日本旅「写真」日記

見たもの何でも写真に撮ってUpしてます。カテゴリーの「2007・・」は2007年、「2011・・」は2011年のものです

しばらくおわかれ

2014-08-06 20:44:04 | 2014
5月末から日本に戻り、
関西を中心にたくさんの方々にお会いすることができ、
とても充実した10週間でした。

これで、このブログも少しお休みさせていただきます。

アクセスしてくださった皆さん、ありがとうございました。

God Bless you all!!!

出雲福音ルーテル教会

2014-08-03 12:31:54 | 2014





出雲福音ルーテル教会

川本教会

2014-07-30 12:09:38 | 2014




祈祷会 水曜午前10時より


川本教会

島根県邑智郡川本町川本469-2

牧師 大坪羊子

トマトドレッシング

2014-07-29 09:30:31 | グルメ



トマトの風味がやさしくひろがる。
バジルとオリーブオイルが絶妙のバランス。
さっぱりしたなかにも、切れのある味です。
暑い夏にぴったりですね。

グーグルってみたら、通販でも買えるみたい。

トマトドレッシング

心でっかちな日本人―集団主義という幻想―

2014-07-28 09:31:54 | オススメの本



日本人が集団のために自己利益を犠牲にする行動をとるのは、彼らが自分の利益よりも集団の利益を優先する心の性質を持っているからではなく、彼らが集団の利益に反するように行動するのを妨げる社会のしくみ、特に相互監視と相互規制のしくみが存在しているから。(p37)

頻度依存行動では、同じ人が場合によって全く違う行動をとるのが普通です。・・まわりの人たちの行動によって、同じ人が赤信号を平気で無視することもあれば、おとなしく青信号を待ていることもあるわけです。(p48)

相補均衡のもとでは、皆が寄ってたかって特定の行動をとることで、その行動の「純利益」がプラスになる状態を作り出している。(p67)

文化とは、そのなかの要素の一つだけが単独で存在するのではなく、一つのまとまりとして存在するものだからです。つまり、一つの文化は、そのなかにあるさまざまな要素が互いに頻度依存的に結びつくことでつくられた相補均衡の状態です。(p101)

文化・・「心と行動とのあいだの相互依存関係が生み出す相補均衡」(p113)

「文化とは、相互依存的な実践活動の総体である」・・「心を、実践活動と独立した理念として理解することはできない」(p116)

自分の集団の人を優遇することで自分の集団の人から優遇してもらうという、内集団ひいきの「交換」・・。・・。実際には「交換」が成立しないにもかかわらず、・・つい「交換」関係が成立しているような気になってしまった・・あたかも現実であるかのように考えて・・行動した(p158-159)

社会的交換ヒューリスティック・・、自分が直面している場面が「お返し」を交換しある社会的交換の場面だと考え、そういった場面に相応しい行動をとるように人々を導く心の働きのこと。その中心にあるのは、「この場面ではお互いに協力し合うのが有利な行動なのだ」というふうに状況を認知させる心の働きです。(p189)


心でっかちな日本人―集団主義という幻想―
山岸俊男
日本経済新聞社 2002年

神の国キリスト教会

2014-07-27 12:41:35 | 2014





神の国キリスト教会

無理をしないほうが愛される(4)

2014-07-26 10:37:22 | オススメの本



(4)いわゆる「よい子」の悲劇

神経症的な人は、自分と人とを対立して考えている。人間というものを、対立のイメージでとらえている。・・。小さい頃自分は周囲の人を喜ばすために、自分の実際の感情を抑えて尽くしてきた。そして自分を抑えて尽くすことで喜ばれてきた。したがって自分のお好きなことをしてなおかつ人に好かれる、人に愛されるということがイメージとしてつかめないのである。(168)

人は人間関係において三つの側面を持つ。社会的役割を遂行する側面と、衝動を満たそうとする側面と、人間としての部分の三つである。(172)

人と親しくなるということは防衛的でもなく、依存的でもない・・。防衛的になると自意識過剰になる。(173)

いわゆる「よい子」は大人になって心理的にいろいろと問題を起こす。適応したいわゆる「よい子」は、他人を愛する能力のない人から愛されようとしているのである。そのためには、確かに迷惑をかけないでお行儀よくふるまうことが大切である。子ども時代にはそれが正しかった。しかし大人になって、愛する能力を持つ人に囲まれた時には違う。・・。しょうがないけど可愛い子と、「しょうがない子」を受け入れてくれる。ところがいわゆる「よい子」は大人になってからも愛する能力を持った人に対してまで自分を隠す。(177)

いわゆる「よい子」の悲劇は、人間観が神経症者をモデルにしてつくられてしまっていることである。したがって受け入れられるために一生懸命努力しながら、結果として誰にも親しまれない。いわゆる「よい子」が好かれるためにしている行動は、実際には好かれないための行動になってしまっているのである。(178)

自分の周囲にいる人を、冷たいと非難する。彼らから冷たいと非難されう人とは、要するにかれに対して幼児期の母を演じてくれない人なのである。(198)

自分が気分よくても相手が不安と恐怖に悩まされていれば、相手には自分が不機嫌に映る。他人にとって自分がどのように映っているかということは、自分の問題であるばかりでなく、他人の心の問題でもある。・・。こちらがどのような人間であるかということではなく、相手が自分に何を投影するか[自分の中にある認めがたい感情を他人の中に見いだす(205)。それが実際他人の中になくても、それを見てしまう(210)。]によって自分の評価が決まる。「他人が自分をどう見るかということをコントロールすることはできない。」(205)

神経症的な人は栄光を求める。自己蔑視している人は心のバランスを回復するために、尊敬や愛情を求める。自分が劣っているという心の底の感じ方の反動形成として、自分は立派な人間であると思いたい。そのような人は自尊心を傷つけるような性質を自分の一部とは認めたくない。卑怯、強欲、虚栄心、幼児的依存心、そのような性質を認めたくない。そこでそのような自尊心を傷つけるような自分の実際の性質や傾向を抑圧しようとする。ところがこれがうまくいかないと、他人を攻撃することで心の葛藤を処理するという。(208-209)

他人が自分をどう見るかは、こちらがどのような人間であるかの問題ではない。こちらを見る他人がどのような人間であるかの問題なのである。(210)



無理をしないほうが愛される
加藤諦三
三笠書房 1992


無理をしないほうが愛される(3)

2014-07-25 10:36:02 | 2014




(3)傷ついた自尊心

名誉や力を求めて努力をはじめる人もいる。名誉や力が自分の傷ついた自尊心をいやしてくれると感じるからである。そしてこのように生きはじめることで、この人は名誉や力がなければ人は自分を相手にしてくれないと思い込みはじめる。・・。「人はそのままでいい」と言われても、そのままでいられなくなる。また他人が価値を示すと、そのことが自分の価値を脅かすように感じる。他人が注目を集めると、自分の価値が剥奪されたような妄想にとらわれる。・・周囲に対して敵対的になる。(106-107)

名誉や力を自分の傷ついた神経症的自尊心をいやすために求めるということは、その心の底に復讐的意図を隠していることである。傷ついて、見返してやりたいと願い、そう行動し始めることで、人は周囲の世界を敵にまわしてしまうことになるのである。・・。いつも虚勢を張っている人がいる。競争心が強すぎる人もいる。虚栄心の強い人がいる。こんな人は皆、心理的に常時敵陣にいる人たちである。(108)

自分を取り巻く世界を恐怖に満ちたものにしてしまったのは、周囲の世界に対する自分の誤解と自分の行動なのである。(112)

「服従することで子どもは不安になり、同時に服従は敵意を生む」(113)

次から次へと現われる周囲とのトラブルや困難の原因は、じつは彼が現実と対立する期待を持ち、それを実現しようと固執していることにある。そうであるのだが、彼はそれに気がつかない。それに気がつかないから、彼は自分の人生が困難に満ちていることを嘆く。周囲の人間が自分の目標達成に協力してくれないことに不満になる。自分が利己的なのに、逆に周囲の人が親切でないと解釈して不満になる。(117)

他人をやけに気にする人がいる。しかし人を気にしているように見えるが、じつは重要なのは他人に自分をよく見せることだけである。(148)

自分の好きなことをしていれば行為自体が報酬である。(158)




無理をしないほうが愛される
加藤諦三
三笠書房 1992


無理をしないほうが愛される(2)

2014-07-24 10:34:21 | オススメの本



(2)自信と弱点

人は自信がなくなると、相手の言葉を真剣に聞かなくなる[言葉通り素直に受け入れられない]。相手を傷つける態度を取りながら、それに気がつかなくなる。・・自信のない人は、人に自分をよく見せようとする防衛的真面目さはあるが、相手のことに真剣に耳を傾けるというようなことや、相手の立場に立ってものを考えるということができなくなる。(56)

劣等感の強い人は周囲の人から高く評価してもらおうと思って、かえって周囲の人を不愉快な気持ちに追い込む。劣等感の強い人は周囲の人から高く評価してもらおうと思って、素直になれない。(58)

世間体意識というのは防衛の真理であり、自意識過剰の心理である。自意識過剰の心理の対をなすのが覗き見趣味といわれるものである。・・人がどのような生活をしてるかが気になって仕方ない。(70)

神経症の人は「こうなったら、こうなるにちがいない」と推測しすぎるのである。しかもその相手の気持ちに対する推測が自己中心的であるから、間違っていることのほうが多い。(75)

劣等感の強い人は、他人に理想の自分を見せようとする。しかもその「理想の自分」というのはあくまでも「自分が考える理想の自分」ということである。実際に「相手が求める自分」ではない。相手はこのような自分を求めているにちがいないという思い込みが激しい。相手がどんなに現実のあなたが好きだと言っても、現実の自分を憎むことをやめない。・・。彼らは執拗に完全な人間を演じようとする。・・自己蔑視がそこまでひどい。(78-79)

劣等感が激しい人は、相手によい印象を与えられるか与えられないかによって、自分の価値を決める。しかしその「相手によい印象を与えられたか与えられなかったか」は、その自己中心的な彼らが判断する。(79)

自分がすぐれた子どもでなくても親は自分を好きである、こう感じることができた子どもは親から百億の財産をもらうよりも幸せである。百億の財産は子どもに自信を与えることはできない。(82)

自信とは自分に弱点があっても,自分は相手にとって価値があると感じられることである。・・。自分に弱点がっても、相手は自分を見捨てない。人は親しい人との関係において自分をそう感じることができなければ、不安な緊張からは解放されないであろう。(83)

相手の言葉をどう解釈するか、これは大問題である。相手の言った言葉を相手の言った意味においてとらえることは、ときに外国語を理解するよりむずかしい。同じように自分が相手に言うことも、自分の言った意味で相手がとらえているとは限らない。・・。人によく思われるかどうかは結果である。それを目的にして生きてはいけない。(86-87)

同じ体験をしても、周囲の人の行動を不当と解釈するかしないかにいらだちはかかっている。その点で神経症者はいつも腹を立てることになる。公平に扱われていても、不公平に扱われたと感じるからである。(88-89)



無理をしないほうが愛される
加藤諦三
三笠書房 1992


御影福音教会

2014-07-23 21:17:17 | 2014




祈祷会 水曜 7時半より
祈る時間がたっぷりの文字通り祈祷会でした。




御影福音教会