メモリアル ななまる日記

クルマと旅が好きな「ななまる」が元気だった頃の日記。過去の愛車や趣味の事がメインです。

売却に向けて部品外し

2006年09月30日 23時28分01秒 | 日常生活

例によって10時過ぎまで寝てしまい、午前中はシボレーの保険の手続き等をこなして終る。午後から最後の大仕事に入る。

明日でナナマルが私の手元から居なくなる。そのためナナマルに付けていたパーツを外す事にした。殆どのパーツは簡単な後付だったので小一時間ほどで作業は終了。カーナビ・DCDCコンバータくらいだった。ついでにドリンクホルダー等も外してみた。殆どのパーツが取られた内装は、引き払う直前のアパートの部屋のようだ。私が北海道のアパートを去る時のように、寂しくなった車内。ナナマルがうちへやって来た頃の記憶が蘇ってくる。


まるで売りに出されているような寂しいノーマルのナナマル

そして、そのカーナビは友人の「那智くん」のパジェロに移植した。


これからもナナマルの意志を継いで全国を駆け巡ってほしい。

全ての作業が終るとパジェロで地元の温泉へ行き、つくばで服を買って家に戻る。
そして自宅近くの駐車場で記念撮影。シボレーとも並べて撮影した。

その様子は後日、ホームページに開設予定の「ナナマルミュージアム」に掲載予定。

そして最後にナナマルと高級なビールで乾杯。見上げる夜空には無数の星座が・・・
この11年間でどれだけの星が生まれ、そして死んでいったのだろう。


回想5

2006年09月29日 22時55分13秒 | 日常生活
今日はナナマルの中で呑んだ(運転は勿論、エンジンすらかけていないよ)
過去の思い出に浸りつつ、こいつが生まれた1991年を調べてみると・・・

・湾岸戦争勃発でイラク空爆開始
・東京都庁が丸の内から新宿に移転
・信楽高原鉄道で列車の正面衝突事故
・横綱千代の富士引退
・ジュリアナ東京オープン
・雲仙普賢岳で大火砕流発生
・宮沢喜一内閣発足(宮沢りえも人気)
・ソビエト崩壊

と、まぁそれなりに大変な時代だったワケですね。
しかしバブル絶頂期にパワーウインドーのない5MTの質素な四輪駆動車を買うなんて、どんな人だったのか?
購入当時の記憶によるとナナマルを最初に買った人は埼玉県の春日部の人との説と茨城県の龍ヶ崎の人との2つの説があるが、あまり定かではない。
一つ言えるのは、私「ななまる」は3オーナー目にあたると言う事。ナナマルにとっては最も長く付き合った事になる。
ランドクルーザーPZJ70Vの4270番。新車で買った人はどんな目的だったのだろうか?それは「ナナマル」のみ知る・・・

回想4

2006年09月28日 22時21分28秒 | 日常生活
「ナナマルって運転しやすいの?」

一般の人から見ると大きくでゴツく見えるナナマルは意外と扱いやすい。
ステアリングは軽く、クラッチも軽く、トルクがあるので2速発進が当たり前。
高い運転台は遠くまで見え、角張ったボンネットの見切りも良い。
私も免許取りたての頃から乗っているが、当時から運転が苦になった事は一度も無い。ショートボディーなので小回りも効く。
4駆に入れれば怖いものなし。大雪警報が出された峠道も躊躇する事無く走れる。
前後のサスペンションがリーフリジットでステアリングがボールナット式なので、ハンドリング性能はイマイチ。ステアリングを切った時の反応も遅い。コーナリングには「コツ」がいる。加重移動をうまくやらないと大きなロールが襲ってくる。
加速は遅い。強めにアクセルを踏まないとトラックどころかバスにも負けてしまう。しかし高速域は違う。100km/hを超えてもグイグイ加速する。140km/h巡航もお手の物。高速安定性も高く、ふらつきはあまりない。これはオーストラリアの大地を走るために設定されたのだろうか?

初心者から熟練ドライバーまで楽しめるクルマ、それがランドクルーザー70系なのだ。

回想3

2006年09月27日 23時26分31秒 | 日常生活

ナナマルは本当に日本を一周した(沖縄を除く)

クルマで普通に行ける範囲での日本の端は全て制覇し、訪れた都道府県は45にも上る。行っていない県は沖縄と福井のみである。

 

 

お約束の日本最北端である北海道稚内市の「宗谷岬」

1997年4月19日に到達したと記録が残っている。

次は日本の本土最東端である北海道根室市の「納沙布岬」

1999年9月12日に到達している。

ちょっと地味だが、橋伝いで行ける最西端の長崎県平戸市の「宮ノ浦漁港」

2003年10月8日到達。ここから西へ行くにはフェリーを使う他手段はない。

そして沖縄を除く本土最南端、鹿児島県南大隈町の「佐多岬」

2003年10月5日の放浪旅行中に到達。気候は北海道と全く違う南国だった。

そして最後に日本の道路の最高地点の岐阜県高山市乗鞍高原の

「畳平」で標高は2715m!現在はマイカー乗り入れ禁止となってしまった。

2001年9月22日に到達。この辺りだとエンジンのパワーダウンが激しかった。

 

こんなに全国を旅したクルマはそう無いはず。これだけは自慢です!本当に。


回想2

2006年09月26日 22時25分13秒 | 日常生活
ナナマルは北海道へ来る前におかしな姿になった事がある。
車体中がステッカーベタベタに!!ラリーカーのような凛々しさを目指したつもりだったが、結局はゴチャゴチャ感が増しただけでカッコ良さには繋がらず、3ヶ月で全て剥がした。
冬になるとスキーへ頻繁に行くためチェーンと背面スキーキャリアを買った。これで70系独自の堅苦しさは無くなり、北海道へ行っても大活躍した。

それから6年後の2001年にフロントマスクを初期型にして、マフラーや足回りを中心に大改造した。更に2003年には酒に酔った少年の運転するセドリックに突っ込まれバンパーを破損し、新品に交換した(もちろん全額相手持ち)
外見こそノーマルだけど、このクルマにはあまりステッカー貼るのは似合わない。
今が一番外見がノーマルっぽい。

回想1

2006年09月25日 23時02分42秒 | 日常生活
ナナマルとの別れまで1週間をきったので思い出話を書きましょう。
高校時代の私はアメ車に凄く興味を持ち、クロカン4駆には全く興味が無かった。
しだいに免許を取れる歳に近づくにつれて現実的に考えるようになり、国産のスポーツタイプが欲しくなった。
最初は①スカイラインR31②スターレットGT③70系スープラの中古車探しを高校3年の頃から始めていた。しかし、自分はスキーやアウトドアが好きな事に気付き、指向も変わる。
高校卒業の頃には①ジムニーJA51(1300cc)②ジムニーJA11(660cc)③ランドクルーザーBJ41Vを本気で探すようになった。ところが、ジムニーは燃費が相当悪く乗り心地も極悪と聞き興味が薄れていく。ランクル40系のスタイルは魅力的だったが、あまりに派手な事とNox規制の関係で却下。
そんな理由もありランクル70系を必死に探すようになった。
70系も色々と探したが、排ガス規制に引っかかりかねない初期型のB型エンジン搭載モデルはやめて、当時は後期型と言われたHZ型・PZ型エンジン搭載のモデルを探すようにした。
カーセンサーを眺めていたらかなり安いPZJ70Vを見つけて、その店へ急行。見ればウインチは付いているわ、アルミは履いているわでかなりのお買い得車だった。その代わり整備は一切行わない「現状販売」との条件だった。
当時かなり高給なアルバイトをしていたので即決。次の週末には取手の自宅へやってきた。
クルマの中を見てビックリ!リアシートにはお菓子の食べカスが散らばっているではないか!そんな訳で念入りな清掃でキレイな「ナナマル」との付き合いが始まったのである。
最初は周りの友人に「似合わない」とか「遅いクルマ」とか言われていたけど、次第にナナマルが生活に溶け込んでくるようになった。まさか、11年の付き合いになるとは夢にも思わなかった・・・

最後のレジャードライブ

2006年09月24日 22時56分49秒 | 日常生活

旬の魚を求めて友人と銚子へ行ってきた。使用したクルマは「さよならナナマル号」。レジャーでの使用は最後となる。

銚子に到着後、すぐに「一山いけす」で昼食を摂る。目の前にいけすがあり、コブダイやらヒラメやらが時おり水面に顔をのぞかせている様子は愛くるしい。食べるのが可哀想になる。でも、ここの食事は高いだけに旨い!そしてボリュームもある。

存続の危機にあると言われる銚子電鉄の「犬吠駅」へ行く。JRが主催するハイキングの参加者が沢山やってきて駅は大混雑!!ここでは名物の「ぬれ煎」を買う。銚子電鉄で造られた煎餅が一番旨いと思う。

友人が醤油工場へ見学に行こうと言うので「ヤマサ」にするか「ヒゲタ」にするか迷ったが、「ヒゲタ醤油」の工場にした。日曜なので製造プラントは見学出来なかったが、興味深い資料映像や昔の機械を見学できた。そして最後にはヒゲタ醤油が誇る名ブランド「本膳」を1本プレゼントされた。

その後は隣町の「飯岡町」で干物を買い(銚子よりも安い!)、再び犬吠埼まで戻ってから温泉でノンビリ。これが俺たちの定番。

今回はナナマルも10日間ほど仕事で滞在したゆかりの地でもあるので、良い思い出になっただろう。最後までありがとよ!ナナマル!


東武鉄道完乗制覇!!

2006年09月10日 23時38分15秒 | 日常生活

少しずつ進めている鉄道の制覇計画で、今日は東武鉄道をクリアした。つまり東武鉄道が張り巡らせている鉄道路線を全て乗りつぶしたのだ。

地元の友人と群馬方面の路線を乗り進める。俺は東武桐生線と日光線(下今市~東武日光)を残すのみだったので、先に友人が乗っていない路線へ連れて行った。

桐生線を乗り潰したところで日光へ向かうが、友人が「わたらせ渓谷鉄道」に乗っていなかったので、乗ってもらう。しかし、途中で列車が故障してしまうトラブル発生!!メカニックが駆けつけ修理する。こんな光景も珍しい。

日光へ行き、東武日光線に乗った所で俺は東武鉄道の全路線をクリアした。最後に乗った電車は私鉄でありながら旅情あふれるボックスシートの汽車のようだった。

今までに制覇した鉄道会社(中小私鉄を除く)は

「JR北海道」「札幌市交通局」「京成電鉄」「東京メトロ」

JRを制覇するのは並大抵な事では無いが、大手の私鉄を少しずつ制覇していけば達成感もある。近いうちには「JR東日本」を制覇したいな。