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新発田城(新潟県新発田市大手町)100名城

2017-07-12 05:41:30 | 100名城

2017年5月17日 新潟県

新発田城 100名城

新潟県新発田市大手町

新発田城は、別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)侯が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成しました。新発田城は一般に多くある山城とちがって、政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地につくった平城です。石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法でつくられ、北国の城特有の海鼠壁は全国的にも珍しいものです。

城の表門前に、すっと立っているのが堀部安兵衛の像。赤穂義士の討ち入りで中心的な役割を果たした安兵衛。像の顔は、しっかりと江戸を見つめています。新発田城はかつて本丸、二の丸、三の丸からなり、堀や石垣に囲まれ、新発田川の水を巡らせた平城で、11棟の櫓と5棟の門が並び壮観な景観を呈していました。中でも、天守閣の代わりを果たしていたのが三階櫓です。3匹の鯱を配するという独特の櫓で、全国にも例がない大変珍しいものです。平成16年には、この三階櫓、辰巳櫓が復元されました。

 ▼二の丸隅櫓 重要文化財

新発田城は溝口氏六万石の居城で、現存の建物は江戸末期の再建である。 表門は櫓門で、二の丸隅櫓は二重二階櫓である。 これらの遺構は建築年次は新しいが、いづれも古様を帶び、地方色も豊かに、北陸地方としては遺例が少い貴重な遺構である。

 ▼本丸表門 重要文化財

1732年に再建された現存の櫓門。2階に格子窓を設け、門の真上の床を外して石落としとする構造となっている。国の重要文化財。

 

▼辰巳櫓

本丸の南東に建つ層塔型2重2階の二重櫓。三階櫓とともに木造で復元された。
  

 

 ▼辰巳櫓

▲木造建物は自衛隊の施設らしい。

▼三階櫓

天守はなく、本丸の北西隅に三重櫓を上げて「三階櫓」と呼んでいた。幕府に遠慮し天守を公称しなかったが、三階櫓は新発田城における実質的な天守であった。1654年(承応3年)に創建されたものは、1668年(寛文8年)の火災により焼失し、現在復元されている姿のものは1679年(延宝7年)に再建されたものである。明治初期に撮影された写真によれば、続櫓(付櫓)を伴った複合式層塔型3重3階で、1重目の西面と南面に切妻破風を持った石落としを兼ねる出窓があり、3重目屋根の棟は丁字型に造られ、棟上には3匹の鯱が載せられている。1874年(明治7年)に破却された。

 

 ▼二の丸隅櫓

▼堀部安兵衛像

赤穂四十七士の中でも、名声の高い堀部安兵衛は、新発田の生まれ。新発田藩士中山弥次右衛門の息子で、母方の祖母は藩祖溝口秀勝の娘という由緒正しい血筋でしたが、13歳のときに中山家が断絶。家名再興を志して江戸に出た安兵衛は、高田馬場の仇討ちによって名を挙げて、赤穂藩士堀部家の婿となり、討ち入りに加わって本懐を遂げました。
その堀部安兵衛の像が今も江戸の方向を見据えています。
 

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