浜崎(山口県萩市)~重要伝統的建造物群保存地区

2016-10-15 05:48:03 | 重要伝統的建造物群保存地区

2016年8月26日 山口県

浜崎 重要伝統的建造物群保存地区

山口県萩市

浜崎は、城下町の形成にともなって開かれた港町で、近世は北前船の寄港地として廻船業と水産業で栄え、大正から昭和初期にはイリコなどの水産加工業や夏蜜柑等の積み出し港として栄えた。江戸時代以来の街路、敷地割がよく残り、南北を走る本町筋を中心に江戸時代から昭和初期に建てられた町家が数多く残る。

▲鶴江の渡し

藩政時代、川内の入るには松本橋と橋本橋の二本しかなく、その他は渡し舟を利用していました。鶴江地区と浜崎地区の間には現在でも橋がなく、歩くと20~30分かかります。そのため、鶴江の渡しは鶴江台と浜崎を結ぶ渡し舟として現在も市民に利用されています。正式名称は市道浜崎鶴江線といい、無料で乗船することができます。
 

▲藤井家主屋 1820年代

しらす
  

▲住吉神社
   

▲中島治平旧宅跡

中島治平は、1823(文政6)年、萩藩の朝鮮通詞中島正貞の長男に生まれた。1856(安政3)年、長崎に留学し、語学、理化学、冶金(やきん)学を学んだ。萩に帰ったあと、藩主に製鉄、綿羊の飼育、製茶、ガラスや兵糧パンなどの製造の必要性を説いた。また1861(文久元)年には萩城内で蒸気機関車の模型を走行させている。

 

 ▼旧山村家住宅

江戸時代後期に建てられた大型の町家

▼旧萩藩御船倉

藩主の御座船を格納する倉で、萩市内で現存するのはこの船倉のみ。屋根を葺いた旧藩時代の船倉としては全国唯一の遺構です。 

 

   

▼池部家住宅

  

▼斎藤家

 

   

  

 ▼梅屋七兵衛旧宅

梅屋七兵衛は、造り酒屋を営む町人であり、毛利忠正公の武具方の調達もしていました。木戸孝允などの志士と交流があり、幕末に藩の密命を受け長崎に鉄砲千丁を買いに行くことになりました。イギリス人と鉄砲を買う契約を結びましたが、長崎奉行に見つかったので、上海に逃れて1年間一人で暮らしました。その後、ようやくイギリス人に迎えに来てもらい、鉄砲千丁とともに帰ってきました。この鉄砲により長州藩が戊辰戦争に勝ち抜くことが出来ました。七兵衛は、維新後、京都で商売をしますが、晩年に萩に戻り、この家で小堀遠州流派のお茶を教えながら過ごしました。 じゃらん

   

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