文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization on September 2016

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

ですから、日本では全く問題にされませんでしたが、世界中にばらまかれ、しかも世界中で信じられたのです

2017-06-13 17:39:17 | 日記

以下は前章の続きである。

「田中上奏文」は偽書 

調べてみると、その文書は偽書だったわけです。

というのは、その「田中上奏文」の中で山縣有朋が会議に出席した話が出てきます。

しかし、田中義一首相の時は、すでに山縣有朋は亡くなっていますから、そんな話は嘘八百なのです。

田中義一は山縣有朋の一の子分ですから、親分が死んだことを知らないはずがありません。 

ですから、日本では全く問題にされませんでしたが、世界中にばらまかれ、しかも世界中で信じられたのです。

ルーズベルトも同様に、これを信じて、日本を潰さなければならないと思ったらしい。 

そんな中でアメリカと交渉をしたのが、先に述べた理由から東條さんでした。

ですから、東條さんは首相になった時、陸軍大臣でもあります。

それから内務大臣でもありました。

なぜ内務大臣かというと、治安維持のためで、つまり右翼も左翼も押さえることのできる人物ということです。 

東條さんは真面目な人ですから、アメリカとの交渉にあたって、昭和天皇の御意志に忠実に全力を尽くして和平への道を探りました。

しかし、アメリカは一歩も譲らない。 

最終的に日本は、これ以上は譲れないという乙案を出し、ここで話がつくはずだったのですが、これが突如、ひっくり返りました。

ハル・ノートが出されたからです。 

「ハル」というのはハル長官という国務大臣の名前ですが、この人が書いたものではありません。

実際は、ハリー・ホワイ卜という大蔵省の役人が書いたもので、彼はソ連のエイジェントでした。

スターリンから、とにかくアメリカと日本を戦争させろという命令が下ったのです。

ソ連はドイツにやられている。

日本とドイツは三国同盟があるので、アメリカを日本との戦争に引き込めばアメリカはソ連の手助けをしやすくなると考えた。 

そのハル・ノートとは、東京裁判でインドのパール判事が、「こんなものを突きつけられたら、ルクセンブルクやモナコでも銃を持って立ち上がるだろう」と言ったアメリカ人の歴史家の言葉を引用したぐらいの条件です。

東條内閣の中にも、アメリカとの戦争をとにかく避けたいと考える人がたくさんいましたが、ハル・ノートを突きつけられて、それでも平和交渉を続けようと言う人は1人もいなくなってしまったのです。

アメリカ側もハル・ノートを最後通告だと認識していたし、日本もそう認識せざるを得なかったわけです。 

この稿続く。

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