以下は前章の続きである。
解任されるとメールが一変
しかし、TBS報道局幹部はいろいろな理由をつけてなかなか放送しない。
数ヵ月にわたる交渉の末、二〇一五年二月、TBSは納得できる理由も示さないまま、「放送しない」との最終決定を伝えてきました。
私としては、伝えるべきニュースを明確な理由も示さずに封印しようとする会社の決定に承服できず、やむなく『週刊文春』に寄稿という形で取材成果を発表しました。
これがTBSの内規に触れるということで、会社の査問を受けるために一時帰国を命じられていたのです。
この経緯と、私が何らかの処分を受ける可能性があるということは、あなたにも伝えていましたね。
私がワシントンに戻ってあなたからビザに関する問い合わせを受けたあと、四月中旬頃から私に厳しい処分が出そうだという噂が広まり始め、その噂どおり、結局、私はTBSワシントン支局長を解任され、日本への帰国を命じられた。
そして、TBSワシントン支局でインターンをしたいあなたの希望を叶えることができなくなりました。
あなたが「私から性暴力の被害を受けた」と言い出したのも、なぜかその時期です。
「意識のない私をホテルに連れ込み云々」といったメールを初めて受信したのが、四月十八日のことです。
それ以降、あなたからは大量の敵対的な攻撃、罵倒、返信が遅いという非難など、メールのニュアンスが一変しました。
最初の穏便なメールを送ってから二週間の間に、あなたに何かあったのでしょうか?
その後、私かTBSを辞め、本を出版し、テレビに出演するようになったことについて、あなたは記者会見での配布資料にこう書いています。
「山口氏が権力側で大きな声を発信し続けている姿を見たときには、胸が締め付けられました」
「権力側で大きな声を発信し続けている」との断定は、あなたがジャーナリストを名乗るのであれば、内容を説明する義務を負うでしょう。
不起訴処分が出てから十ヵ月も放置した末に、私がメディアに露出するようになってから改めて記者会見を行い、検察審査会に不服申請をしたのはなぜか。
私には、あなたの強い自意識が、自分が被害者であるという思い込みを生み育て、その後に起きた落胆や怒りが私への憎悪を極大化し、いまでは自分の記憶まで歪めてしまっているのではないか。
そう思えてならないのです。
この稿続く。