(2)自信と弱点
人は自信がなくなると、相手の言葉を真剣に聞かなくなる[言葉通り素直に受け入れられない]。相手を傷つける態度を取りながら、それに気がつかなくなる。・・自信のない人は、人に自分をよく見せようとする防衛的真面目さはあるが、相手のことに真剣に耳を傾けるというようなことや、相手の立場に立ってものを考えるということができなくなる。(56)
劣等感の強い人は周囲の人から高く評価してもらおうと思って、かえって周囲の人を不愉快な気持ちに追い込む。劣等感の強い人は周囲の人から高く評価してもらおうと思って、素直になれない。(58)
世間体意識というのは防衛の真理であり、自意識過剰の心理である。自意識過剰の心理の対をなすのが覗き見趣味といわれるものである。・・人がどのような生活をしてるかが気になって仕方ない。(70)
神経症の人は「こうなったら、こうなるにちがいない」と推測しすぎるのである。しかもその相手の気持ちに対する推測が自己中心的であるから、間違っていることのほうが多い。(75)
劣等感の強い人は、他人に理想の自分を見せようとする。しかもその「理想の自分」というのはあくまでも「自分が考える理想の自分」ということである。実際に「相手が求める自分」ではない。相手はこのような自分を求めているにちがいないという思い込みが激しい。相手がどんなに現実のあなたが好きだと言っても、現実の自分を憎むことをやめない。・・。彼らは執拗に完全な人間を演じようとする。・・自己蔑視がそこまでひどい。(78-79)
劣等感が激しい人は、相手によい印象を与えられるか与えられないかによって、自分の価値を決める。しかしその「相手によい印象を与えられたか与えられなかったか」は、その自己中心的な彼らが判断する。(79)
自分がすぐれた子どもでなくても親は自分を好きである、こう感じることができた子どもは親から百億の財産をもらうよりも幸せである。百億の財産は子どもに自信を与えることはできない。(82)
自信とは自分に弱点があっても,自分は相手にとって価値があると感じられることである。・・。自分に弱点がっても、相手は自分を見捨てない。人は親しい人との関係において自分をそう感じることができなければ、不安な緊張からは解放されないであろう。(83)
相手の言葉をどう解釈するか、これは大問題である。相手の言った言葉を相手の言った意味においてとらえることは、ときに外国語を理解するよりむずかしい。同じように自分が相手に言うことも、自分の言った意味で相手がとらえているとは限らない。・・。人によく思われるかどうかは結果である。それを目的にして生きてはいけない。(86-87)
同じ体験をしても、周囲の人の行動を不当と解釈するかしないかにいらだちはかかっている。その点で神経症者はいつも腹を立てることになる。公平に扱われていても、不公平に扱われたと感じるからである。(88-89)
無理をしないほうが愛される
加藤諦三
三笠書房 1992