丸山暁の「僕の考えるブログ」

いろんな言葉、情報が世界を駆け巡っている今、僕の頭で、巷のこと、都会と田舎、世界のことを考えてみる。脱構築。

イッタカキタカ一号 混迷の時代

2010-07-31 21:52:21 | イッタカキタカ
  イッタカキタカ一号2010/07/31©suncove

 

この混迷の時代に飛び出した、「イッタカキタカ一号」、どこか管直人に似てやしませんか。ちょっと自信なげで、それでも微笑を浮かべようとしている、みんなに嫌われないために。

そういう僕とて、イッタカキタカである。

あっちに思いを馳せ、こっちの事を考えて。

せっかくここまでやってきた田舎暮らしとて、本当に死ぬまでここで生きられるかは、これまた分からない。

これは誰しも同じ事、今という状況が、発展的に上昇するだけと、希望を持てるものなどほとんどいないだろう。

何処かで、不安を抱えながらも、イッタカキタカしながら、今日を生きてきた。

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千葉法相の死刑執行問題も、もう今日は話題にもならない。これだから、この国は、ほとんど戦後が戦後にならない。

国家が、国民を殺す権利を持つのは、臣民思想である。今だ国民は国家の僕なのである。目覚めた市民の視点で死刑制度を考えなければ、日本国民は相変わらず国民のままである。

てなことで、死刑制度を考えるに、広島女児殺害差し戻し審で、殺人罪に問われたホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告が、2審でも無期となった。

死刑でない理由は、殺したのが1人であること、殺した場所が特定できないなどあるようだが、無期ということは、殺したことは認定したのだから、殺人罪は成立している。

殺人罪の量刑で、殺意の有無が問題になるが、「あいつを殺したい」という思いを持つものは多いだろう。

これを聖書では「みだらな目で異性を見たら既に姦淫」というのにあわせるなら、現実問題として多くの正常人(まだ犯罪を犯していない人々)とて殺意を持つことになる。

であれば、殺人罪の量刑に影響を及ぼす殺意というものは、どの時点で殺そうと思った時のことか。

深追いするとイッタカキタカになるので、この問題はもっと頭がすっきりしたときにでも。

ジャンル:
芸術
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コメント

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こんなプレイ初めてだってばw (がんもどき)
2010-08-01 00:55:35

タオルで目隠しさせられて、つま先から耳の裏まで全身舐められまくり!!

めちゃ気持ちよくて、ちょっと口から泡出てたしな、オレwwwww

5万もらったけど、あんまり続けたらドMになっちまいそうだぜwwwww

http://tg8m1p1.zet.hatu-miku.com/

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