summer diary

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迷惑メール

2018年02月16日 | Weblog

 今日は曇り気味の天気。 うす雲が掛かり、差し込む日差しも弱弱しい。 早朝の気温はそれほど低くは無いけど、陽ざしが弱いので暖かさを感じるには至らない。 昨日はハローワークでいろいろと解らないことを聞き、検討している企業の紹介状を出して貰いに行って来た。 がしかし、同じ会社でも営業所がいろいろあって、私が応募した営業所とは違っている場所の紹介状を出して貰ったので、今日はそれを出し直して貰うためと、今日は1回目の失業認定の日でもあり、ハローワークにこの後行く事になっている。 この認定日に行かないと失業者としての認定が貰えないので、失業給付金の支給が停止されてしまうのだ。 昨日は居住している市役所にハローワークの出先機関があり、そこで相談をしていた。これも1回の就職活動として認定されるのだ。 他にもいろいろと仕事を検索してみたけど、やはり60歳定年後の就職は意外と難しいのが現状だ。正社員での雇用が少ないこともあるし、給料面でも高卒の初任給より低いかもしれない。 それは当然と言えばそうなんだけど。 勤めていた会社に任意継続でそのまま会社に雇用されていたとしても、給料の6割に引き下げられることになっていたので、むしろ再就職をする方が給料面でも高額になるぐらいだ。 今回の企業の給料も7割ぐらいにはなる。 ただ、土日の週休二日とか、大型連休は無い。 仕事内容は確かにかなり楽にはなり、躰にも負担は無いし、精神的にも負担は無いだろう。 休日が年間で35日ぐらい減るのと、土日が休みとは限りらないと言う事。 もっとも、有給休暇が取得できる半年後からは月1回程度の公休以外に有給が取れるので、3連休ぐらいなら休みを取ることも可能だ。 まっ、65歳までの5年間務めることを目標にしているので、そんなに構える必要もないし、5年なんて意外と早く過ぎて行ってしまうのだ。 実際に以前は夜間のバイトをしていたけど、当初の予定は2年間で辞めるつもりだったが、結局4年間続けていることになった。 ダブルワークを4年間続けてきたけど、それは意外と早く過ぎて行ったのを感じる。 そんな訳で、これからの5年間なんてすぐに過ぎ去ってしまうだろう。 仕事自体が問題なく出来るなら十分である。 休日が多いのに越したことは無いけど、まっ、この年齢になってからは特にやりたい事もないし、逆に少ない休日の方が充実した時間を過ごすことを考えるので、むしろ内容のある休みを過ごすことが出来るのではないだろうか。 

さて、この1か月間ぐらいに迷惑メールの数がだんだんと増えてきて、毎回削除しているけど、流石にちょっと面倒になってきた。 最近はネットで簡単にお金を稼ぐような内容の勧誘メールが多い。 仮想通貨などのメールやスマホで数分だけで何十万とか稼げるとか・・・。 アホか! 世の中はそんなに甘くもないし、そんなことで本当に稼ぐことができるなら、すでに世の中の人は誰も働く人が居なくなっているはずだ。 仮想通貨もコインチェックなどのように、どうなるのか分からないような仮想に投資すること自体がアホのやることだ。 株や為替にしてもそんなもので本当に稼ぐには相当な資金力が無いと出来ない。

FXやバイナリーなどでこれぐらい儲かりました!なんてことをネットで配信しているアホが多いけど、最後は結局何も残らないのだ。 残らないだけならいいけど、借金が残り、自分の資金を失う人は数多く居る。 所謂、バブルなのだ。 結局は何時かは泡となって消えていくことになる。 本当にお金を持っている人は堅実であり、地道に働いてお金を稼いでいる人だけなんだ。 もちろん、苦労してお金を稼ぐことが正当だとは思っていない。 楽して稼げるならその方が良いに決まっているだろう。 ただ、それが仮想では無いことだ。 しっかりとした地盤がある事業をスムーズに展開することが出来る人は次々と成功を手にしている。 遊んでいても勝手にお金が入っているのだ。 しかし、そこにたどり着く人は本当に少ない。 そうした選ばれた人を言うのは決まっているのではないか?と思ってしまう。 

私はそうした人間ではないだろうけど。 でも、別に湯水のように使えるお金を必要としていないし、それが本当に幸せだと言う保証もない。 例えば、定年退職して私は欲しかったバイクも買えたし、さらにマフラーも購入してカスタムも出来る。 バイクだけでも私は凄く幸せを感じるし、さらにマフラーを交換してもっと幸せを感じることになる。 バイクが自分の物になり、実際に走っている時にはすごく楽しいし、買って良かったとつくづく感じることが出来る。 それだけでも私は十分に自分の人生を幸せな人生だと思えるし、さらにそれが、もっとカッコよくなるのだから、これ以上の贅沢は無いだろう。 もちろん、仕事を始めるとなかなか乗る時間が無いかもしれない。 自転車だって、時折は乗りたい。 休日に天候が悪ければ乗ることも出来ないし、極寒の中を走る心算も無い。 だからバイクでお遍路することが出来るのは限られている休日の中でどれぐらい持ているだろうと思うけど、それがむしろ楽しい思いを一層増してくれる要素になるのだ。 こうしてその気になれば毎日だってバイクに乗ることが出来る状態でも、天候や気分で乗ることが無い日が多いのだ。 だからと言って何か別の用事があるのかといえば、そうでもなく、特には何もしていない。 最近はジムにも足が遠のいている。 再就職してからは行くことが難しいだろうと思っているし、またいつ再開できるのかは未定だ。 

でも、また再開したいし、するつもりでいる。 そうした自分の思いを持っていることが実は幸せであるのだ。 それが実現するかどうかは別の話で、実現するとさらにその先を追いかけることになるので、結局は同じ位置に居ることには変わりはないのだ。 現実は自分の思いや意志が反映されているものだ。 一つの夢が現実になっても、さらなる夢を追いかけている。 だから、どんなに裕福な生活が実現したとしても、幸福感と言う物はそれほど変わらないのだ。 今現在が幸福な状態であると言う思いこそが本当の幸福であると言ってもいいのだろう。 幸福とはいつも同じ状態であり続けること(常に夢に向かっている感覚)を持ち続けることだろう。

 


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