三
の方等(ほうどう)時、第四の般若(はんにゃ)時に説かれた経典をいう。(第二の何含
時は小乗教に分類される。)

華厳時では法を仮りに説き与えて衆生がその法を受け入れることができるかどうかを
試した華厳経が説かれた。

方等時では、様々な権大乗教が説かれ、前の阿含時で説いた小乗の教えに執着してい
る二乗を呵責(かしゃく)し、大乗教を慕(した)わせるように仕向けた。

般若時では、一切は皆空(みなくう)であると明かし、仏の教えは大乗の法のみである
と教え、大乗・小乗を融合させた。

以上のように、権大乗教(および小乗教)は真実の教えである法華経に導き入れるた
めの方便の
教えであり、故に釈尊も

「四十余年には未だ真実を顕さず。」(無量義経)
「正直に方便を捨てて、但無上道(ただむじょうどう)を説く。」(法華経方便品)

等々と述べている。



○注4:折伏逆化

謗法の者に(敢えて)対置して法華経の縁を結ぶこと。

末法は五濁悪世(ごじょくあくせ)の時代であり、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三毒
強盛(ごうじょう)の衆生が充満する時代であり、このような時代では熟益や脱益の釈
尊の仏法では成仏は出来ず、ただ下種仏法である大聖人の三大秘法の教えのみが衆生
を救える。

つまり、末法の衆生は久遠元初の御本仏の下種の妙法をもって折伏逆化すべきであ
り、その機縁であると知ることが「機を知る」ということにも繋がる。

これの対極にあるのが、学会が唱えるところの「随機(ずいき)説法」。
創価学会は「仏法は民衆が主役」としている。
確かに、信仰を持つのは個々の人(=民衆)であり、現代日本は民主主義であること
を合わせ思えば、この考えは浅見すると正しいように思える。
しかしこれは「教えを説く立場(正しい仏法に帰依する僧俗)と、説かれる立場(機
縁を持たない衆生)を取り違えた考え。」である。

大聖人は「撰時抄」で

「機に随(したが)って法を説くと申すは大(だい)なる僻見(びゃっけん)なり」(御書
 P846)

と仰せであり、ここから「法を信じ守る原動力は民衆であるが、末法の衆生を救う立
場としての僧俗は折伏逆化を忘れてはならないし、これを(意識的であると無意識で
あるとを問わず)忘れることは懈怠に留まらず、法を破る謗法と同義である。」とい
える。

大聖人御在世中も、諸宗が衆生の機根を主とし、法を従として、それぞれ勝手適当に
法を説いていた。
もちろん彼らにも一切衆生救済のために仏法を説いたという一分の想い(言いわけ)
はあろうが、末法という時と、衆生の機縁と、何より「南無妙法蓮華経の大法の存在
を知りながら、三宝を無視して」邪法を説くことは本未有善の衆生を地獄に堕す所業
であったともいえ、現代においては創価学会や顕正会の行為もこれと同義となる。
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1月度 日如猊下御指南 その1

2012年03月07日 13時23分05秒 | 猊下御指南
()内は
 ・難読漢字等に対し、当用漢字への修正や読みの付加をした部分です。
 ・難解熟語には”注”として末尾に注約を付けてあります。
 ・正確を期してはいますが、これらは筆者独自に付加したものであり、正誤の責は筆者に帰します。



なお。
今回の御指導の中の池田創価学会を呵責された部分について、教義上からも当然のことではありますが、その御文言(の方向性)が法的側面も考慮されたものであり「短いお言葉で、ややもすれば見過ごしてしまうかもしれないが、教義俗義両面に配慮された(凄みのある)御文言」であると感じましたので、少々長いですが「法的側面からの稚説」も加えてあります。(注3の部分)




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平成24年1月度 広布唱題会の砌(於 総本山客殿)


 皆様、新年あけましておめでとうございます。
 宗旨建立七百六十年の新春を迎え、御隠尊日顕上人猊下には、御機嫌麗しく新年を
お迎えのことと慶賀に存じ上げます。
 また、宗内僧俗の皆様には、すがすがしく「実行前進の年」の新年を迎え、決意も
新たに、いよいよの精進・御奉公をお誓いのことと存じます。
 総本山におきましては本年も恒例により、一月中、本日は元旦でもあり、広布唱題
会にもあたりましたので午前九時から行いましたが、原則的には午前八時より一時間
の唱題行を執り行いますので、各位にはこぞって御参加下さるようお願いいたしま
す。

 昨年、宗門は僧俗一致・異体同心の団結と、身軽法重・死身弘法の活躍により、全
国で五百七十七の支部が折伏誓願を達成いたしました(のちに五百七十八支部と訂
正)。
 これは国内全支部の九八・八〇パーセント、約九九パーセントにあたり、一昨年よ
りも大幅な増加であり、残念ながら全布教区・全支部達成には至りませんでしたが、
しかし全国の達成数を総計すれば誓願数を上回っており大きな勝利であります。
これもひとえに、全国的に法華講の折伏活動が活発化され、大きく変化をしている証
拠であります。

 また特筆すべきことは、東北地方の大多数の支部が、見事、折伏誓願を達成された
ことであります。
 予想をはるかに超え、国内観測史上最大と言われる大津波により壊滅的な打撃を受
け、多くの犠牲者を出し、未曽有の災害をもたらした東日本大震災、また、それに伴
う福島第一原発の放射能汚染問題など、幾多の障害と困難と悲しみを乗り越え、誓願
を達成されたのも、東北地方の方々の粘り強い強盛な信心と、目の当たりに大災害に
遭遇をして、かねて大聖人様が『安国論奥書』において「未来も亦然るべきか」(御
書P420)と仰せあそばされた御金言の御正意を拝し、なお一層の信心を奮い起こし、
災難にくじけることなく、強盛な一念に燃えて折伏に立ち上がった結果によるもの
と、心から敬意を表するものであります。

東北地方の一日も早い復興と、皆様方の御健勝を心から願うものであります。

 一方、海外においては、スペイン、フィリピン、パナマ、台湾、韓国、シンガポー
ル、マレーシア、アメリカニューヨーク、同じくロサンゼルス、香港、カナダバン
クーバー、ガーナ、アルゼンチン等、寺院あるいは布教所のある地域をはじめ、寺
院・布教所がいまだ建立されていないメキシコ、デンマーク、セルビア、タイ、イギ
リス、トーゴ、ペナン、コンゴ、ぺルー、チリ等の多くの国々でも誓願を達成してお
ります。
 総本山から遠く離れた所でも、このように世界各国で大聖人様の御正意を体し、全
世界の平和とすべての人々の幸せを願って真剣に折伏を行じ、活動されていることに
心からの敬意と声援を送るものであります。

 このように、昨年は国内外ともに、折伏の気運が大いに高まり、二十七年・三十三
年へ向けて大きく前進することができました。
 これはひとえに、国内外の法華講の方々が、来たるべき平成二十七年・三十三年の
目標達成が一天四海本因妙広宣流布(注1)にとっていかに重要な通過点であるかを
認識され、あらゆる障魔を乗り越え、勇猛果敢に折伏を行じてきた結果であり、いわ
ば努力と団結の結晶であります。このことは、やがて必ずや二十七年・三十三年なら
びに広宣流布の戦いにとって大きな力となるものと思います。

 どうぞ、皆様にはこれからもなお一層の信心に励まれ、誓願達成・広布達成へ向け
ていよいよの御精進を心から願います。
 なおまた、昨年暮れには全国の法華講の方々から、『立正安国論』正義顕揚七百五
十年の記念事業の遂行に当たり、特別御供養をいただき、まことに有り難うございま
した。いただいた御供養は、御影堂の大改修工事ならびに関連事業に有効に利用させ
ていただきたいと思います。ここに改めて厚く御礼を申し上げるものであります。ま
ことに有り難うございました。

 さて、本年は「実行前進の年」であります。
 実行前進とは、折伏を実行し、折伏をもって遠くは一天四海本因妙広宣流布達成、
近くは来たるべき平成二十七年・三十三年の目標達成へ向かって僧俗一致・異体同心
して前進することであります。

大聖人様は「立正安国論」に、

 「広く衆経を披き(ひらき)たるに専ら謗法を重んず。恋しいかな
  皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。愚かなるかな
  各悪教の綱に懸かりて鎮(とこしなえ)に謗教の網に纏はる。(まつわる)
  此の朦霧(もうむ)の迷ひ彼の盛焔(じょうえん)の底に沈む。
  豈愁へざらんや、豈苦しまざらんや。
  汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。
  然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。
  十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。
  国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。
  此の詞(ことば)此の言(こと)信ずべく崇むべし」
  (御書P250 注2)

と仰せられ、また、

 「早く天下の静謐(せいひつ)を思はゞ須く(ことごとく)国中の謗法を断つべ
し」(御書P247)

と仰せられています。

 今日の如き、人心の乱れとたび重なる国土の災難を防ぎ、真の世界平和と仏国土を
実現するためには、世の中の人々に、邪義邪宗の謗法が国土、人心を破壊する根本原
因であることを教え、誤った信仰を捨てさせ、「実乗の一善」すなわち御本仏日蓮大
聖人の出世の御本懐たる、本門戒壇の大御本尊に帰依することが最善の道であること
を伝えていかなければなりません。その具体的実践の方途が、すなわち折伏でありま
す。

故に「聖愚問答抄」には、

 「邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣(さしおい)いて謗法を責むべし、
是折伏の修行なり」 (御書P402)

と仰せになり、また「曽谷殿御返事」には、

 「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、
  水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」
 (御書P1040)

と御教示あそばされています。

 世間には、池田創価学会をはじめ様々な邪宗教がはびこっており、その邪義邪宗に
惑わされた人達が大勢おります。このような人達に対して、謗法は不幸の根源である
ことを説き、その謗法を責め、謗法を破折することが、幸せな境界を構築し、平和な
仏国土を実現するためには絶対必要なのであります。

大聖人は「曽谷殿御返事」に、

 「涅槃経に云はく『若し善比丘あって法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し挙処
せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せ
ば、是我が弟子、真の声聞なり』云云。此の文の中に見壊法者の見と、置不呵責の置
とを、能く能く心腑に染むべきなり。法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀
ともに無間地獄は疑ひなかるべし。南岳大師の云はく『諸の悪人と倶に地獄に堕ち
ん』云云」(御書P1039 注3)

と仰せられています。

 我々本宗僧俗は、この御金言を厳しく受け止め、邪義邪宗こそが人々を不幸にし、
国土世間を危うくする元凶であると断じて、一切の謗法を破折し、折伏をしていくこ
とが、今、最も大切なのであります。

 今、宗門は、来たるべき平成二十七年・三十三年へ向かって、僧俗一致・異体同心
して前進をしております。
 平成二十七年・三十三年の目標を達成するためには、折伏以外にはありません。つ
まり、折伏こそ、確固たる広宣流布の礎を築くための絶対不可欠な要件だからであり
ます。
 このことは皆様も重々御承知のことと存じますが、それが単なる願望であっては、
目標は達成できません。目標を達成するためには、まさしく折伏をもって「実行前
進」することこそ肝要であります。
 その「実行前進」するためには、一人ひとりが、まずしっかりとお題目をあげてい
くことが大事であります。唱題は、三大秘法のなかの本門の題目の実践であります。
この唱題こそが仏道修行の根本であり、誓願達成の源泉であり、成仏のための大事な
行であります。


大聖人様は「三大秘法抄」に、
 
 「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙
法蓮華経なり」(御書P1594)

と仰せになられ、この本門の題目には自行と化他の両義が具わることを御教示あそば
されています。

 申すまでもなく、自行の題目とは唱題行であります。化他の題目とは、すなわち折
伏行であります。唱題と折伏は一体のものであり、唱題こそが折伏のあらゆる活動の
源泉となるのであります。
 折伏に当たって、何ものにも恐れない不動の信念と強い確信に立ち、あらゆる障魔
を打ち払うためには、勤行・唱題をしっかりと行うことが肝要であります。
 折伏は、あふれんばかりの唱題の功徳と歓喜をもって打って出ることが、最も大事
だからであります。

大聖人は「祈祷抄」に、

 「大地はさゝば(指さば)はづるゝ(外るる)とも、虚空をつなぐ者はありとも、
潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ
事はあるべからず」(御書P630)(注4)

と仰せであります。

 御本尊に祈り、広布に生きる使命を感じ、世のため人のため、身軽法重・死身弘法
の信念に燃え、強い確信をもって折伏を行ずる時は必ず相手の心を動かすのでありま
す。
 どうぞ、皆様には本年「実行前進の年」を悔いなく戦いきり、必ずや本年度の折伏
誓願を全支部が達成されますよう心からお願いを申し上げ、本日の挨拶とさせていた
だきます。

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注1:一天四海本因妙広宣流布
【通釈】
  御本仏の大である一天四海にわたる本因妙の仏法の広宣
  流布が成就されるさま

【語句解釈】
 (1)一天四海
    仏教の世界観でいう東弗婆提(とうはつばだい)
    西瞿耶尼(さいくやに)、南閻浮提(なんえんぶだい)
    北鬱単越(ほくうつたんのつ)の四洲を四天下、または
    一天といい、東西南北の四方の大鹹海(だいかんかい)を
    四海という。
    この一天四海で一つの世界全体を表す。
 (2)本因妙
    本果妙に対する語。
    ここでは寿量文底下種の三大秘法をあらわす。
 (3)広宣流布
    仏法を広く宣べ流布すること。
    法華経薬王菩薩本事品第二十三に

注2:
【通訳】
経文を開いてみると謗法の罪が最も重い。
であるのに衆生はみな正法の家を捨てさって邪教謗法の獄に入ってしまう。
まことに愚かであり悲しいことである。

(万人が)ことごとく悪い教えの綱にひかれ、永遠に謗法の網にからまって脱げ出せ
ずにいる。今生では迷いの霧にたちこめられて盲目となり、無量の災難を受け、後生
では地獄の焔の底に沈み無限の苦悩を受ける。
これを心配せずにいられようか?
これを苦しまずにいられようか?

貴方は一刻も早く邪宗を捨てて唯一真実の教えである法華経に帰依せよ。
そうするなら、三回は全て仏国となり、仏国は決して衰えることはなく、十方の世界
はそのまま宝土(浄土)となる。

浄土となった国は決して衰えも壊れもせず破壊されることもないのであるから、わが
身は安全であり心は平和であろう。
この教えと言葉は真実であるから、信じ崇めなさい。


注3:仏法中怨(ぶっぽうちゅうおん)

「仏法の中の怨(あだ)」と読む。
「善比丘」とは、基本的には出家僧を指すが、ここでは僧に限らず正法をたもつ僧俗
全体という意味。
「法を壊る者」とは正法を破壊する謗法者のこと。
「呵責(かしゃく)」とは法を壊る謗法者に対して誤りを指摘し、叱り、責めるこ
と。

「駈遣(くけん)」とは追い払うことで、謗法を改めない者を追い払い、正しく仏法
を護ること。
「挙処(こしょ)」とは悪事をはっきりと挙げて、正しい対処を行うことをいう。

「声聞」とは二乗界の声聞を意味するが、ここでは「仏道の声を以て一切に聞かしむ
人」「仏説を聞く人」の意味であり、当宗僧俗をいう。

大聖人様は仏法中怨を、曽谷殿御返事に限らず立正安国論にも引用されていることか
ら、当宗僧俗(および全ての安寧のためにとって)は重要な行いであることが伺えよ
う。

また後段の「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひな
かるべし。」は「責めないこと(呵責も駈遣も挙処もしないこと)」の結果を顕して
おられることから、呵責・駈遣・挙処については「やるべきことであり、やらないこ
とは謗法と同じ結果に至る。」とも読みとれる。


ちなみに。
現在の日本国の法律では他者の批判は刑法(逮捕権や身体拘束刑が発生する可能性を
持つ。)でも民法(基本として逮捕権も身体拘束刑も発生しない。)でも厳しく制限
される。
また、名誉棄損は伝えた内容が真実であっても成立しうる場合が多い。(信仰と一線
を画した公益性がある場合や、俗世間権力における公人を除き。)
故に、現代法の下では相手が池田大作氏であっても、個人の人格だけを取り出して公
けの場で批判することは「刑法上の」取り扱いを受ける可能性がある。(侮辱罪=親
告罪が成立するか否かがカギとなる。)


しかし。(ここからが非常に重要な点であるが)
これを逆の面から捉え、かつ信仰の自由(憲法第20条)及び表現の自由(憲法第2
1条)を加えてみると、「信仰の内容(≒教義およびその解釈と、それに対する具体
的な行動解釈)」については、多少過激な表現を加えようと、その表現の掛かる部分
が教義解釈を逸脱しないのであれば、その自由は憲法によって保障される。
すなわち「上手く表現すれば刑法上も民法も関係ない次元で守られる。刑法民法を潜
り抜けるという意味ではない。それらを超越した次元で守られるという、ある種怖い
ものなしの状態で行う事が出来る。」といった、非常に心強い状態となる。

身近な例では、御隠尊様への創価学会誹謗に対する最高裁判決を参照のこと。
http://boygirl.freeservers.com/hanketubun2.html

この判決文の第四において最高裁は「宗教教義上の論争の一環として行われ(中略)

行動が教義違背となることを示すものであり、このような紛争に裁判所が介入するこ
とになれば(略)日蓮正宗の教義は何か、阿部日顕の行動が右教義の違背となるか否
かを確定した上、(略) 報道につき、違法性の有
無、程度の問題を含めて名誉毀損等の成否を判断する必要が生じることになり、そう
とすれば、結果として国家が教義問題に立ち入ることとなり、憲法二〇条で保障され
る信教の自由を犯すことになるのみならず、裁判所が本来判断し得ない事柄を判断す
ることになる。」と断定(=確定した判決。以後の解釈の基礎となる。)している。

訳すると「宗教教義上の一環として行われている(範囲を逸脱しない)もの、すなわ
ち『教義違背に対する非難の内容(言辞等)』については、『名誉棄損(≒最悪は刑
法が適用される事例)であっても裁判所は判断しない。』」
「なんとなれば、それを判断するには教義問題へ国家(≒三権の一である司法)が介
入することであり、それは明確な、解りきった事例として争いようの無い憲法違反で
あるから。」と判断している。


どういう事かと言うと....。
(1)特定個人の名を挙げて
(2)「邪宗を信じる故に『○○(具体的な罪業)が』あらわれた。」と
(3)日蓮正宗(信徒)の立場をあきらかにして
(4)公けの場、不特定多数が閲覧できる場で
(5)非難した場合。
には、
 a.(1)において、特定個人を対象とするので非公益にヒットする
   可能性がでる。
 b.(2)において、具体的な事象、例えば病状であるとか、私人が
   守られるべき秘密を承諾なく公表することは危険。
 c.(3)において、信教上制止する立場が存在することが明確化
 d.(4)(5)において、名誉棄損等の基本要件が確定。
となる。

しかし、例えば
(6)特定個人ではなく、”公益”法人たる宗教法人もしくは公益性を持つ公人を相手にして
(7)教義の誤りと、それによる一般的罪業(教義における因果)を
(8)日蓮正宗(信徒)として(教義上の当然の権利として)
主張することには、何らの法的問題も公的機関(司法・行政)による制止権限も発生
しえない。

さらには、制止や牽制を行った側に、基本的権利の侵害の可能性が発生しうる。


具体的には。
「創価学会の流布する偽本尊をあがめること、そのような教義に従った布施をするこ
と、そのような教義を流布する人々をあがめることは間違いであり、無間地獄に落ち
る行為である。例えばそのような人が回りに居ませんか?創価学会の活動を一所懸命
に行っているのに病気になる、経済的に苦境に陥る等々。一所懸命に行って、自ら他
者に「この本尊、この団体の活動を熱心に行えば成仏できる。」と唱えているのに、
自らが重病に陥ったりしている人を見ていませんか? そういう団体をオカシイと思
いませんか? そのような教義を勧める人はあなたを「騙して」いるんです。
(以下、責める言辞)」ということは、憲法という国の最高の法が認めた行為であるのだから、
堂々と何処ででも行え、相手は制止しえない事になる。
(もちろん、道路使用許可等、別の面での法令ヒットには注意が必要。)

故に。
本御指導にも「世間には、池田創価学会をはじめ様々な邪宗教(後略)」とあり、こ
れらが不幸の原因であると喝破されているが、この方向の表現は信仰の上に留まら
ず、法(化義に属するか)の上でも完璧な配慮がなされたお手本になるのではないか
と考える。



注4:
平成19年度 第5回法華講夏期講習会
御法主日如上人猊下御講義より

仏様は主師親の三徳を具えたお方であり、諸天等はその仏様に法華経において成仏を
許され、法華経のために身を惜しまないと誓ったわけですから、諸天善神は法華経の
行者を守護しております。

したがって、法華経の行者の祈りがかなわないはずがないと、このようにおっしゃっ
ているのです。

「大地はさゝばはづるゝとも」
とありますように、大地を指して外れることは絶対にないわけであります。

また
「虚空をつなぐ者はありとも」
というのも、そのようなことは絶対にできないのでありますが、もしそういった者が
あったとしてもということであります。

また
「潮(しお)のみ(満)ちひ(干)ぬ事はありとも」、
というのは、いわゆる干潮と満潮のことですが、もしも潮の満ち引きがなかったとし
ても、
さらには
「日は西より出(い)づるとも」、
と仰せであります。

これらは絶対にありえないことでありますが、よしんば天地がひっくり返って、その
ようなことが万が一にあったとしても、「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべ
からず」とお示しであります。

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12月度 日如猊下御指南

2012年03月07日 13時02分06秒 | 猊下御指南
()内は
 ・難読漢字等に対し、当用漢字への修正や読みの付加をした部分です。
 ・難解熟語には”注”として末尾に注約を付けてあります。
 ・正確を期してはいますが、これらは筆者独自に付加したものであり、正誤の責は筆者に帰します。

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平成23年12月度 広布唱題会の砌 (於 総本山客殿)

 皆さん、おはようございます。
 本日は、本年度最後となる十二月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労様でございます。
 本年「実践行動の年」もいよいよ十二月に入り、残りあと二十八日となりましたが、各支部ともに誓願を達成すべく、懸命に戦っているものと思います。
 お陰さまで、皆様方の昼夜をわかたぬ僧俗一致の戦いによって、現在、四百四十一の支部が誓願を達成し、達成率七十五・五一パーセントとなり、全支部達成へ向けて力強く前進しつつあることは、まことに喜びに堪えません。今の勢いをもってすれば、必ずや本年度は全支部が誓願を達成するものと、固く信じてやみません。

 皆様も御承知のとおり、折伏は今日の如き混沌とした世の中を救い、苦悩にあえぐ多くの人々を幸せに導く最善の方途であります。
 そもそも、折伏は地涌の菩薩の使命であり、一切衆生を救済する、最も尊い行業であります。

 日蓮大聖人様は『諸法実相抄』に、

 「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書P666)

 と仰せでありますが、私ども本宗僧俗はこの御金言を拝し、地涌の菩薩の眷属として、末法濁悪の世の中にあって、一天四海本因妙広宣流布の願業達成を目指し、固い信念を持って一意専心、折伏に精進することが最も大事なことであることを、まずしっかりと自覚しなければなりません。
 その折伏に当たって、私達が心得うべき一番大切なことは何かといえば、それは御本尊様に対する絶対の確信であります。

「如説修行抄」に、

 「諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと
  音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して
  御覧ぜよ」(御書P673)

と仰せのように、諸宗・諸経は無得道、堕地獄の根源、不幸の因であり、御本尊以外に私達が幸せになる法は絶対にないとの強い確信を持って、人々に訴えていくことが肝要であります。


 されば「阿仏房尼御前御返事」には

  「信ずる者は成仏をとぐ、謗ずる者は無間大城に堕つ」(御書P905)

と仰せられ、信ずる者と謗ずる者との両極を明確に御指摘あそばされているのであります。

 私どもは、この御金言をよくよく拝し、御本尊様への強い確信に立って、正邪を判別して破邪顕正の戦いに臨んでいくことが大事であります。

 さて、法華経薬王菩薩本事品を拝しますと「十喩」が説かれています。
 十喩とは、法華経が諸経のなかで最高・最勝の教えであることを示すために説かれた、十種類の譬喩(ひゆ)であります。

 すなわち、諸々の水のなかで海が第一であるように、諸々の山のなかで須弥山が第一であるように、諸々の星のなかで月天子・月が第一であるように、日天子・太陽が諸々の闇を除くように、諸王のなかで転輪聖王(てんりんじょうおう。注1)が第一であるように、帝釈天が三十三天の王であるように、大梵天王が一切衆生の父であるように、一切の凡夫のなかで阿羅漢・辟支仏(ひゃくしぶつ。縁覚のこと)などの聖者が第一であるように、声聞・縁覚のなかで菩薩が第一であるように、仏が諸法の王であるように、この法華経は諸経のなかの王であると説かれています。

 さらにこのあと、経文には十二の譬えをもって法華経の勝れた利益を説かれています。 十二の譬えとは、法華経は能く一切衆生を救い、諸々の苦悩を離れさせ、利益を与え、その願いを満たすことを、十二の譬えをもって説かれたものであります。
 すなわち、清涼の池が渇いた者を満たすように、寒い者が火を得たように、裸の者が衣を得たように、商人が商隊を組む時の主を得たように、子が母を得たように、渡りに船を得たように、病に医者を得たように、暗闇に灯を得たように、貧しい者が宝を得たように、民が王を得たように、賈客(こかく)、これは貿易商人のことでありますが、賈客が海を得たように、矩(く。注2)が暗を除くように、この法華経は衆生の一切の苦、一切の病痛を離れ、一切の生死の縛を解く利益があると説かれているのであります。
 すなわち、法華経が諸経中王、最勝の教えであること、その功徳が広大無辺であることを「十喩」と「十二譬」をもって説かれているのであります。
 申すまでもなく、ここで法華経と仰せられているのは、文底観心の上から拝せば、法華経本門寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経のことであります。つまり、文底秘沈の南無妙法蓮華経こそ最勝・最尊の法なるが故に、その功徳もまた「十二譬」に説かれているように、計り知れないほど広大なものがあることを示されているのであります。

 故に『聖愚問答抄』には、

 「此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に、功徳として
  来たらざる事なく、善根として動かざる事なし」(御書P408)

と仰せられ、『内房女房御返事』には、

 「妙法蓮華経と申し侯は一部八巻二十八品の功徳を
  五字の内に収め候。譬へば如意宝珠の玉(注3)に
  万の宝を収めたるが如し。一塵に三千を尽くす法門
  是なり」(御書P1490)

と仰せられ、妙法蓮華経の功徳の広大なることを、あらゆる願いをかなえる「如意宝珠の玉」に譬えて示されているのであります。
 私どもは、これらの御金言を心肝に染めて、一日も早く、また一人でも多くの人々に、強い確信を持って三大秘法の大御本尊を持ち、南無妙法蓮華経と唱え奉る功徳により、いかなる人でも、煩悩と業に苦しむ我が身を、法身・般若・解脱の三徳と開き、現当二世にわたり、真実の幸福境界を成就することができることを心を込めて説き、折伏を行じていくようにしなければなりません。

 では、その強い確信に立つためにはどうすればよいのか。それは勤行・唱題にしっかりと励んでいくことであります。御本尊に真剣に祈り、相手を思う真心と強い確信が命の底から涌き上がってきた時、その燃えるような一念の慈悲の言葉は、必ず相手の心を揺さぶらずにはおかないのであります。
 要は、唱題の功徳と歓喜をもって折伏に打って出る、これが折伏達成の秘訣であります。

 大聖人様は『妙法尼御前御返事』に、

 「法華経の名号を持つ人は、一生乃至過去遠々劫の
  黒業の漆変じて白業(びゃくごう)の大善となる。
  いわうや無始の善根皆変じて金色となり侯なり」(御書P1483)

と仰せであります。


 どうぞ皆様には、御本尊様を受持信受する絶対の功徳を固く信じ、本年も残りわずかとなりましたが、いまだ誓願を達成されていない支部はなんとしてでも誓願を達成され、既に達成した支部は新たなる下種先を開拓し、次の戦いに備え、いよいよ御精進くださるよう心からお願いを申し上げ、本日の挨拶といたします。


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注1:転輪聖王
   転輪王、輪王とも。
   古代インドの伝説上の理想的国王。
   身に三十二相を備え、即位のとき天より感得した輪宝によって四方を降伏(ごうぶく)させ、ダルマ(法)による理想的な統治をおこなうとされる。
   輪宝の種類により、金輪王・銀輪王・銅輪王・鉄輪王の四王(4種の転輪聖王)に分類される。

注2:矩
   たいまつ(炬火)の意か?

注3:如意宝珠の玉
   意のままに様々な願いをかなえる等、様々な霊験を表すとされる宝の珠のこと。



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備忘&カテゴリー方針

2012年01月30日 13時49分55秒 | 妙相寺勉強会自習解説
妙相寺にて行われる勉強会、特に樋田さん主催の勉強会についてのカテゴリーです。

[2012.03.09補足]
①自習は以下の通りに行います。
  ・相手主張と、主張を支える公理(注1)等の論拠を抽出
  ・破折資料が公理等の論拠をどう崩すのかを抽出
  ↑
  ここまでで止まっては効果が薄い場合あることに注意

  ○破折と同時に、どう呵責するか

   注意1公理(こうり、Axiom)
    ある命題(結論)を導き出すため、前提となる基礎原理。
    (基礎仮定としても良い。)
    議論に置いては、互いに納得できる公理を元にして自説
    の正当性を主張することとなる。
    例えば
     ・結論:東京より沖縄の方が日の出が遅い
     ・公理:a.東京は沖縄より東に位置する。
         b.太陽は東から昇る。(自転方向)
         c.東京と沖縄は同一国内
           (日付変更線を越えない。)
    この場合、公理a~cが正しければ結論も正しいが、公理
    のうち一つでも間違いであると証明されれば、結論も否定
    される。


相手の論拠が崩れれば(論拠自体の崩壊、公理からの滑落)が起これば
相手の主張も崩れるのが議論のイロハであり、これ自体が「議論の公理」
とも言えるが、破折の場合は長文になるため、自習者にとって「論拠の
提示と否定」が見えにくくなる場合がある。

よって、資料の理解を深める第一歩として、議論の幹となる「論拠の提
示と否定」の抽出試みる。
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備忘&カテゴリー方針

2012年01月30日 13時48分15秒 | 猊下御指南関連御書
猊下御指南に出た御書について、過去の御指導等による解説を中心に、初心者でも解りやすく解くカテゴリーです。
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