文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization on September 2016

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

それくらい、日本兵は相手に対して気を遣っていました。

2017-06-14 11:00:16 | 日記

以下は前章の続きである。

オープン・シティの問題 

その後、調べてみると、日本軍は南京入場の前にオープン・シティを勧告しているのです。抵抗するな、門を開けと、犠牲を最小限に押さえるためにオープン・シティを勧告している。抵抗すると街が戦場になるからです。それをシナ軍が無視したことに問題があります。

オープン・シティというのは非常に重要で、日露戦争でも奉天大会戦などと言いますが、奉天で戦争をしているわけじゃありません。

昔の軍隊は礼儀正しいですから、ロシアだって奉天の中で市街戦をやるという発想はない。すぐ奉天から逃げていくんです。 

旅順にしても旅順の要塞戦はありましたが、旅順の街中では戦っていません。

ステッセルがオープン・シティしたからです。 

この前の戦争でもドイツ軍が入った時、パリはオープン・シティしました。

だからパリは傷つきませんでした。

その後、連合軍が攻め入った時、ドイツ軍の司令官はパリをオープン・シティしました。

パリは二度、助かったのです。

ただ、ヒトラーは野蛮人ですから、パリなんて焼いてしまえと言いましたが、ドイツ軍の司令官の方が教養があってパリは助かりました。 

オープン・シティしなかった例はベルリンです。

戦場になって徹底的に破壊されました。

街の中を戦場にしてはいけないのです。

戦争するなら野原でやってくれ、ということです(笑)。 

北京はオープン・シティしました。

ですから、「北京大虐殺」などという話はない。

保定というのは重要な街ですが、これもオープン・シティした。

武漢三鎮もオープン・シティしました。 

だから南京もオープン・シティするべきだったんです。

蒋介石は日本の陸軍の教育を受けていますから、するつもりでした。 

南京の外には中山陵があります。

ここに孫文の記念碑があります。

その記念碑のある丘に大砲をすえて撃つと、日本軍としては非常に都合がいいのですが、松井大将と孫文は非常に親しかったので、松井大将はそれを禁止しました。

それくらい、日本兵は相手に対して気を遣っていました。

この稿続く。

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