文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

最近の養老孟司はどうした訳か(笑)実に冴えているのである…週刊アエラ11.14号から。

2011年11月14日 20時25分57秒 | 日記
ここで内田樹と交代で書いているコラムが最近実に冴えているのである。芥川は実は密かに「文明のターンテーブル」がそうさせているのだと思っているのだが(呵々大笑)何故なら一流は一流を知り、GiftedはGiftedを知る。二流が一流の真髄を知る事は無い、と言うのは紛れもない真理だからだ。

一流を覚醒させるのも一流、Giftedを覚醒させるのもGiftedだからだ。だから二流は一流の二倍は勉強しなければならないのである。二流こそ、これで良い等と言うことはなく人生死ぬまで勉強なのである。

閑話休題。

「人を見る目」のつぶし方…養老孟司の大脳博物館 から。 文中黒字化と*は芥川。

さすがに最近はあまり見かけないが、一昔前の新聞の政治記事には「小田原評定」という言葉がよく出てきた。いまから400余年前、豊臣秀吉の軍が小田原城に迫る。当主の北条氏直は重臣たちを集め、戦うのかやめるのか、ああでもないこうでもないと和戦の評定を決めなかった。結論が出ないまま、結局は秀吉軍に攻囲されて、屈した。そんな話から、長引いて延々と結論がまとまらない会議の代名詞となった。「みんなで集まって相談しました」という政治のたとえとしては、言い得て妙である。
 
政治が小田原評定になるのは当たり前。要は手続き主義である。TPPをめぐるやりとりを見ていてもそう。賛成派はあくまでも賛成であり、反対派はかたくなに反対するばかり。それぞれの立場が「主張しています」というポーズを取り、「やることはやりました」となる。「で、どうするのが日本にとって得策なの?」という実のある結論には達しない。
 
で、結局最後は「Yes」を迫るアメリカのいいなりになって終わる。アメリカにとっては、日本でどんな手続きをしようが関係ない。

*芥川は此処で大笑いしてしまった。吹きだしてしまったのである。

…後略。 






伏見稲荷の千本鳥居は見事なものであると同時に、見事な広告媒体でもあった。

2011年11月14日 09時03分19秒 | 日記



昇る時(行く時)は鳥居だけが見えるのだが…。






下る時(帰る時)は、この通り。おまけに、芥川は、この方の事は良く知っているのである。この方が芥川が偶々在籍していた長谷川工務店創業時の重鎮メンバーである事もあって、或る年、身に余る知遇を得た事があるのである。



降りたら駅そのものが鳥居の始まりだった。11月13日、10時10分。

2011年11月14日 08時26分11秒 | 日記
今日が嵐山のもみじ祭りであることは先週から知っていて、大河内山荘を訪れる事に決めていたのだったが、昨日、訪問できなかった醍醐寺と伏見稲荷にも行こうと。

午前中に嵐山、昼はホテル・オークラでランチ、それから醍醐寺と伏見稲荷というコースを考えていたのだが、日が昇り沈む順番に変えたのだった(笑)

10時4分にエスカレーター前に着いた。10時5分のJR奈良線に走って行った、車掌さんは待っていてくれた。多くの方が更にダッシュで乗れた事、御同慶の至り。この車掌さんは休日の京都駅の何たるかを知っていた。

さて降りたら駅そのものが鳥居の始まりだった。







伏見稲荷が日本一の神社であることは言うまでも無いでしょう。平生なら一気に頂上まで行ったと思うが、今日は途中までとして六地蔵駅で乗り換えて醍醐寺に向かう事に。

改札口に入れば、丁度、電車がドアを開けていた。こんなにスムーズだとは吉兆だと言いながら電車に乗った。





囲碁棋士 小林 千寿の京都…11月12日、日経夕刊1面から。

2011年11月14日 08時00分02秒 | 日記
先週末に急に京都に行く機会を得た。寸前にインターネットで予約したホテルが木屋町と高瀬川に近く、夕方、散歩をした。
 
私がその通りを最初に歩いたのは5歳の時。何らかの理由で「家出」をした母が身を寄せていた大叔母の所に、父は私を連れて京都に赴いたと記憶する。
 
その時、高瀬川の辺りで「ぽっくり」に「だらり帯」の舞妓さんを初めて見かけた。子供心にも、舞妓さんはとても奇麗だと感じた。その後、大叔母の家を訪ね母に無事会えた喜びと、大叔母のいた和室の赤い壁の色を鮮明に覚えている。
 
翌日、京都で長年、碁の指導をされていた藤田梧郎先生宅に伺った。先生の奥様に九子で指導碁を打って頂いたが、対局後の解説が何とも、たおやかで素敵だった。それまで県代表クラスの実力を持つ厳しい父の教えしか知らなかった私が、碁の本当の優美さ、雅さに最初に触れたのは、あの京都の数時間だったかもしれないと今回の散策で思い当たった。
 
高校を卒業して初めて親の許しを得て一人旅をしたのも京都である。…以下略。


タウトが見た日本画 狩野永徳とルーベンス③…11月13日、日経新聞「美の美」から。

2011年11月14日 07時51分41秒 | 日記
…前略。

「永徳は権力者たちとの折衝に、かなり神経をすり減らしたようだ。とくに富と権力を得た秀吉は、大坂城や聚楽第の普請にあたって、天下人の威光を効果的に示すよう、あれこれと無理難題を押しつけたと思う。永徳はこうした要求に、金箔をはった画面に岩絵の具で描く金碧障壁画の大画で応えた。『唐獅子図屏風』と『檜図屏風』はその代表例とみることができる。永徳は秀吉や大名たちから注文が殺到して身体を酷使したのでしょう。48歳の若さで亡くなってしまう。研究者は今でいう過労死だとみています」…京都国立博物館美術室長の山本英男氏。

…後略。

前章で、ふと思ったこと。

2011年11月14日 07時40分33秒 | 日記
文 杉本崇  写真 郭 允…この注を見て思ったのだった。

アジアで日本ほど開かれた国、進んだ国はないのだと。そんな単純な事も分からない橋下や民主党の、今、政権を握っている小派閥所属の方々は、本当に、その面でも、どうしようもないと、芥川は思うのである。

日本が韓国や中国に見習う等と言う事は、等の韓国・中国が当惑するだけの話なのである。

アイロボットCEO コリン・アングルさん(44歳)続き…朝日新聞11月12日b1,3面より。

2011年11月14日 07時30分36秒 | 日記
現在は、家電と情報をやりとりする執事ロボット「エイバ」を開発中だ。冷蔵庫であれば、残っている食材を管理し、献立を提案し、買い足しが必要な食材も列挙する。

趣味はロッククライミング。手がすべり、安全ベルトにつるされることもある。でも、あきらめない。「失敗しても何度でも挑戦するべきだ。そこに学ぶことがあるはずだから」。21年間で学んだ経営哲学だ。

文 杉本崇  写真 郭 允  文中黒字化は芥川。

-ルンバの競合製品が販売されるようになってきました。
顧客の声を聞き続けているので、私たちは成功した理由を忘れません。重要なのは、素早く、正確にゴミを探知させることです。1回できれいにならなければ、2回やらせる。私たちのロボットは、他社の製品よりも、ほこりの探知能力が数段勝っていて、床を隅々まで掃除することができます。利用者が満足する前に掃除を終えてしまうロボットではいけません。

-他社の製品は、多機能化が進んでいますが、ルンバは掃除に特化していますね。
ポイントは、なぜロボットを作るのかということです。なぜ、カメラを付けるのか。「かっこいいから」ではダメです。機能を付けられるから取り付けるという発想は、利用者にとって必ずしも良いわけではありません。床をきれいにする機能だけに絞れば、浮いた開発費でさらに改良もできます。

日本を重視


-日本人利用者の声は、最高経営責任者(CEO)まで届いているのですか。
毎週、日本の代理店と会議を開き、利用者からの要望がリポートとして送られてきます。私もほとんど目を通しています。

-次は執事ロボットですね。
昔は金持ちであれば執事が家の中を管理してくれました。現代は家の中に家電、掃除の機器、セキュリティー製品などたくさんの電子機器があり管理が大変です。これを解決するのが、執事ロボット「エイバ」です。歩き回って家の中を把握し、情報を統合します。

外にいても家の様子が分かるようになります。「iPad」のような操作端末を使います。端末を通して家電と「会話」できるのです。今後、高齢者のケアも大切になります。その現場でも役に立つのではないでしょうか。

-日本のメーカーに新規参入のチャンスはありますか。
もちろんです。必要なロボットもすでに開発されてきています。アイロボット社だけですべてを開発することはできない。芝刈りやお風呂掃除のロボットもぜひ開発してほしいですね。

福島で活躍

-3月に福島第一原子力発電所で起きた事故ではいち早く、発電所にロボットを提供し、放射線量測定などで活躍しています。
事故はニュースで知り、米軍関係者からも情報提供がありました。チェルノブイリ以来の最悪の事故で、放射能レベルを抑えるのが難しく、問題が拡大していると思いました。まずは放射能を測るロボットが必要になると考え、すぐに社内でボランティアを募りました。ロボットは、マーケティングやデモ用に残っていたものです。3日後にはロボットとともに飛行機で日本へ向かいました。

-ロボットを提供する前に日本政府と交渉はあったのですか。
ありません。報酬は考えていません。正しいことだからやったのです。福島第一原発の現場から 「役立っています」との感謝状も頂きました。ロボットは原子炉建屋に入って放射線量を測ったり、建屋でがれきを撤去したりしてきました。

-ルンバ以外に軍事、政府用ロボットも開発してきました。
私たちは家庭用も政府用も両面で開発を進め、ノウハウを蓄積してきました。例えば、ルンバの場合、部屋を隅々まで回る技術は政府系ロボットの地雷探査で培い、効率よく掃除する技術は清掃会社との提携から、価格を抑えて作るノウハウはおもちや会社との提携から得ています。

かつては政府用ロボットの売り上げが大きかったのですが、2007年時点で半々になりました。今後の市場を考えると、潜在的な成長力があるのは家庭向けでしょう。

-これまでの経営難で、倒産の危機もあったのですか。
何度もありました。経営者に給与を払えなくても、安心して働いてもらうために従業員の給与を優先しました。

―様々な会社と提携してきました。買収される危険は感じませんでしたか。
身売りを考えたことはあります。ただ、我々の挑戦してきたことが大企業の中で続けられるだろうかと考えました。成功する可能性が低いだろうというのが結論です。

日本大手家電メーカーもすばらしい技術を持っていますが、ルンバのようなロボットの開発には挑戦しなかった。やはり、専門的に取り組む企業が必要なのです。ただ、大企業は資本力とマーケティングの面で優れています。大企業と提携し、開発費の負担をしてもらうことで我々も仕事ができたのです。

-会社を設立して21年。原動力は何ですか。
実用的なかっこいいものをつくる、楽しむ、もうける、そして世の中を変える……これが会社の指針です。夢はハリウッドのようなロボットではなく、世界を変える現実的なロボットを作ること。

高齢者の支援も、兵士を助ける人命救助も、爆弾処理も大事です。世の中にはロボットがした方が良い作業がたくさんあります。私たちはこれまでに総額13億ドルのロボットを出荷しましたが、それ以上の価値をもたらすことができたと自負しています。


プロフィール
★1967年、米国生まれ。子どもの頃からブロック型の組み立て玩具やプラモデルなどを作るのが好きな少年だった。

★90年、米マサチューセッツ工科大に在学中、ロドニー・ブルックス人工知能研究所所長や、学友の女性ヘレン・グレイナーとともにアイロボット社を設立。学生時代に自らロボットの開発を研究していた=写真。

★97年、火星探査ロボットをデザインした功績で米国航空宇宙局(NASA)グループ功労賞を受賞、このロボットの改良版が火星探査に使われた。

★2002年、自動掃除機ルンバの発売開始。 03年には日本でも発売開始。米国では、ルンバがコーラのテレビCMで人気となり、売り上げが3倍以上に増える。 04年の売り上げもさらに2倍以上に伸びた。今年10月に4年ぶりの新シリーズを発売した。

★次に目指すのは福祉分野。すでに参入していて、「ロボットの役割はますます重要になる。自社だけでは発展できない。病院と提携してニーズを把握したい」。

タウトが見た日本画 狩野永徳とルーベンス②…11月13日、日経新聞「美の美」から。

2011年11月14日 07時26分20秒 | 日記
…前略   文中黒字化は芥川。
 
しかし、それで永徳の偉大さが損なわれるわけではない。2007年に首都国立博物館で大特別展が開かれるなど、近年は豪壮華麗な大画を創出した永徳の評価が高まっているからだ。ダウトが指摘した強烈な色彩を使った命碧大画、華麗さ、単純な構図などの永徳様式は競合する長谷川等伯一門にも大きな影響を及ぼした。
 
本紙朝刊に小説「等伯」を連載中の作家の安部龍太郎氏はこう見る。「当時は絵師たちはひんぱんに交流し、長谷川等伯も時代の覇者だった永徳から学んだ。等伯はそれを消化し、自分なりの土俗性や求道性を加味して独自の画境を創造していった」
 
出光美術館学芸部長の黒田泰三氏もこう語る。

「永徳の時代は日本美術のルネサンス期。信長や秀吉のためにふんだんに金を使って巨大な障壁画を描いた。安土城が残っていれば日本美術史は塗りかえられたと思う」。永徳は黄金の桃山時代を席巻したのだ。
 
ルーベンスも絶対王制期のヨーロッパを代表する宮廷画家たった。欧米ではルーヴル美術館をはじめ、どの美術館にもルーベンスの大作がある。2人は絢爛豪華な時代を代表する画家だったのである。

タウトが見た日本画 狩野永徳とルーベンス…11月13日、日経新聞「美の美」から。

2011年11月14日 07時17分31秒 | 日記
文中黒字化は芥川。

タウトは京都の寺で狩野派の襖絵に感動した。とくに壮麗な金碧大画を制作した狩野永徳を、ルーベンスを断然凌ぐとして絶賛した。
 
ブルーノータウトは『日本雑記』(篠田英雄訳)のなかの「日記抄」にこう書いている。
「下村氏と自動車で大覚寺に赴く。(中略)見事な風景のなかに池があり建築物がある。(中略)金地に描いた狩野永徳(1543~90年)の美しい襖絵、杉戸には光琳の絵(兎)、簡素なうちにも端厳な品位のある天皇の御所。屋根の曲線は申分がない」(1934年1月11日)

「醍醐の三宝院に赴く。参道の桜花が美しい。寺のお庭に枝垂れ桜がある。しかしもう散り初めて風雨のなかに紛々と乱れ飛んでいる。(中略)狩野永徳の見事な襖絵や華麗な室々を見る」(同4月20日)
  
『日本文化私観』(森?郎訳)ではこう述べている。
日本における、あの有名な装飾画の基礎を築き上げたものは、この初期の狩野派が持つ様式の壮麗さであった。私達は、ここで時代を同じゅうするヨーロッパのルーベンス(1577~1640年)を考えに入れてみる。(中略)しかも同時に彼等は精神的な深さ、寂(しず)けさ、さらに哲学的な宇宙性さえも持っている。これをルーベンスに対非すると非常な相違である。折々はルーベンスよりも饒(ゆたか)なとも想われるような画法や、細い色調をもつ金泥、時には強烈な色彩をも使って、しかもそのうける全体的な印象はどこまでも控え目であり、単純であるということ、これは彼等が行った一つの奇蹟である

さらにこう断定する。
「飛雲閣(京都西本願寺)の、あの立派な襖絵を仔細に眺めた上で.この二人の優劣に関して一般の人達に投票させてみるとしたら、永徳がルーベンスを断然凌ぐ結果になるであろうと私は確信しているのである。狩野山楽(1559~1635年)の偉大さも、まず永徳に匹敵するであろう。しかもその絵の華麗さや筆描において、ずっと…以下略。

ドン小西のイケてるファッションチェック…週刊朝日、11.18号から。

2011年11月14日 07時09分07秒 | 日記
橋下徹・平松邦夫 混戦の大阪秋の陣。オシヤレ対決は、どっちもどっち  文中黒字化は芥川。
 
あわせて借金は、いくらになるんだろうね。それなのに2人の周りには、そんな倒産寸前の組織の長とは思えない、ゆる~い空気が漂ってませんかね。ファッションにも、緊張感ひとっ感じられないもんな。まず、橋下さんだよ。この人、テレビに出てた頃と比べて、すっかり服が似合わなくなっちゃった。昔は毎日メガネまで替えるほど、ファッションに気合が入ってたのに。
 
この日も、サイズの合ってない大きいTシャツを裾からダラダラ見せてヽ寝起きみたいな格好じゃん。自分もこのあと走るからというのはわかるけど、この日は、知事としての最後の舞台。ここまでダサくなくても、バチは当たらないって。

こっちが、世間をなめてる人の気の抜け方なら、一方の平松さんは年寄りの気の抜け方だね。この年代は、なんでカジュアルっていえば、綿パンなのかね。橋下さんみたいな、シャカシャカした服は間違っても着ないよな。かたや上はダサいピンクと白の大阪市公式ポロシャツの袖から、長袖Tを出して、今ふうの着こなし。ただし、白オン白だから、おじいちゃんの下着がのぞいてるみたい。いやいや、たかがファッション、されどファッション。大阪の未来、まずくないすか?

2人仲良く 満点の ダサさ!

芥川は、彼こそアメリカ人の原型だと思う。…朝日新聞11月12日b1,3面より

2011年11月14日 06時57分58秒 | 日記
この記事を京都に向かう車中で読んだ時、芥川は涙が溢れて来た。

文中黒字化は芥川。

掃除用ロボットで世界を席巻
アイロボットCEO コリン・アングルさん(44歳)

お掃除ロボット「ルンバ」が米国で販売されて今年で10年目。家庭用ロボットを世界で600万台以上売り上げた。「クール(かっこいい)」より、実用性を重んじ、改良を続けている。

その生みの親は、プラモデルやおもちゃのブロックで橋や建物を作るのが好きな少年だった。米SF映画「スター・ウォーズ」を見てあこがれたのは、主人公ジェダイの騎士を助けるロボットではなく、敵の宇宙要塞「デス・スター」で働くマシン。

「これはハリウッドのファンタジーじゃない。僕にも作れるんじゃないかと思った」米マサチューセッツ工科大学に在学中の1990年、人工知能研究所のロドニー・ブルックス所長と学友の女性とアイロボット社を設立。アパートの居間を開発に使った。机を置けば、3人が入るのがやっとという広さだった。

米航空宇宙局(NASA)の依頼で、火星探査機に搭載できる小型ロボットをデザインした。97年、火星に降り立ったロボットの原形となった。その後、赤ちゃんや恐竜のおもちゃなども手がけた。

だが、12年間の利益はほぼゼロ。赤字も続いた。「半年間、月末の銀行口座に従業員に翌月の給料を払える残高がないこともあった」。受注先から開発費の半額を前借りして材料を買う日が続いた。

転機は2002年。アフガニスタン戦争で米軍が使った偵察ロボット「パックポット」で知名度を上げた。さらに大きかったのが、ルンバの成功だ。床を隅々まで回り、段差や障害物でも止まらない……。清掃会社大手と提携
し、ロボットの動きやブラシの試作を重ねた。1晩で3千台が売れたこともあった。

翌年、ルンバ30万台を売る計画を立て、大々的に宣伝した。だが、売れたのは10万台。在庫の山に頭を抱えた。
そんな窮地に「予想外のことが起きた」。当時、コーラのCMで、有名コメディアンがルンバと戯れる映像が繰り返し流れた。人気は再び急上昇。2ヵ月で20万台が売れた。年間の会社の売上局は3倍以上に跳ね上がっていた。

「求められていたロボットは、最新機能をふんだんに盛り込んだものではなく、生活を楽しく快適にしてくれるものだった」日本での販売台数は世界第2位。日本の利用者の声はとくに大事にしている。

日本人の要求が一番厳しい。だからこそ、日本での成功が一番うれしい。そうすれば世界でも成功する」。10月発売の新機種の一部には、ゴミが満杯になったことを知らせるランプなど日本の掃除機でおなじみの機能を付けた。

…後略。

これも小松さんに捧ぐ。

2011年11月14日 06時50分32秒 | 日記



Give me love  by George Harrison

Give me love
Give me love
Give me peace on earth
Give me light
Give me life
Keep me free from birth
Give me hope
Help me cope, with this heavy load
Trying to, touch and reach you with,
heart and soul

OM M M M M M M M M M M M M M
M M M My Lord...

PLEASE take hold of my hand, that
I might understand you

Won't you please
Oh won't you

Give me love
Give me love
Give me peace on earth
Give me light
Give me life
Keep me free from birth
Give me hope
Help me cope, with this heavy load
Trying to, touch and reach you with,
heart and soul

OM MY Lord...

PLEASE take hold of my hand, that
I might understand you

Give me love
Give me love
Give me peace on earth
Give me light
Give me life
Keep me free from birth
Give me hope
Help me cope, with this heavy load
Trying to, touch and reach you with,
heart and soul

OH My Lord...

PLEASE take hold of my hand, that
I might understand you

Won't you please
Oh won't you

Give me love
Give me love
Give me peace on earth
Give me light
Give me life
Keep me free from birth
Give me hope
Help me cope, with this heavy load
Trying to, touch and reach you with,
heart and soul

Oh My Lord...

PLEASE take hold of my hand, that
I might understand you

11月8日、1時。青蓮院にて。©芥川賢治