
私にとって雲の上の存在のような大先輩である
品川530さんのブログ「むかし鉄・いま鉄な日々」さん
の所で「撮らなかった写真」というエントリーを拝見
しました。当時食指が動かず撮らなかったもので
あとから後悔するものがたくさんあります。
私も相当考えさせられるエントリーだったので失礼とは
思いながらも今思えばきちんと記録するべきだった
反省を踏まえ、思い残しのあるものをご紹介したいと
思います。
1984年2月、東海道、山陽の大幹線を闊歩し
続けたEF58が荷物列車牽引の大任を終えた。
旧性能機として位置付けられたゴハチは限界を迎え
代替機への交代は急務だった。後継機の選出は
いくつもの案があったが落ち着いたのは碓井越え
の貨物廃止により大量余剰になったEF62の
コンバートだった。
この話は度肝を抜かれた。本来横軽の急勾配区間を
見越して設計された山男が余剰と電暖装備と言う
だけでスプリント区間を走るのは違和感がありすぎた。
曲線通過性能に劣るC−C配列、1:4.44という
ローギヤードなギア比。定格68kmのゴハチに対し
定格39kmのロクニで1000kmの長距離を
性能最高速度限界近くで連続運転をしろと言うのは
壊そうとしているとしか考えられなかった。
恐らくギア比は高速向けに改造されるのだろうとの
予想を裏切りそのままの状態で移動してきたロクニ
たちは連日悲鳴のようなモーター音を響かせて必死に
走っていった。しかしそんな努力も空しく、人気絶頂
だったゴハチを事実上の引退に追い込んだ張本人として
彼らに対する風当たりは冷たいものだった。
晴れ渡り、最高の光線が降り注ぐ午後の白糸川橋梁。
上りの臨時列車までには相当時間があるので下りアングルの
ミカン山に登る。ちょっと前まではゴハチの荷物列車を追い、
アングルの大移動が行われたが同好の士達は上りアングルから
動こうとはしない。順光の最高な条件の中、碓氷で
聞き慣れたあの独特な音を響かせながらロクニは鉄橋を
渡って行く。だが彼にレンズを向けた者は殆どいなかった。
品川530さんのブログ「むかし鉄・いま鉄な日々」さん
の所で「撮らなかった写真」というエントリーを拝見
しました。当時食指が動かず撮らなかったもので
あとから後悔するものがたくさんあります。
私も相当考えさせられるエントリーだったので失礼とは
思いながらも今思えばきちんと記録するべきだった
反省を踏まえ、思い残しのあるものをご紹介したいと
思います。
1984年2月、東海道、山陽の大幹線を闊歩し
続けたEF58が荷物列車牽引の大任を終えた。
旧性能機として位置付けられたゴハチは限界を迎え
代替機への交代は急務だった。後継機の選出は
いくつもの案があったが落ち着いたのは碓井越え
の貨物廃止により大量余剰になったEF62の
コンバートだった。
この話は度肝を抜かれた。本来横軽の急勾配区間を
見越して設計された山男が余剰と電暖装備と言う
だけでスプリント区間を走るのは違和感がありすぎた。
曲線通過性能に劣るC−C配列、1:4.44という
ローギヤードなギア比。定格68kmのゴハチに対し
定格39kmのロクニで1000kmの長距離を
性能最高速度限界近くで連続運転をしろと言うのは
壊そうとしているとしか考えられなかった。
恐らくギア比は高速向けに改造されるのだろうとの
予想を裏切りそのままの状態で移動してきたロクニ
たちは連日悲鳴のようなモーター音を響かせて必死に
走っていった。しかしそんな努力も空しく、人気絶頂
だったゴハチを事実上の引退に追い込んだ張本人として
彼らに対する風当たりは冷たいものだった。
晴れ渡り、最高の光線が降り注ぐ午後の白糸川橋梁。
上りの臨時列車までには相当時間があるので下りアングルの
ミカン山に登る。ちょっと前まではゴハチの荷物列車を追い、
アングルの大移動が行われたが同好の士達は上りアングルから
動こうとはしない。順光の最高な条件の中、碓氷で
聞き慣れたあの独特な音を響かせながらロクニは鉄橋を
渡って行く。だが彼にレンズを向けた者は殆どいなかった。












EF62の東海道時代は、私も思い残しばかりです。土曜踊り子の前に来る荷物列車以外、あまり撮っておらず、このアングルもたしかないはずです。。。
もう、すでに枯れ鉄だった時代に、通勤で使う東海道線で見かける、ロクニの姿。無知な私にとっては、歯数比がどうのというより、ただただ正面貫通へのあこがれだけでしたが、東海道線草津−守山でロクニの姿を追いました。
ロクニの姿を捉えた瞬間の満足感は、例えようもなく、今も心に刻まれています。
いえいえ、こちらこそ東海道のロクニを振り返る
いい題材を提示して頂きありがとうございました。
東海道のロクニ荷物は撮影場所が限定されており
後悔の念が一杯です。こんな思いは二度としたくないと
思いつつも又別のところで繰り返してしまいます。
当時枯れ鉄さまがお住まいだった西の地方では
ロクニが荷物を牽くようになるまではご覧になれない
機種でしたね。非貫通が主流だった東海道で貫通扉の
ついたロクニはさぞかし違和感のあったことでしょう。