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青函連絡船爆撃壊滅  *ボクの見た戦中戦後(33)

2017年07月15日 | ボクの見た戦中戦後

青 函 連 絡 船 爆 撃 壊 滅

 昭和20年7月14日と翌15日、ボクは函館で空襲を受けた。

カラスの群れのように飛んでくる敵機。

屋上すれすれに飛ぶ戦闘機の爆音、機銃掃射や爆弾の炸裂音に防空壕の中でおびえていた。

この空襲で青函連絡船は爆撃され壊滅した。

7月14日の空襲で青函連絡船は7隻が沈没、炎上1隻、中破1隻、座礁1隻、逃げて浅瀬に乗り上げた船1隻。11隻が被害を受けた。

翌15日は残る1隻が爆撃され沈没した。

全連絡船12隻が壊滅したのだ。

 

 ボクは退職後、当時の新聞記事を調べて驚いた。

連絡船沈没のことは新聞に1行も載っていない。

おそらく、当時の「秘密保護法」で報道できなかったのだろう。

連絡船が壊滅したのに、新聞には「被害状況は目下調査中なるも極めて軽微の見込みなり」と記されているだけである。

 

昭和20年7月15日の新聞記事

「朝日新聞縮刷版 昭和20年下半期」より抜粋

 艦上三百B29 廿機 函館、室蘭、帯広、釧路へ

北部軍管区司令部発表(昭和二十年七月十四日十二時)

一、   本十四日早朝来約七時間に亘り敵B29及び機動部隊より発進せる艦上機は軍事施設海陸の交通機関および函館、室蘭、帯広、釧路各市等に対し爆弾、焼夷弾、機銃をもって波状攻撃を加へたり

二、   来襲敵機はB29約二十機、艦上機延約三百機なり

三、  被害状況は目下調査中なるも極めて軽微の見込みなり

四、  ?在までに判明せる戦果は撃墜四機、撃波一機なり

============================

 新聞には「撃墜4機」とあるが、米海軍省資料によると、1機だけで2名が落下傘降下したとなっている。

 当時、大人から聞いたのであろうか、子供たちの間で、敵機が1機撃墜され、二人の米兵が落下傘で降下したと、うわさになっていた。

司令部発表よりも、子供たちのうわさの方が正しい。 

 ボクはアメリカの戦争記録のユーチューブを丹念に調べ、青函連絡船爆撃と思われるものを見つけた。

多数の船が次々と爆弾や機銃で攻撃される様子なので、青函連絡に間違いないと思う。

(アメリカのユーチューブより)

 

 

 

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6 コメント

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Unknown (ふき)
2017-07-15 16:59:34
生前 母は一度だけ飛行機に乗った事があります
その時 母を羽田まで迎えに行きましたが
震えて降りてきました
「戦時下でのB29を思い出し もう二度と乗りたくない」と
母は私の父とは再婚で
前夫は空襲で亡くなりました 大阪でと聞いております
二人の間には 乳飲み子がいました

戦争の名のもとだったら
人間は人を殺して英雄になります
愚かですよね

72年前の今日の事
全く知りませんでした
すけつねさんは
戦時中の事を凌駕され 教えて頂く事ばかりです
すけつねさんの 平和への一念は 多くの人の心に響いていると思います
残りの人生 襟を正して生きて行きます
平和を願って・・・

72年前の空襲 (kazahana)
2017-07-15 21:08:29
すけつね様
当時樺太豊原に住んでいました。

敗戦後命からがら引揚げ船で小樽に上陸、木古内の伯父を頼り向かいました。

函館駅で一泊しましたが、人で溢れ、周囲は嫌な臭いが充満していました。

戦争はいや、二度と繰り返してはいけませんね。

あの頃を知っている人も少なくなりました。
ふきさんへ (すけつね)
2017-07-16 09:24:22
お母様が飛行機に乗られたとき、B29を思いだされたとのこと。 B29の爆撃に遭遇した過酷な記憶がよみがえったのでしょう。 私は函館空港に降りる飛行機の窓から、B29やグラマンが函館を襲った時を思い出しました。 グラマンが機銃掃射をした自宅付近もはっきり見えたのです。
戦争は人を鬼畜に変えます。戦争を知らない政治家たちに、ぜひ、平和を守るように努力してほしいと願います。





kazahanaさんへ (すけつね)
2017-07-16 09:49:50
よく、ご無事で引き上げられましたね。 引き上げ船が潜水艦からの魚雷で沈没し、大勢の人の命が失われた事件を思い出します。

函館空襲後、私は姉妹と、父に連れられ、秋田の親戚に預けられました。 宗谷の砕氷船に乗って青森に渡りました。 当時、函館港は、連絡船全滅のことは報道されておりませんでしたので、知らずに船に乗ろうと集まった人で身動きが出来ないほどでした。 迷子にならないように父の服にしがみついておりました。 
父が函館へ引き上げた後、砕氷船亜庭丸も撃沈です。

若い人たちに、戦争とは何かと、考える機会があってほしいと思います。
戦争のむごさを伝える (ろこ)
2017-07-16 11:09:32
こんにちは。
 秘密保護法ができ、共謀罪が強行採決されました。
 戦前回帰ですね。
 すけつねさんの、この記事が戦時下に置いては国民は見ざる言わざる聞かざる状態にされていたことがよくわかります。
 国家権力によって、戦争は肯定され、開戦し、敗戦の憂き目にあいました。
 また、戦前にもどって、同じ状態になるのはごめんです。
 戦争を知っている人が少なくなってきました。
 今、ここで戦争の怖さ、虚しさ、残虐さ、真実を伝えないと、同じことが起こります。いえ、まさに起ころうとしています。
 すけつねさん、
 真実を伝え続けてください。
 
ろこさんへ (すけつね)
2017-07-16 21:21:26
戦時中は、国家に都合悪い真実の情報は隠され、都合の良い情報を大げさに伝えられていました。
国家権力の意に沿わないことを言えば逮捕された時代です。 今のどこかの国と同じ状態でした。
秘密保護法、共謀罪など、戦時中に逆戻りするような気配を感じます。 やがて、どこかの国のように物を言えない国になるのではないかと心配です。 
戦争とは何か。 戦争が起これば国民の生活はどのようになるのか、考えてもらいたいと思います。
あの人権を無視した時代に戻りたくありません。

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