文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization on September 2016

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

それを事前に自分も知っていたら、陸軍としては納得する余地もあっただろうと東條は述懐しているが、海軍としては

2017-06-17 09:13:26 | 日記

以下は前章の続きである。

侵略でも搾取でもない 

第三次近衛内閣総辞職(同年十月十六日)は、東條と豊田外相の意見が合わないことが原因とされた。

近衛は、私邸である荻外荘で陸海外務三相と企画院総裁との会議を開いた。 

近衛と豊田は外交的妥結があると主張したが、東條はシナ駐兵問題では譲歩はできない、戦争の展望については九月六日の御前会議で論じたことで、いまさらその還元はできないとした。

及川海相は首相一任という意見であった。

その会談の前日、海軍はアメリカとの交渉継続を希望するが、そのことは言えないので首相一任とする旨を、近衛に伝えていたのである。 

それを事前に自分も知っていたら、陸軍としては納得する余地もあっただろうと東條は述懐しているが、海軍としては「戦争ができない」とは公然と言えなかったのだった。

しかし自信がないなら、そう主張すべきだったのだが、海相は会議では囗を開かなかったのである。 

「供述書」を読んでいくと、東條としては、九月六日の御前会議の決定を白紙還元しなくてはいけないという意見をすでに持っていたことが解る。

そして、天皇御臨席の御前会議の結論をやり直すのは、普通の内閣には容易なことではないからと、近衛の後任には、皇族である束久邇宮稔彦を適任と考え、それを近衛に伝えていた。その提案に反対して、逆に東條を後継首班に推したのは内大臣木戸幸一であった。 

大命降下において、木戸は、天皇陛下は最後まで戦争反対である、したがって九月六日の御前会議決定にとらわれないことを、陛下の思召として東條に伝えた。

それで、東條は九月六日の御前会議を白紙還元して、有名な甲案乙案をもって対米交渉に入る。

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