熊本県阿蘇郡小国町にある、須永博士美術館。スタッフからの情報をお伝えします。
須永博士美術館スタッフブログ
須永博士美術館の誕生秘話

「須永博士極楽羅漢美術館」
という名前で開館しました。
1997年でした。
1993年、テレビ番組の出演のために、訪れたのが、この小国町北里、木魂館でした。
研修宿泊施設だった木魂館にたどり着いたのは、もう真っ暗になっていた時間だったそうです。
この日の、木魂館館長さんとの衝撃的な出逢い(この話はまた……)から、今こうして、須永博士は小国を第二の故郷としてアトリエと作品館を作りました。
作品館は、今も地元の方が管理してくださっています。
旅先から、年に何度も熊本を訪れるようになり、その中で、
宮本武蔵が五輪の書を書いたという洞窟が、熊本にあるという事を知りました。
若い頃から、宮本武蔵の生き方が好きで書物を読んだりしていた須永博士は、ぜひ、その洞窟「霊巌洞」を見に行きたいと思いました。
その洞窟があるのは、熊本市内の中心部から見える山、
「金峰山」
にあります、雲巌禅寺さんです。
お寺に入ると、洞窟の手前には岩肌に座る五百羅漢さんがいます。
風雪で、かなり痛んではいますが、ひとつひとつの表情はとても豊かで、誰一人として同じ顔はありません。
思わず笑ってしまいそうな羅漢さんもいます。
須永博士は、目的の霊巌洞にたどり着く前に、この五百羅漢さんに心を奪われて、無心でデッサンし始めたそうです。
続く……
五百羅漢さんとの出逢い

五百羅漢
との出逢いがありました。
ずっとずっと、「油絵」を書きたいという夢を持っていた須永ですが、そのモデルになるもの、書きたいものが浮かばずに長年過ぎていたそうです。
五百羅漢さんに出逢った瞬間、
「これだ!!!」
と、胸がときめいたのだと話しています。
そして、このお寺に再び足を運んだ時、この羅漢さんに出逢いました。
誰かが置いたのでしょう・・
頭の上に、一輪の椿の花が乗せられてありました。
この時の話し、写真が
詩集「たった一冊の詩集」
に載っています。
今日の写真も、その時に一緒に旅をしていた柏木尚美さん撮影です。
それから、全国旅をしながら、各地に羅漢像があることを知り、大分、京都、山形、佐賀などなど、旅先で数々の羅漢さんに出逢って、そのたびにデッサンを書き続けていました。
その数、約3000点以上になり、そのうち、
空を見ても、雲を見ても、また、サイン会場の床のタイルを見ても・・・
すべて、羅漢さんのお顔に見えてくるようになっていたそうです。
続く・・・
500枚への挑戦

無心で描き続けていたので、
その先、この絵をどうしようか・・・
なんて考えてもいませんでした。
私もその頃、一緒に全国を回っていたのですが、一日のサイン会が終わると、すぐに宿に帰り、部屋中キャンバスでいっぱいになり、床を汚さないように新聞紙やシートを敷いて、夜中まで描いていた日々でした。
それだけ夢中になって描いた絵・・・。
このままにしておいても、絵もかわいそうだし・・・
そんな時、須永博士が小国にアトリエ、作品館をつくったきっかけの人、その当時の木魂館 館長さんが、
「先生、五百羅漢だから、500枚描きあげてください。
もし、書き上げたら、それを飾る美術館を小国に作ろう!!」
とアイデアを出してくださり、須永博士も、
「そうだな!!
よし! 500枚をめざして描くぞ!!」
と、また力を頂き、さらに楽しそうに、様々な表情の羅漢さんを描いていました。
1997年、その目標、500枚の羅漢絵が完成しました。
3年の月日を費やして描いた絵は、その時その時の須永博士の心も現しているように、楽しい顔、気難しい顔、こわい顔、嬉しそうな顔・・・。
タッチも、今までのイラストとは全く違うものになっていました。
須永博士極楽羅漢美術館オープン

須永博士は、
「極楽羅漢」
と名づけました。
自分も、描き続けて心が洗われた。楽しかった。
この絵を見た人が、少しでも心が軽くなってもらえたら嬉しいな・・・。
そんな願いも込め、名づけられました。
館長さんと須永博士、さぁ、この絵をどこへ飾ろうか・・・。と、二人で小国の中を探し歩いていました。
でも、なかなか、
ここだ!
という場所にたどり着きません。
しばらく時間が過ぎ・・・
「そうだ、やっぱり、この絵を描いたのは、この北里だ。
だから、北里に飾らなければ!!」
これも館長のひらめきだったのでしょうね
そして、現在の須永博士美術館があるこの場所に飾ることが決まりました。
ここは・・・・
館長さんのご自宅だった、ぬくもりが残る民家です。
(写真は、極楽羅漢美術館オープン前夜、須永博士自らが展示をしているところです。)
そして・・・・

「須永博士美術館」
として開館していますが、それがなぜかと言いますと・・・。
500枚目標に描いた油絵の羅漢さん、
その目標が達成した須永博士は、まだまだ創作意欲が湧き続け、
でも、もう羅漢さんはひと区切りしたので、
「そうだ、描きたい絵を、描きたいときに自由に描いていこう」
と、花、風景、魚、山、などなど、その時に
「描きたい!」
と思ったものを、好きな色で自由に描いていました。
新しく絵ができるたびに、少しづつ、少しづつ、
須永博士がキャンバスを持ってきて、
「この絵をここに飾ってほしい。」
と、場所の指定もあり、飾り替えをしてきました。
それから何年も経ち・・・。
気づくと、羅漢さんの絵が、少なくなっていました。
それだけ、新たに描いた絵が増えてしまったのです・・・。
そこで、須永博士とも相談し、今から3〜4年前に、
「須永博士極楽羅漢美術館」
から、
「須永博士美術館」
と看板を付け替え、気持ちも新たにスタートしたのでした。
突然、書きたくなって、長くなりました。
なかなか伝える機会が無く、今朝、ふと、
「伝えよう」
と思い、書き綴らせてもらいました。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだまだ足りない部分も多くあります。
どうぞ、ご質問、疑問等ありましたら、コメントくださいね。


