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平福宿(兵庫県佐用町平福)

2016-12-10 05:41:47 | 街並み

2016年8月30日 兵庫県

平福宿

兵庫県佐用町平福

わずか30年で城下町としての用を終えた平福は、その後、江戸時代には因幡街道最大の宿場町として栄えました。城下町から宿場町へ。当時を物語る古文書、遺構・遺物など伝承されてきた歴史の断片が、町並みや生活品などに残っています。

▲平福駅

▲山の頂上になにやら工作物のような物が見える。トリミングしてみた

 

弧を描く石垣のように見えるが・・・・なんでしょう

   

▼本陣跡
 

 

▼平福陣屋門

徳川時代には、1万石以下の小藩の城を陣屋と呼び、その邸宅の入口に造った長屋門を陣屋門といいました。平福は、利神城廃城後、松平氏5千石の旗本領で代官支配となりました。今の陣屋門は、元治元年(1864年)に代官・佐々木平八郎が建築したものです。

 

 

 

 

 

 

▼平福の町家群

      

▲金倉橋

▲金蔵の六地蔵

ここ金倉橋西の一帯は、平福町並みの南端に位置し松原と呼ばれており、江戸時代、平福藩刑場跡として伝えられているところから、この六地蔵は、その供養のために建てられたと考えることもできる。この路傍に立つ六地蔵は、所々欠けているが、気品のある美しさを漂わせる丸彫りの立像別石地蔵である。同所に元禄9年(1696)に建てられた南無阿弥陀仏の念仏碑があることから、同時期のものと想像される。 説明板

▲宮本武蔵 初決闘の場

剣豪武蔵は、天正12年(1584)に母・於政と死別、その後、父・無二斉が、利神城主・別所林治の娘よし子を後妻に迎えたので、武蔵はこの義母に育てられた。武蔵7歳の時、父が死去、義母は武蔵を残し平福に帰り、田住政久の後妻となった。武蔵は、義母の後を追い、その叔父正蓮庵の道林坊にあずけられ、薫陶をうけ、道林坊の弟・長九郎に武芸を学んだ。武蔵13歳の時、「何人なりとも望みしだい手合せいたすべし。われこそ日下無双兵法者なり」という、新当流の達人・有馬喜兵衛の高札を見て、ここ金倉橋のたもとで初勝負をいどみ、一刀のもとに倒したといわれる。

  

 

  

▼鋳物師瓜生原家

瓜生原家は、享保年間に、津山から移り住み、代々「吹屋(ふきや)」という屋号で、鋳物業を営み、昭和の初め頃まで、続いていたといいます。建てられたのは、文化7年(1810)、特徴は、大屋根の煙り出し切妻越しの屋根、潜(くぐ)り戸のついた、大戸雨戸を上下に開くと、天井と縁になる「ブッチョウ造り」出棺(しゅっかん)口、格子など町家の特色、をそなえています。 説明板

   

   

  

▼旧田住邸跡(現後藤邸)

 

   

     

    

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