文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization on September 2016

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

夫を戦争に出したくはなかったが、お国のためだからと捧げたのに、戦後は犬死にのように言われるのが、

2017-06-19 09:06:56 | 日記

以下は前章の続きである。

「東條・マッカーサー史観」への転換 

にもかかわらず、マッカーサーのこの発言は当時の日本の大新聞で報道されたことがなく、今日に至るまでマスメディアで報道されたという話を聞いたことがない。

このマッカーサー発言が行われた当時の日本はまだ米軍の占領下にあったから、報道できなかったのかもしれない。

しかし、翌年の独立回復を待って「それっ!」とばかりに書き立てればよかった。

昭和二十六、七年といえば、まだ戦争の記憶も生々しかったが、占領軍が教科書の都合の悪い部分を墨で塗りつぶさせ、日本が一方的に悪かったという宣伝を大々的に行っていた時代だったから、その効果は絶大だったろう。

七十年後の今日もなお日本が東京裁判史観に呪縛されているようなことなどなかったかもしれない。 

浮かばれなかったのは戦死者の遺族である。

私はいまでもある未亡人の「かくばかり卑しき国となりたれば捧げし人のただに惜しまる」という和歌を覚えている。

夫を戦争に出したくはなかったが、お国のためだからと捧げたのに、戦後は犬死にのように言われるのが、「ただただ惜しい」と悲嘆にくれているのである。 

息子を捧げた親もいるし、兄を捧げた弟妹も大勢いた。

このマッカーサー証言が大々的に報道されていれば、そうした遺族たちはどれだけ救われた気持ちになったことだろう。

この事実はすべての日本人が知るべきであり、世界中の人に知らせるべきものである。

この稿続く。

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