コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

名古屋城(100名城)2017~愛知県名古屋市中区本丸

2017-05-21 05:48:15 | 100名城

2017年3月28日 愛知県

名古屋城2017 100名城

愛知県名古屋市中区本丸

徳川家康が外様大名を動員して築城。慶長15年(1610)着工、同19年に完成した。本丸・二の丸・西の丸・御深井丸・三の丸の五郭から成る規模雄大な城で、ことに金鯱をのせた壮大華麗な天守閣はひろく天下に知られた。元和2年(1616)家康の九男義直が入城。以来、徳川御三家筆頭、尾張藩六十一万九千石の牙城となる。昭和20年、米軍の空襲で天守閣以下ほとんどの建物を焼かれたが、昭和34年、再建されたほか、西北・西南・東南の各隅櫓と表二ノ門がもとの建物で現存。本丸を囲む石垣や空堀・外堀などは原形を伝え、二ノ丸庭園も一部だけ残っている。◎徳川家康(1542-1616)岡崎城主松平広忠の子。織田信長・豊臣秀吉亡きあと、関ケ原の戦いで勝利を収め、征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開いて、徳川三百年の基礎を築いた。

▲正門から入場

▲手前 西南隅櫓 奥 東南隅櫓

▼西南隅櫓 重要文化財

未申櫓ともいわれ、屋根 2 層・内部 3 階の櫓。西、南両面には、軍事用の「石落し」を張り出して屋根を付けています。大正10年(1921)の暴風雨により石垣とともに崩壊しましたが、宮内省によって修理復旧されたため、現在は鬼瓦などに菊花紋が見られます。

▼表二之門 重要文化財

古くは南二之門といわれ、門柱・冠木とも鉄板張りとし用材は木割りが太く堅固に造られています。袖塀は土塀で鉄砲狭間を開いて要害としての堅固さを示しています。

▲内堀と東南隅櫓

▲東南隅櫓 重要文化財

辰巳櫓ともいわれ、その規模、構造は西南隅櫓と同じですが「落狭間」の破風の形を異にしています。この櫓は創建当時の姿を伝えるもので、鬼瓦などに葵の紋が見られます。

 

▲復元された本丸御殿

 

▲不明門

▲天守礎石

昭和二十年(一九四五)に焼失した旧国宝天守の礎石。地階穴蔵の地盤の上に置かれており、巨大な天守を支えていた。長く焼け跡に残っていたが、天守閣再建にあたり現在地に移し、かつての敷設状況を再現した。

石棺式石室

島根県松江山代町にあった団原古墳の石室で、本来は床石があって、手前に羨道(石室への通路)を備えていた。古墳時代後期のもので出雲地方独特の横穴式石室である。

 

清正石

天守閣の石塁の構築を命じられた加藤清正は、巨石の運搬に際し、自ら音頭をとって、木遣(きやり)を歌わせ民衆の老若を問わず綱をとって運んだと伝えられていますが、この石垣の施工大名は黒田長政なので単なる説話と思われます。
 

 旧二之丸東二之門 重要文化財

古くは冠木門(かぶきもん)といわれ、二ノ丸の東門で三の丸からの入口にあたっていました。門柱・冠木や扉などには帯鉄が打ち付けられており、用材は木割りが太く堅固に造られています。昭和38年に解体され昭和47年に現在地に移設されました。

▼清正の石曳

天守の石垣普請は、加藤清正に割り当てられた。巨石を運ぶにあたり、清正自ら石の上に乗り音頭をとったと伝えられている。本像は、その様子を模したもの。 説明板
   

▲天守閣と東南隅櫓

外堀

cosmophantom 


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ホテル ニューグランド本館(... | トップ | 名古屋城(100名城)本丸... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

100名城」カテゴリの最新記事