ジョーとハイジ

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7月29日 大阪倶楽部 見学①

2017-09-20 14:36:14 | ③イケフェス(生きた建築~)阪神間モダニズムを見て廻る

7月末に行ってきた大阪倶楽部の見学のレポートです。

スライドをそのまま撮影してきてますので、説明はそこから。。

大阪倶楽部ができた経緯の説明です

 

建てられた建物の写真がコレ

しかし残念ながら焼失。そこから新会館が建てられます

それが現在の大阪倶楽部となります

 本町駅すぐの場所に、このような雰囲気の建物があるんですよ。

 この木の看板もいい味だしてます

 側面から

 入り口付近には建物の概要説明がなされてます

 この建物は様々な建築様式が折衷されているようです

 この柱はインド風 八角形の断面形状と下部のカーブが美しく、

頂部には妖怪!が乗っています。なぜ妖怪???これ妖怪なの???(笑)

 玄関ホールを入った正面には邪気がかたどられた泉盤があります。

なかなか異様な迫力を醸し出しています。

玄関ホールの全体写真は人が多すぎて撮れず、天井の雰囲気だけ

 ズームで撮影

ここからはスライドで紹介していただいた写真を、ほぼ全部撮影してきましたので

昔の大阪倶楽部の様子をご覧ください。

まずは焼失される前の旧大阪倶楽部です

 

囲碁室です

今は窓のない場所ですけど、当時は明るい場所でやっていたんですね。

椅子もドッシリした社長室のような椅子。これで戦うって感じしないなぁ。

現在の囲碁室はこんな感じ

今の方が真剣に囲碁をしてます、という椅子ですね。

 

食堂

旧大阪倶楽部の食堂は 

ヨーロッパの寄宿舎の食堂みたいです(映画でみたイメージですが)

現在はというと・・人が多すぎてひどい写真ですみません。

ホテルのレストランといった感じでしょうか。素敵な絵も飾られていて落ち着いた場所です。

その様子は次回のブログで・・・

ビリアード室。

昔のほうが広々した感じですね。昔のほうが台が少なかったんだな。

現在の様子です

旧大阪倶楽部時代の船場界隈の様子

ほとんどがまだ木造建築で、道は砂利道です

当時の地図です、さて、どこが大阪倶楽部かわかりますか???

 

さて、建て直した現在の建物についての話です。

旧会館の焼失後、わずか半年で新会館の計画がまとまりました。

現在の建物

 

現在の建物の戦前の様子です。机やいすの豪華なこと・・・

ソファーもすごいですねぇ

現在の様子はさきほど上げましたが・・

さて、第二次世界大戦時、この建物等の洋風の重厚な建築はなぜか焼夷弾の影響を受けず焼け残りました。

これは、米軍が終戦後のGHQが、自分たちの拠点を置きたい場所を狙わなかったからだといわれているようです。

また、この建物は関東大震災後に建てられたもので、震災の災を見て当初の設計に再検討が加わり、耐震大火を重視した結果でもあります。

周囲の大火の影響をうけないように鉄製のシャッターをつけられていたので焼失されなかったのだとか。。

鉄製シャッターといえば、原田産業さんの建物も関東大震災の影響で耐震大火をされていたので焼け残っていましたね。

原田産業さんの見学は昨年詳しくはここをクリック

で、案の定、ここはGHQに占領されてしまいました。

突然終戦になり、大阪倶楽部の従業員は台帳などだけを持ち出せる状態で、あとは全部没収されたんだとか・・・

その後、GHQから帰ってきた大阪倶楽部はすっからかん状態

会館の復旧工事は当時の金額で約6000万円!昭和28年の6000万ってどんなんやの!

 現在は・・・

 

大阪倶楽部の見学は次回に続く・・・・