文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization on September 2016

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

シナ事変は、第一次近衛内閣の「蒋介石政府を相手にせず」という愚かな声明のために、収拾の目処がつかなく

2017-06-17 00:08:28 | 日記

以下は前章の続きである。*~*は私。

事務処理能力は陸軍随一 

東條英機は、五十六歳のとき第二次近衛内閣で陸相としてはじめて入閣するが、それまで陽のあたる出世街道を歩んだわけではなかった。

歳の近いフランクリン・デラノ・ルーズベルト米大統領と比べると、ルーズベルトが大統領に就任したとき(一九三三年、五十一歳)には、陸軍少将、陸軍省軍事調査部長だった。

その後は、関東軍憲兵隊司令官として、満洲に派遣され、中央の政治とは物理的にも遠い場所にいたのである。 

ではなぜ、そんな東條にスポットライトが当たったのか。

そこには、二・二六事件が関係している。

事件が勃発したとき、東條は満洲にいたが、叛乱に与した者たちを徹底的に取り締まったことが、昭和天皇をはじめ陸軍首脳の目に止まったのである。

その有能さと厳格さの故に、重臣たちや陸軍首脳たちに東條を信頼感服せしめたのだった。 時局は風雲急を告げていた。

シナ事変は、第一次近衛内閣の「蒋介石政府を相手にせず」という愚かな声明のために、収拾の目処がつかなくなっていた。

*この声明を出させたのも朝日新聞の社員であり、ソ連のスパイであり、当時の日本で有数の中国通として遇せられていた尾崎秀美である事。日本を中国との戦争に追いやるように指示していたソ連の意図通りに、近衛内閣に中国との戦争継続に向かわせた事を私が知ったのも、3年前の8月以降の事だった*

やるべきでない戦争をやっているのは誰の眼にも明らかだった(東條は引き込まれた戦争だったと述べている)。 

ヨーロッパも抜き差しならぬ情勢であり、関東軍は強大なソ連軍と国境を接して相対峙していた。

そんな折に、徒に時間を浪費しては、再び二・二六事件のようなことが起きる可能性が充分にあった。

ではその陸軍を完全に押さえられるのは誰かということで、東條しかいないと白羽の矢が立った。 

東條は、陸軍きっての努力家であり頭脳明晰な人だった。

石原莞爾からは想像力が足りないなどと批判されたが、正確に物事を把握し、記憶力は抜群であり(メモ魔でもあった)、彼の事務能力は「超」がつくくらいに優秀だったと言われている。

そういう人物の記録である。

いくつか記憶違いはあっても、直ちに訂正している。 

彼は自分の責任について、その範囲は国際法や刑事法に照らしてではなく、自分の職権範囲内のことに対して責任を取ると言明している。

そして東條は衷心からの天皇崇拝者だった。

天皇の信頼も厚く、東條にたいする天皇の信頼は最後まで揺るがなかったといわれている。

この稿続く。

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