未亡人の独り言

夫が突然、糖尿病に。そして、膵臓癌へ…
2009年6月22日永眠。未亡人になりました。

葬儀準備( その2)

2009-06-30 11:37:05 | 膵臓癌闘病記
翌日、葬儀屋さんが車で私を迎えに来てくださり、事務所へ行って葬儀打ち合わせ。
葬儀式場で主人の好きだった曲を流して欲しいとお願いしCDを持参。
CHEMISTRYの「最期の川」
JULEPSの「旅立つ日」
平原綾香の「カンパニュラの恋」の3曲。平原綾香のCDは持っていないので、葬儀屋さんがレンタルして用意してくださり、それらを1枚のCD-Rに焼いてくれました。
私の喪主挨拶は、お通夜しか参列できない方にも私と主人の想いを伝えたいので、オリジナルの会葬御礼状としてほぼ同じ内容の物を印刷。そして、好きだった曲を流すだけでなく「最期の川」と「旅立つ日」に関しては歌詞のコピーを会葬御礼状に同封。
葬儀まで中3日あったので、準備期間があり助かりました。
生前、私のイメージする葬儀を主人に話したことがあるので、主人が私の為に時間をくれたような気がしました。
電話での打ち合わせでも済むのに、葬儀屋さんは私を毎日迎えに来て事務所に連れて行ってくれました。奥様がお昼ご飯をご馳走してくださり、事務所に着くと主人を冷凍庫から出して顔を拝ませてくれ、打ち合わせが終わった後も夕方まで滞在させてくれました。私が淋しくないようにという配慮だったようです。

通常なら業者任せにすることが多い死亡届の提出も同行させていただきました。
婚姻屆や離婚屆の時以上にアッサリしてましたね。

亡くなった22日の時点では葬儀を執り行う週末のお天気はイマイチだったのに、日が近付くにつれ週間予報が良くなり嬉しくなりました!
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葬儀準備

2009-06-30 11:32:44 | 膵臓癌闘病記
今回の葬儀は以前からこのブログでお話している通り、主人のお友達にお願いしました。
病院で主人の最期を見守る間、主人のお兄さんに没後から葬儀までの流れをどうするのか聞かれ、主人の希望、私の希望など伝えました。
遺体を自宅に連れて帰るかどうかについても、お兄さんは私の気持ちを優先してくれ、病院から葬儀屋さんに運ぶことになり、そのようにしました。
私と息子夫婦が寝台車に同乗、自宅マンションを経由し玄関前でお別れして葬儀屋さんの事務所へ。
旅仕度の着替えなどお手伝いし、棺桶に入れました。
自宅にいる間とうとう床屋さんに行けなかったので、白髪が目立ち気になって相談したら、葬儀屋さんが自分で使ってる生え際用の毛染めブラシで染めてくれることになりました。それと、病院で胆汁を吐いた時、前歯に緑色の胆汁が付着してしまったので、拭いていただきました。
白髪も歯の色も他の人は気にもとめないことでしょうけどね。

喪主挨拶のカンペをいただき「覚えなくていいですよ。そのまま読んでください」と言われたので、私はありきたりでない自分の言葉でご挨拶したいと伝えました。
帰宅後さっそく原稿作り、サラサラッと書き上げ、翌朝さらに書き加え、葬儀屋さんに添削していただき3度直して書き上げました。
つづく
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感謝の言葉( その2)

2009-06-29 18:50:45 | 膵臓癌闘病記
5/24「やっと念願の大きなテレビと椅子が買えた。それも妻に車椅子を押してもらって行った。楽しくて、嬉しくて涙が出そう」
5/25「息子夫婦と一緒に食事に行った。今日も楽しかった」
5/26「妻に連れられマック、ヨドバシ、ドコモショップ、最後はヨーカ堂で帽子まで買った。楽しくて死にたくなくなってきた」
5/30「生きていれることに感謝。間もなく6月、4月に入院した時は本当に死ぬと思っていたが、医師の適切な薬の配合はもちろんのこと、妻や息子が一生懸命俺に都合を合わせ励ましてくれた。感謝している」
5/31「妻にはまだ言ってないが朝から腹痛や息苦しさがある。よくここまで頑張れた。○○(私のこと)には朝から夜中までついててくれて本当に有難う。旅行も一緒に何度も九州や北海道に行ったね。最後に行った北海道の旅や由布院、今でも忘れない。○○には世話になったことを書き出せと言っても色々有りすぎて。用事がなくても車椅子で街中に出かけてくれ、重い坂道を押してくれたね。本当に有難う。俺に尽くしてくれたことを一つずつ挙げると涙が止まらない。旅行での由布院で朝から乗った人力車、風が気持ちよかったね。北海道での豪華なホテル、旅館。乗ったことのなかった北斗星、帰りは豪華なカーフェリー。全部楽しかったね。有難う」

何度読み返しても泣ける…(T-T)
まだあるけど…。
ダメだ、私。
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感謝の言葉

2009-06-29 18:14:39 | 膵臓癌闘病記
6月22日14時51分以降を振り返りたいと思います。

「ご臨終です」と言われ、看護師さんが身体を拭いたりする間、デイルームで待つように言われました。
廊下を歩きながら私はなんとも言えない爽やかな達成感を感じていました。
手を痛めたり、寝不足で頭が痛くなったり、最後の一週間は辛くて辛くてきつかったけど、私は私にできる精一杯のことをした!「やり遂げた感」で満たされていました。
でも、私の自己満足かなぁと思ったり…。
主人は退院後、携帯電話のスケジュール機能を使いメモ程度の日記を記してました。
たまに私に読んで聞かせてくれました。
そこには私への感謝の言葉が沢山書いてありました。涙無しには読めません。

5/21「ようやく帰ってきた。初めての訪問看護に来てもらった。妻も面倒みてくれると言うし、このまま生きたいな」
5/22「初めて車椅子借りてヨドバシや家具屋に行った。尻や背中は車椅子がゴツゴツして痛かったけど、楽しかった。また行きたい。坂道が妻では大変なので電動式のスクーターみたいのを借りるかな?」
つづく…
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終わった~!

2009-06-27 20:55:39 | 膵臓癌闘病記
皆様、おかげさまで無事葬儀も終わり、喪主挨拶も完璧!(自画自賛!)、そのまま納骨してきました!
遺影と白木のお位牌は主人の息子が持ち帰りました。
疲れた~!

また詳しくアップしますね!
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葬儀日程

2009-06-26 13:29:54 | 膵臓癌闘病記
本日、18時~19時がお通夜

明日、10時~11時が告別式

そのまま14時半から納骨です。
がんばりま~す!
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最期のとき( その3)

2009-06-26 00:55:34 | 膵臓癌闘病記
12:00過ぎ
栄養部の配膳係の方が昼食を持ってきた。家族のじゃないですよ、主人に…「一般常食」でした。名前も部屋番号も間違ってない。
不思議なこともあるものだ(笑)
一同苦笑。
そこへ来た看護師さんに「お昼ご飯食べてきたら?」と言われ、届いた昼食を見せたら呆れた顔してた。家族で食べていいと言うので、私と娘でいただき、お兄さん達は食堂へ。
こんな時でもお腹は空くんですよね。

14:40
またナース登場!足の指に付けた酸素値計が計測できないらしい、少し冷えてるからと手の指に変更。
しかし、またすぐ来て首を傾げる。再び緊張する私達。
大口開けて呼吸していた主人の喉の動きが素人の私達に唯一見える生きてる証。
その呼吸間隔が急に長~くなった。
食い入る私達。
そして心電図モニターも病室に運びこまれた(さっきは用意したけど出番なく廊下に置いてた)
さらに大御所、主人の敬愛する主治医登場です!
「終わりなんだ…」そう思った。
もう心電図モニターの波はなかった。先生が瞳孔や頸動脈をチェック。
時計を見て言った「14:51ご臨終です」

眠るように…というよりも眠ったまま逝った感じ。
私はもちろん、誰一人取り乱すことなく落ち着いてました。
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最期のとき( その2)

2009-06-26 00:53:04 | 膵臓癌闘病記
痰が取れてゼロゼロ音も無くなり、口と目を半開きにして軽いイビキのような音を立てて寝てる主人。すでに反応は無くなってました。
5:50
静かに、しかし慌ただしく2名の看護師が来た。血圧を測り「他にご家族は?」と聞かれ、主人の兄に連絡すると言ったら「すぐに電話してください」と言われました。
主人の兄と一度帰宅させた私の娘と息子にも電話しました。
看護師に「お兄様はお近くですか?」と聞かれ「遠いです」と答えた。今すぐ出ても2時間かかるだろう。ナースが「間に合うかな?」という表情をした。それを見た私は、間に合わなかったら申し訳ないな、間に合ってほしいな…と祈ってた。
7:30頃、子供達が到着、そして長男(故人)の奥さん(つまり義姉)、最後にお兄さん(間に合った~!)

8:00過ぎ、お兄さんが交代で朝食を食べに行きなさいと言うので、その間に何かあったら嫌だなぁと思いつつ、私と子供そして主人の息子の4人で院内の食堂へ行った。私は前夜からおにぎり一個しか食べてないのにお腹空いてなかった。
食事に行ってる間に主治医の先生が来たらしい。「おそらく今日中でしょう」と言ってたよとお兄さんに言われた。主治医は月曜日の午前中外来があるので、他の先生に様子を見に来させるとのこと。

最後に息子の奥さんが到着。さぁ、これで役者は揃った!いつでも来い!

11:25
また、ナースが来た。痰吸引、もう朝から反応は無いから嫌がらない。でも主人の息子は目を逸らす。「(心電図)モニター!」とちょっと慌ただしい。緊張する私達!
そこへ主治医のチームの若手ドクター登場!いよいよだ…固唾を飲んだ。
ところが、先生が来たら下がりかけた脈が上がってきた。首を傾げる先生。瞳孔を見た。
「今、ナースステーションにあるモニターを見て脈が下がってきたんですけど、また上がってきました。瞳孔は開ききってないけど反応はありません。痛みも感じてないでしょう。依然として厳しい状況であることに変わりありません。また来ます」と言って一度戻りました。
あらら??
一同ビックリw(°□°)w
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最期のときを迎えるまで

2009-06-26 00:49:52 | 膵臓癌闘病記
ようやく痛みを訴えなくなり、それまでどうしていいか分からず困惑していた私と主人の息子は一安心。しかし、呼吸する度に喘息の子供みたいに喉がゼロゼロ音を出す。
気になって看護師さんに言ったら、痰が絡んでるみたいだから吸引しますと言って、チューブを口の中に入れて吸い出した。
せっかく静かになったのに「痛い!痛い!」と激しく抵抗する主人。容赦ない看護師。暴れないように心を鬼にして手伝う私…。
この時息子はタバコを吸いに行っていて居ませんでした。
また、しばらくして今度はナースが二人で来て再び吸引。息子は見るに耐えない顔。ナースがいなくなった後「容赦ないね。身内にはできないね」と言ったら「俺、見れない」と泣きそうだった。
でも、ようやく本当に静かになりました。
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御礼

2009-06-24 01:31:57 | 膵臓癌闘病記
皆様からのコメントの多さに驚きと感謝の気持ちで一杯です!
ずっと読んでたけどコメントは初という方も多く本当に嬉しいです。
6月22日のブログのランキングが最上位の416位でした!
ちなみに私の住むマンションの部屋は416号です(笑)
つまらない冗談はさておき…
コメントくださった皆様お一人お一人に御礼コメントするべきなのは承知しておりますが、今は26、27日の二日間で執り行う葬儀の準備中でそれもできないことをお許しください。
ちなみに、主人と私の細かい希望をふんだんに(?)取り入れたオリジナリティ溢れる葬儀になる予定です。
主人の6月22日3:30から14:51までとその後の葬儀の内容は追ってアップしますので気長にお待ちいただけると幸甚でございます。
(___)
コメント (9)
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