街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。

東海道(四日市~桑名)

2017年03月20日 12時14分35秒 | 街道を歩く
昨日、東海道を四日市から桑名まで歩きました。

一昨日の交差点から少し国道1号線を歩いたあと外れて、海蔵(かいぞう)川を渡る。



海蔵川を渡ったあと、川沿いの公園に立つ三ツ谷一里塚跡。海蔵川の拡幅により、元の一里塚は川の中に取り込まれました。
2001年に、東海道宿場・伝馬制度制定400周年を記念してこの場所を一里塚跡として石碑を建てました。



近鉄名古屋線・霞ヶ浦駅近くの大宮町にある志氐(しで)神社の鳥居の通りを挟んで向かいにある妋石(夫婦石、みよといし)。
志氐神社にはイザナギ、イザナミの夫婦の神様が祀られており、縁結び、夫婦円満の神徳があることから置かれたもの。



茂福(もちぶく)町にある力石と新設用水道碑。
力石は、明治中頃に、再建する御堂に使う土台石を奉納した際、奉仕の人々が力比べに土台石を持ち上げたことに由来します。
新設用水道碑は、1904年に富田十四(じゅうし)川の中間より暗渠による水路を茂福地区へ通したことに由来するもの。
1959年の伊勢湾台風で水路に土砂が流れ込み、十四川の水質悪化もあり用水道は消滅しました。



近鉄・JR富田駅近くにある四日市市富田地区市民センター。富田は四日市と桑名の間の宿として栄えました。敷地内に古い道標があります。
「その手は桑名の焼き蛤」という地口が有名ですが、このセンターの説明によると、焼き蛤が名物なのは富田と小向(おぶけ、朝日町)とのこと。
富田が桑名藩の藩領であったことから、桑名名物とされるようになったようです。



三重郡朝日町に入り、朝明(あさけ)川を渡り、伊勢湾岸自動車道をくぐります。



「柿」交差点を過ぎたところに林立する、柿地区まちづくり協議会によるさくらまつりの幟。



桜並木のある道より関西本線を臨む。



近鉄伊勢朝日駅付近にある、街道の並木として植えられた樹齢300年のエノキ。
松並木は、第二次大戦末期に松根油をとるために使われてなくなり、エノキが残りました。



伊勢朝日駅前にある東芝三重工場。



員弁(いなべ)川を渡る手前にある金光寺。1870年以降は無住とのことですが、六地蔵を含む計10体の地蔵はきれいでした。



員弁川を渡り、桑名市に入る。



火の見櫓が再建された、矢田町の矢田立場。立場とは、宿場間にあって休憩できる茶店などがある所です。



桑名石取(いしどり)祭に使う山車をしまっている、東鍋屋町にある石取祭車蔵。蔵は方々にあります。
桑名石取祭の祭車(さいしゃ)行事は、2016年12月にユネスコ無形文化遺産に登録されました。



3月30日から4月2日まで、桜で賑わう街を提灯と灯籠で照らす「灯街道」を初めて実施することをアナウンスする幟。



石取会館。1925年、四日市銀行桑名支店として建築されました。文化庁登録有形文化財です。



「歴史を語る公園」の南端にある三条大橋。この公園は、東海道五十三次をモチーフにして造られています。



公園の中にある、たぶん富士山。



公園の北端にある日本橋。



春日神社(正式には桑名神社・中臣神社)の銅鳥居。1667年に7代桑名藩主・松平定重が建てた、青銅製で高さ6.9mの鳥居です。



七里の渡し跡にある伊勢神宮一の鳥居。昨日はここまでとしました。桑名宿の突端です。
東海道は、ここから海上ルートとなり、七里(約28km)を船で移動します。次は熱田からのスタートとなります。



七里の渡し跡より、なばなの里などがある長島を臨む。



JR桑名駅より帰宅。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 東海道(関~四日市) | トップ | 西近江路(海津~敦賀) »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む