シフト3865

宇宙のシフトについて考える

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ウイングメーカー読みました

2010-06-05 11:02:37 | Weblog
ウイングメーカーを3冊読みました。非常に面白かったし、参考になります。
たとえば、ファーストソースには個人は直結しているが、組織は直結していない、という当然のことをキチンと書いている。いわれてみれば、もっともな話。これが組織の限界で、取り扱い注意事項。教育システムと直感システムを区別して書いている。この辺も健全だと思う。私的な用語ですが、神を二人称で語るのが教育システムだし、一人称で語るのが直感システム。もしかすると、∞=1のシステムが二人称システムだし、∞=0が一人称システムかも。私的用語で恐縮なメモ、走り書きですが、7のシステムと6との関係も示唆的という個人的印象。このウイングメーカー企画自体が一人称的意図と二人称的意図が推測され、トータル的には「それぞれうまく使ってくれー」という善意と解釈したいところ。
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ウィングメーカー関連フォーラムにて (アシカビヒコ)
2010-08-16 13:05:15
以下、ウイングメーカーのフォーラムに投稿した文章を整理して、載せます。
http://doufaufa.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/patio/patio.cgi?


・・・・・・・・
はじめまして。WMを三冊読ませていただきました。shimaさんの約業に感謝します。グロッサリーの英語版を教えていただき、そちらも参照したところです。ひととおりここをスクロールだけはしましたので、少し参考意見です。
NO1のグロッサリーのサヴァリン・インテグラルは今のところ私は「至高統覚」と約してみています。「ある意識の状態を指し」との主旨なので、意識状態を意味するニュアンスを前面に出して、「統覚」としてみました。参考になれば幸いです。



・・・・・・・・

WMMは翻訳するに値するテキストで、日本語との対話は英語・日本語の文化圏に対して実り豊かな影響を与えるのではないかと推測します。表面をなぞったに過ぎないので、恐縮ですが、「リリカスのターミノロジー」自体が私はむしろ日本語との直接コンタクトを望んでいるように思います。即ち、「リリカス」から直接日本語に翻訳する仕事をどなたかがする時節の到来を願っています。

訳語の選定の本質はWMMの英語テキストを越えて、WMが直接日本語で語ったときにWMはどの言葉を選ぶかだと思います。その意味で翻訳とはWMMの制約を越えて、直接WMとの対話へと翻訳者を誘うすばらしい作業だと思います。
この意味で、私が参考にしたいのが、日本の哲学的、神道的伝統です。特にも神道の先哲はある意味ではファーストソース自体にアクセスし、WMと同等の立場で語る翻訳者です。その意味で、神道の先哲とWMMとの対話に取組むことは、WM自体を超える視点を得る余地を残すと思うのです。
また、西洋的言語での最先端である量子力学的タームとWMMとの対話も重要だと思います。邪推するに、量子力学的タームとWMMは実はWMの影響下にあると思います。その意味で、量子力学的ターミノロジーの進化の芽はWMMにちりばめられていると推測します。もう少し邪推させてもらえば、WMMの客体的理解側面のみに限定して情報流出しているのが量子力学的ターミノロジーではないのかとも思ったりします。これはWMの責任ではなく、WMとWMMの間に関与している人達の戦略でしょう。とはいえ、そこに悪意を読み込むと陰謀論者の陥穽に嵌ります。悪意ではなく、すべてが神慮と見ておいたほうが生産的だと私は思っています。おっと脱線失礼しました。これは週間WMM的話題ですね。
 
 言葉を選ぶときに私が使っている道具は客体面と主体面のどちらにどの程度ウエイトをかけるかです。たとえば、教えていただいた大野さんの「独立主義者」という訳語は主体面にウエイトをかけていますね。「至高総体」は客体面にウエイトをかけている。shima さんの「至高なるすべて」が興味深いのは「すべて」をひらがな表記している点です。これは客体面へのウエイトを逆転させる契機を含んでいて、「すべて」は「統べ手」と表記すると一挙に主体面にウエイトがかかり、この意味で大野さんの思いをカバーできます。
 私が当面「至高統覚」と約しているのは、どうもこれがエンティティ側の意識状態を表現しているような印象をもっていることと、日本の哲学伝統からいえば、この表現が当面妥当かな、という思いです。

思うに、ファーストソースの自己認識がこの進化し続ける宇宙を作り出しているわけで、もともと被造物と創造主という根源的分割設定自体がある意味、作業仮説(WMMでいえば、階層的理解)であり、ナンセンスでもあると思います。とはいえ、この自己認識運動に今回の宇宙の存在意義があるともいえ、この創造的自己認識をきめ細やかに紡ぐ行為のひとつの最先端に「ことばの創造」「命名」があることは確かだろうと思います。その意味で、shimaさんの仕事は大切な仕事だと思います。

 さて、WMのNO1のグロッサリーの「サヴァリンインテグラル」の前にあるのは「エンティティ」ですね。これも厄介な言葉です。WMMではエンティティですが、WMが江戸・明治時代の日本人に語りかけたらどうなるか。きっと「魂」とか「霊」とか「わけみたま」とかになるのでは。そして仮にWMMの翻訳語としてこういった神道系の言葉を使ったらどうなるか。 WMMと量子力学、神道との対話をして見たいと思っていますので、ご指導方よろしくお願いします。哲学史的に言えば、WMMにはプラトン的バイアスを感じます。これを豊かに読み解くためにはアリストテレス的手法とともに、両者の根源ともいえる、ソクラテスの対話の手法が有効だろうと思っています。

WMF投稿2 (アシカビヒコ)
2010-08-16 13:06:56
最初にWMⅠを読んだ時、WMの森、ジャングルの壮大さ、緻密さに放心しました。しかも、かなり均整が取れていて美しく、地球文明圏を超えた、文化的整合性をもった知性体系を十分に予想させます。

さて、余談はさておき、Entity、WMMの第1級の重要概念ですね。これを何と約すかは、結局、英語ベースのWMMからそのソース自体にどう肉薄するかの真剣勝負。そして、エンティティとは何かを普及させることが実は壮大なWMMの森を構築する目的ともいえる。極端な話、哲学的に言えば、それ以外の道具立てはこのエンティティ理解のための客寄せパンダともいえる。その意味で、WMMにおいてたしかグランドポータル(?)と呼ばれていた重要な契機は我々が抱くエンティティ理解を進化・深化させる動きになると思う。その意味で、WMがラビリンスグループの進化形であるならば、WMMの作り上げる森自体が最も有効なタイムマシンであり、フィフティーンに対してWMは明確な回答を提示していると思う。これが私がWMMという「ナゾかけ」構造の美しさと感じる理由です。WMMはその意味で日本語版ウイングメーカー第1巻のみにても完結された美しさを持っています。問いと答えが含まれているからです。そしてWMM自体がフィフティーンの悩みに対する最も洗練された回答となる理由が「エンティティとは何か」の理解にある。人間という装置自体が最も洗練されたタイムマシンであり、このタイムマシン装置群を適切に誘導することが適切な未来を創造する手段なのだ、とWMMは語っているように私は感じています。
そして、この創造する権限・主権がsoverign(サヴァリン)の意味の一つであって、shimaさんが教えてくれた大野百合子さんのサヴァリンインテグラル理解、「独立主権者」の能動性バイアスにつながっていると思います。これに対して、南山宏さんは「至高の総体」というどちらかといえば受動的バイアスの訳語をSoverign Integralに与えてるとのこと。ここで二人を照会したのは我々の持つ根深い認識構造バイアスに対して注意を喚起したいためです。女性という「地」に投影されると本来中性的サヴァリンインテグラルは男性的コントラストをもつ「図」として浮かび上がり、能力・権限・主権としての色づきを帯びる。それに対して、男性という「地」に投影されると「至高」という女性的コントラストをもった「図」が浮かび上がる。普通は逆ですが、二人が反省的視座にたっているため、逆位相が析出される。
 WMMのグロッサリーはこのバイアスをよく理解しているらしく、WMⅠP238のエンティティ解説は対構造をもった解説が特徴的です。たとえば、
The entity is sovereign and simultaneously interconnected with all life・・・

というように能動的側面と受動的側面を対化しています。粒であり波である量子の2極であり、時間性と空間性の対化と構造的には一致します。その意味で、エンティティとは量子でもあるということでしょう。
この文脈でいえば、個人的にはサヴァリンインテグラルを「包越統覚」と呼びたくなります。「包越」ということばは高橋里美氏という男性の哲学者の用語です。ほとんど知られていないと思いますが、含蓄のあるいいことばだと思います。
 
 現代の量子論を超えた射程をWMMが持っていると私が感じる理由のひとつは、グロッサリーのエンティティ解説の一節です。 エンティティの項目の6行目 「存在に対する理解と感謝」(its understanding and appreciation of existence.)の「対化」。ここで理解と感謝が並列されています。感謝は量子論の射程にはまだ入っていません。宗教、哲学、神道などの語る射程内の用語です。WM現代神話体系の言葉で語るとすれば、フィフティーンが感謝というエンティティツールの機能と活用法を理解しないかぎり、彼の作るタイムマシンは正しく作動しない。この感謝という機能をよく理解していると思われるのは神道思想家、あるいは神秘主義者といわれる一群の人々でしょう。shimaさんが書いておられるように、WMMがエンティティという用語・ターム・コードによって目指しているのはその意味で、量子論と神秘学との統合でしょう。
 美しい一幅の絵に手を加える能力を発揮しつつ、その絵の美的完成度を下げないためには、自らがその絵の一部となっていることを明確に自覚し、「地」・キャンバスとの一在性を保ちながら、踊るしかない。感謝とは宇宙と自分が同じ素材で織られていることの確認でもある。キャンバスから立ち上がった手が筆をもち、自らキャンバスに色を加える。そしてその加筆の後が分からないように加筆修正ミッションを完了する。完成されたあるいは存在を許容されたタイムマシンとはこういった機能をもたなければならない。

 量子論はある時期からある種のバイアスがかかっていると思います。そのバイアスから身を離す余地を残しながら、現代の量子論をデコードできれば、有効なグランドポータルになるように私は思っています。その際の余地としてWMMは貴重なツールだろうと思います。バイアス自体は明確で、客体側にのみ進化してきているタームにいわば主体的な厚みを持たせること。

 妄想で恐縮ですが、日本の二人が見つけてしまったクオーク構造の6。3組の素粒子分類を見ていけば、この6が3つセットになって素粒子構造が成立しているように見えてくる。この3つの6を西洋ではなぜか666として排除してきた。他方、東洋では3つの6はミロクとして、ひとつの時代を終わらせるキータームとして尊重されてきた。 もしかするとこの量子の666構想がひとつのグランドポータルとして、集合的意識に投じる波紋は大きいのかもしれない。

 もうひとつ私がWMMに注目しているのはその生命理解です。そして絵画というツールを利用している空間コード技術体系にも注目しています。
WMF投稿3 (アシカビヒコ)
2010-08-16 13:08:09
 WMMで私が当惑するのはその増殖し続ける情報量です。これはいったい何なのか?私が正直違和感を覚えるのはこの点です。単に私が年齢と共にセッカチになって、これが目に付くのかもしれませんが。結局、キリスト教において、ローマカトリックの教義体系に対して、異議を唱えてたプロテスタント系が、こんどはそれ自体が増殖し、神と個人との直接的信仰についての文化増殖をはじめてしまうという歴史。再び私はこのキリスト教的二項対立図式にWMMが陥るのではないかという危惧を現在のところもっています。
そこで、再びWMM自身に問うと
WMⅠp285
「ファースト・ソースは、組織とではなく個とつながっている。したがって、階層は動的に生き生きとはソースとつながっていなのである。階層は、助けたいとか役に立ちたい、指導者のヴィジョンに向かう力を与えたいといった階層自体の集合的な願いへとつながっていると言ったほうがいい。」

に私の参照ポイントは再び向かう。
これに従うなら
「ファースト・ソースは、WMMとではなく個とつながっている。したがって、WMMは動的に生き生きとはソースとつながっていないのである。WMMは、助けたいとか役に立ちたい、指導者のヴィジョンに向かう力を与えたいといったWMM自体の集合的な願いへとつながっていると言ったほうがいい。」
という結論となる。

となれば、WMMの使命はWMMの門を叩いた個人にWMMからの卒業を促すことである。
WMMが成功しているかどうかは、その普及、固定的読者数の数ではなく、そこを経由した数でもって判断される。したがってWMMの際限の無い増殖はその不完全性をしめすのであって、WMMは典型的な教科スケジュールを示した段階で、あとは次々にやってくる新入生に対して、適切なテキストを提示するガイドを設置して終了すべき「事業」ではないのだろうか。WMM入門者の課題はそこのガイドから速やかに学ぶべきものを学び、個としての自律へと向かうことかと思う。WMMとはその示唆を感謝する存在であって、そこに固執、所属しつづける存在ではない。その意味で、WMMは小学校に似ている。決して大学のように、そこに留まってWMM自体を研究し続けることに価値のあるものではない。そしてこれは、別にWMMに限ったことではなく、この地球、この宇宙自体も同様ではないか。現在の地球と現在の太陽との関係も同様だろうし、この太陽系とシリウスとの関係も同様だろうし、あるいはシリウスと天の川銀河中心のグランドサンとの関係も同様ではないか。ここで「主権」と呼ばれている能力を持ってしまった存在は、キリスト教的神話を採用すれば、智恵の実を食べてしまったのであり、エデンの園に留まることは許されない。

 植物は優れたシステムだと思う。地球に根を張り、太陽を指向する。特定の時間軸において盛衰を繰り返す。彼等からみれば、動物はすばらしいシステムにうつるかも知れない。動物は空間移動能力を持っている。しかし、動物とてその種に固有の生存原理に縛られていることに変わりは無い。人間は様々な文化装置を創造し、継承するが、そこに留まる存在としては存在していない。常に脱自を運命づけられている。ファーストソースの自己認識特性を担う存在と推測される。これはファーストソースが存在と無を包越した超存在を志向したためと推測される。0=∞の公理を導入し、階層構造に仕立て上げたこの宇宙に多次元結節、多次元交流装置として人類を配置するという試み。我々はその新しい試みに立会い、ファーストソースと共にそれを生きているらしい。


ウイングメーカーサプリメント読んでいます。 (アシカビヒコ)
2010-08-16 13:11:37
ウイングメーカーサプリメントの2010年7月号を読んでいるところです。2009年10月28日のインタビューとのこと。ジェームズ氏の発言は冴え渡っていますね。これを日本語で読める環境に感謝しています。すばらしい内容だと思います。しばし、このテキストと対話させてください。
WMS読んでいます2 (アシカビヒコ)
2010-08-16 13:13:47
WMS1007を読んでいます。メモ的文章です。

のっけからの引用です。

「この惑星のすべての人間は自分の最善を尽くしています。」(P3)

美しい! この言葉にジェームズ氏の思想が集約されていると私は推測する。
思うに、この惑星の人間的出来事のすべては瞬間ごとに最善なのではないかとの仮説を私は持っている。全構成要素の集約として常に最善の現象が生起している。過去と未来を含んだ地球上の四次元時空連続体の構成要素群のもつすべてのトータルな最善が今、この瞬間に生起している、というのが究極の宗教だろうと私は思う。これと同じ信念=仮説をジェームズ氏はこの文で語っているように思う。釈迦は縁起と語ったらしい。この文の放つ光により、フリーメーソンだろうがイルミナティであろうが、アニムスの否定的関与であろうが、すべては霞み、朧なものになる。存在する全てが最善を尽くしているという感覚の前では、感謝しか残らない。
原子爆弾投下による凄惨な現場において、これを最善と感得する精神はある意味ひとつの究極である。しかし我々人類はその究極に耐える精神のコヒーレントキャパシティは通常持ちえていない。直ちに我々はファーストソースのひとつの「割れ」=「我」として凄惨な現場において何をすべきか、何ができるのかを思い、具体的行動に移る。広島上空で爆発した原子爆弾の閃光を美しいと一瞬感じた人々があったかもしれない(もし神を光であると仮定するのであれば、原子爆弾の放つ光は神の臨在となる)。しかし彼等は直ちに肉体を失い、その光景を語ることは不可能になった。ゼロへの還元。肉体ベースを維持できた人々は一瞬の忘我から我に帰る。肉体という「割れ」に立ち帰り、しばし呆然と立ちすくんだことだろう。ゼロから1への立ち帰り。
この1への立ち帰りにおいて重要な指針をジェームズ氏は「行動的知性」と語っている。

・・・・・引用
本当は「行動的知性」こそが、その神の方程式なのであり、その構成パーツは、感謝・同情・謙虚・寛容・理解・勇気といったような言葉の服を着ているのです。  (P4)
・・・・・終了

このフレーズもまたジェームズ氏の思想が集約されていると私は思う。インドの宗教哲学で言えば、カルマヨーガの立場と呼べる。
とはいえ、私が注目したいのはジェームズ氏が挙げた6つの概念である。内容よりもその数に注目したい。彼は行動的知性という媒介を通して、神の方程式を6つのパーツに分節している。666の6であり、量子論的実体として推定される6と一致している。これは偶然ではないと私は邪推している。邪推と呼ぶのは私自身の仮説的バイアスを意識しているからだ。虹は日本では7色。神を根源的に分節する数として3、6,7などが上げられることが多い。私は根源分割を6とするのと7とするのは同値と思う。6が図として立ち現れるとき7番目の要素は地として背景にある。
 因みにこの「背景としての第7次元」関連タームは今回のサプリメントの最終ページ、シマさんのノートの最後にも示唆的文章がある。

・・・・・引用
ソース・インテリジェンスは、情報のユニバーサル・フィールドであり、物理学者たちはそれをヒッグス場、量子真空、ゼロ・ポイント・フィールドなどと呼んでいる。
魚が最後に気付くのは水である。マインドが最後に気付くのはソース・インテリジェンスである。(P52)
・・・・・・終了

かくして、今回のサプリメントもウロボロスの蛇のごとく、終わりが初めに立ち返る円環構造をもっている。この円環構造はウイングメーカーと名乗る知性体群がどうも好んで使う構造らしい。神はどうやらこの円環を描くことにより、ゼロと1と∞を一挙に統合したらしい。その意味で神の書初めは円であったらしい。円の一筆書きからこの全宇宙空間が創造されたのではないか。その意味で、
・・・・・引用
自分の尾を飲み込んでいるヘビのシンボルであるウロボロスとは、自分が「一なる者」であることを知るために進化できるよう、時空フィールドを操作し、自分の初期の転生をガイドする種族たちの秘教的なシンボルです。 (P23)
・・・・・・・終了

というジェームズ氏の発言にはニンマリさせられる。非常に正直で私は好感をもつ。

 さて、行動的知性とジェームズ氏が呼んでいる概念が私も重要と思う。これを日本では端的に「道」と呼んでいる。あるいは実践倫理、作法の極意など。この神ないし創造原理の6分節にジェームズ氏の個性、射程距離を私は感じる。具体的に感謝、同情、寛容、謙虚、理解、勇気と並べられている。この6分節の分節原理は思うに0→1のグラデーションではないか。3分節化すれば、情、知、意である。量子場理論的に言えば、波動性から粒性までのグラデーション。個的意識体とは我であり、割れであり、1である。この個我が全体に還元されるとき、その究極は感謝である。それ以降、個我の自立性を強める順番に分節し、名づければ、同情、寛容、謙虚、となる。個我が他我・他者との距離を詰めていくプロセスは、まずは自己の絶対性レベルを下げ、「謙虚」に他者の意見を聞くことになる。そしてそこに理が見出せたとき、「寛容」になり、その理に親密感をもてば、「同情」し、むしろそこに自己を包み込む豊かさを感じ取れるようになったとき、「感謝」となる。ある意味、個我の頂点は理である。分割された空間の極地が理解、意味空間の地勢的分解が理解・ことわり(事割)である。その意味で、「意味」とは「場所」のことである。それ以降の「理解」から「勇気」に向かうベクトルは空間制御+時間制御である。その意味で、意志とはタイムトラベラーの種子である。時空制御ができた段階で、個我は完成し、再びゼロに回帰する。「勇気(意志)」という頭が飲み込む尾は「感謝」である。ウロボロスの円環。その意味で、勇気・意志とは知の完成であると共に破壊であり、破壊願望が人間に根強いのはもともと意志が知を破壊するツールでもあることに由来している。ただし、それが破壊するのは他我ではない。自己のもつ世界観・価値観の破壊が破壊願望の目的である。
 「一在愛(高橋里美)」とも呼べる創造原理をどう分節するかは文化的来歴に依存する。知情意の3分節でも悪くない。この3分節は日本的語幹では「ち」の3分節に対応する。地・血・知である。この分節では意志は地に分類され、意志は石でもある。結晶。四次元時空結晶としての石・意志である。意志とは時間を貫くもの、時熟(ハイデガー)するものである。大地としての地球は我々がそこから育ちそこへと還る四次元時空結晶体である。そしてこの四次元時空結晶体とは即ち生命のことである。生命のもつ「形態」は空間次元、「機能」は時間次元の要素である。生命とは四次元結晶である。何の結晶かといえば、ひとつの宇宙の結晶であり、DNAは単にその物質的結晶断片にすぎない。五線譜に並んだ音符である。音楽が楽譜で完結しないように、生命もまたDNAでは完結しない。
 四次元時空結晶体の結晶構造がその溶媒と一致してしまう究極、1がゼロに回帰する瞬間である。これをインド哲学はニルヴァーナ・涅槃と呼んでいる。
 グランドポータルを将来させるための重要なレッスンとしてジェームズ氏は6つの根源分節原理にしたがって、実践することを挙げている。

・・・・・引用
要は、実践することです。ハートから生きるという技術の実践です。感謝、同情、寛容、謙虚、理解、勇気という6つのハートの美徳を表現することが、この惑星上の最高の周波数を表現する上でのカギなのです。その周波数とは、等価性の周波数なのです。  (P20)
・・・・・終了

ジェームズ氏の行動的知性とは生ける知性、地上でのグランディング、地球と共に進化することだろうと推測する。 地球という大樹の表面に生えだしたキノコのごとき人間が宇宙創造の根源分節の歌を歌い、踊りを踊ること、宇宙創造の原型を到来させ、グランディングさせること。それが最も重要で唯一の仕事なのかもしれない。 宇宙の創造原理に同調し、その振動を地球に伝え、地球と宇宙を共鳴させること。

・・・・・引用
私が先に言及した「言葉を話すコード」とはその変容のメタファーであり、そのコードとは行動というコードです。その行動とは、私たち個人と集合としての私たちの行動をガイドするハートの美徳の表現のことです。無知という名の機能障害が霧のように消え去って、新たな光が解き明かされるわけですが、それはこれから70年にわたって起るプロセスになることでしょう。ウイングメーカーのターミノロジーでは、その変容は「グランドポータル」と呼ばれています。それは人間の魂の反駁不能の発見であり、魂とは「一なるもの」のモザイクの一部であるといことが解き明かされます。   (P15)
・・・・・終了

グランドポータルは70年間空を見上げて待ち望むものではない。それは、たとえば、頭を垂れて、路傍に打ち捨てられた紙くずを拾い、彼が再び活躍できる場所に連れて行ってあげること。
地球とは天の川銀河系の辺縁系に打ち捨てられた紙くずのごときものであり、宇宙創造原理と同調し新たな宇宙を産み落とす胎児のごときもの。あるいは線香花火の震える玉のごとく、不安定で、か弱く、花火として輝く可能性を孕むもの。


この走り書きがジェームズ氏やshimaさんを通じて表現された宇宙創造原理への感謝の行動になれば幸いです。
WMS読んでいます3 (アシカビヒコ)
2010-08-16 13:14:45
再び、メモ的雑文で失礼します。


グランドポータルに関するジェームズ氏の発言のなかで今回注目しているのは以下である。

・・・・・引用
「一なるもの」の魂とは「結合エンティティ」であり、非時間・非空間・非物質の次元から流れ出る高次の周波数に整合するコヒーレントな創造を生み出す統合体として活動しています。

個人はその周波数と戦うことも、無視することもできます。しかし、集合エンティティとしては、それはできないのです。集合エンティティは、その高次エネルギーとの整合の中で活動しなければならず、さもなければ、カオス-ワンネスをサポートしない環境をもたらします。大よそ70年以内に、グランドポータルは新しい科学によって発見されるでしょう。そしてグランドポータルによって人類は宇宙との新たな関係に飛び立つでしょう。大きく拡大された自身の定義を統合するとともに、人類の顔は変化するでしょう。そして、その「再定義の時代」の中で、人類は協調性とコヒーレンスをもった存在になるでしょう。この変化は、その新しい科学の結果として到来するように見えるかもしれません。しかし本当は、それに先行する何千何億兆もの行動のシフトの結果として起るのです。(P15)
・・・・・終了

 私見ではこの文章のポイントは2つ。ひとつは集合エンティティの性質。これはエンティティの定義を明確にしないと意味射程が明確にならないので、今回はパス。
 もうひとつは最後、「グランドポータルは新しい科学の結果として到来するように見えるが、本当は、それに先行する何千何億兆もの行動のシフトの結果として起る」という文章。これはおそらくはグランドポータルが人類の意識シフトだけではなく、地球全体の集合意識の進化の結果起るからだろうと推測する。
 ジェット機が作る二筋の飛行機雲の下、アフリカでわが子の飢え死にを看取る母親の哀しみや、中近東で殺戮兵器により母を失った子供の頬をつたう二筋の涙といった人間的課題解決だけでなく、塵芥、一木一草を含む全存在が地球に在ることに感謝できる現実的環境が整わない限り、地球圏の量子場は科学者の知性に魂の一在性を明かすことはないのかもしれない。その意味で、グランドポータルとして歴史に刻まれる科学的発見は人類の壮大なマラソンリレー競技において最終ランナーが切るゴールテープにしか過ぎない。地球生命圏がグランドポータルを迎えるためになされる行動は何千何億兆にも及ぶ。
 我々はグランドポータルの到来に向けて、全員が難解な波動方程式を解いたり、巨大加速器から得られるデータを解読することはできないし、その必要もない。日常の所作において、ハートの声に耳を傾け、感謝、同情、謙虚、寛容、理解、勇気を体現していけばよい。そのシンプルで美しい所作が創りだす地球規模での清浄な量子場においては、不規則で激しい感情の波動干渉が除去されている。そこには雑音のない静かな量子場が実現されている。その実験環境は、観測者の意識に明瞭に反応する再現可能な実験データをもたらすことだろう。どんなに巨大で高エネルギーの加速器がもたらすデータでも、それは地球圏のディラックの海から立ち上がってくる素粒子を観測するしかない。そのディラックの海が透明に澄み渡り静かな渚とならない限り、我々の意識が発信するかすかな波により収束するコヒーレントの動きを再現可能なデータとして得ることはできない。
 ジェームズ氏が語ろうとしているのはこういった地球生命圏のダイナミズムかもしれない。マクロとミクロのダイナミズム。素粒子研究が宇宙構造を解明する如く、再び、ウロボロスの環は巡る。前回は時間軸上で、今回は空間軸上で。
0=∞
∞=0
の宇宙創造原理は無限に開闢し、極小に収束するフラクタルな宇宙を産み落としたのかもしれない。


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