萩城城下町など(山口県萩市)

2016-10-18 05:45:40 | 街並み

2016年8月26日 山口県

萩城城下町など

山口県萩市

旧萩城の外堀から外側に広がる城下町は、町筋は碁盤目状に区画され、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていました。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめています。白壁となまこ壁や黒板塀の美しい町並みが続き、維新の志士ゆかりの地が点在しています。

▼旧久保田家住宅

久保田家は、初代庄七が藩政時代後期に近江の国(滋賀県)から萩に入り、熊谷町の久保田家の分家となり、菊屋家の向かいで呉服商を開いたと伝えられている。二代庄次郎のとき酒造業に転じ、造り酒屋の「あらたま酒店」を営業していた。また明治時代、しばしば名士の宿舎としても利用された。旧久保田家は幕末から明治前期にかけての建物として、意匠、構造、技術に優れ、酒造業で繁栄した往時の状況をよく伝えており、史都萩城城下町を形成する建物として極めて重要です。じゃらん

▼菊屋家住宅 重要文化財
 

▲▼高杉晋作誕生地

 

 ▲高杉晋作立志像
 

    

 

 ▲▼旧野田家住宅

▲円政寺

▼青木周弼旧宅

幕末の当時、日本屈指の蘭学医であった青木周弼は、13代藩主・毛利敬親[もうりたかちか]に召し出され、敬親の侍医を務めた人物。周弼宅には、全国から教えを乞う門下生が続々と集まったため、安政6年(1859)にこの家が新築された。るるぶ

 

▼旧佐伯丹下家屋敷 

旧佐伯丹下家屋敷は、幕末安政年間(1854~59)び描かれた「萩城下町絵図」によると、萩藩大組士佐伯丹下(125石)の屋敷であったことがわかる。佐伯丹下は、幕末期、直目付や撫育方仕組掛、奥番頭役など藩の要職を歴任、多年藩の財政整理や岩国吉川家との交渉に尽力した。明治5年(1872)65歳で没するまで、この家が本拠であった。その後、安富五三郎(通称:伊勢屋)の所有になり、親戚の久原房之助が衆議院議員に立候補の時には選挙事務所になったこともある。戦時中は九州大学名誉教授の永積純次郎が住み、戦後は萩中学校長の河内才三や、第六高等学校(現岡山大学)校長の金子幹太などが住んでいた。 屋敷は昔の状態がよく保たれており、映画のロケにも使われたことがある。 説明板

 

▼木戸孝允旧宅 

江戸屋横町にある、木戸孝允(桂小五郎)の生家。当時としては珍しい木造2階建て桟瓦葺きで、14室もの部屋があり、父が藩医を務めていたために患者用と来客用の2つの玄関がある。孝允は天保4年(1833)に誕生し、約20年間をここで過ごした。誕生の間や勉強部屋などがあり、勉強部屋では後年、名筆家として知られた孝允の少年時代の習字も見られる。 るるぶ
  

☆☆☆☆☆

▼熊谷家住宅主屋 重要文化財

萩藩の御用を勤めた豪商の家。 広大な屋敷地に主屋をはじめ数多くの蔵や附属屋が建ち並ぶ。 主屋は大規模で質がよく、意匠も洗練されており保存もよい。 江戸時代後期における地方豪商の富を示す好個の遺例。1768年頃

▼熊谷美術館

熊谷家の土蔵3棟を改造した美術館には、熊谷家代々の当主が収集した美術品が展示してあります。 じゃらん

  

 臨時休館・・・そんな~~ 残念!

 

 

 

▼萩藩校明倫館
 

▼有備館

 ▼常念寺表門 重要文化財

   

cosmophantom

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