以下は前章の続きである。
自然の時間は流れない
三番目の自然の時間が一番難しい。
ベルクソンの功績は、人間がこの時間の感覚器を持っていないことを指摘したことにあるだろう。
彼はアインシュタインと文通し、ノーベル文学賞を受賞している。
この賞は、哲学や戯曲でも取れる。
小説家だけの賞ではない。
アインシュタインといえば、彼の相対性理論はこの時間に乗れない。
自然の時間は非連続でギザギザしているので、微分方程式が使えないからである。
1,0,1,0,1のように、パッパパッパと消えては生まれる。
1~0~1のように溶けない。
溶けるとすれば、私の目の前の机は「有」と「無」のアマルガムのような「非有」になってしまう。
消えては生まれるので、さっきの私はもういない。
昨日のあなたは跡形もない。
連続していたら、さっきの残像が残るはずだが、残らない。
アキレスは亀を超える。
非連続なので、原子や分子の軌道電子が異なる子不ルギー準位に移る量子飛躍を起こす。
ある物理系のある物理量を観測することによってその系の状態を表現する状態関数が、その量の固有関数の一つにこれまた非連続に移行する、いわゆる「波束の収縮」が生じる。
ここの部分は、私に聞かれても困る。
物理学出身で時間論の哲学者、大森荘蔵さんの著作『大森荘蔵著作集』第八巻「時間と自我」(岩波書店、一九九九年)から引いたのである。私に量子論のことを聞かれても分かるわけがない。
この稿続く。