水産北海道ブログ

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2015年4月号 今月のフォーカス ちょっと待ってよ、クロ現代「食卓の魚高騰!海の資源をどう守る」

2015-05-05 22:32:41 | 今月のフォーカス
(1)資源管理の話題は結構だが短絡的すぎる
 新年度の特徴として水産をめぐる話題は、「資源管理」が一つのキーワードになっている。マグロ、ウナギの話に代表される資源危機キャンペーンと連動しており、政府自民党の意向でもあるらしい。
 同時にそれは昨年、水産庁が行った「資源管理のあり方検討」の反響が大きかったことと、検討取りまとめの内容及びその対応を明確にしたことにもよる。新たな管理方策は、マサバ、スケソウ、太平洋クロマグロ、トラフグの4魚種に関するもので、特にマサバにはIQ(個別割当方式)の導入が求められ、スケソウはABC(生物学的許容漁獲量)とTAC(漁獲可能量)の乖離の是正、太平洋クロマグロは未成魚(30キロ未満)の半減といった漁獲規制が加えられることになった。
 NHKクローズアップ現代の4月15日放送「食卓の魚高騰!海の資源をどう守る」は、資源管理の現行制度の不備をとりあげ、たいへんわかりやすい結論を導き出すものだった。最近クロ現は「やらせ演出」で相当にバッシングに遭っており、国谷キャスターはお気の毒で、同情を感じる部分の多い。しかし、今回の番組は「やらせ」ではなかったが、明らかに世論誘導的な作為(ミエミエの意図、客観性の欠如)を感じさせた。漁業者の発言は断片的で、細切れにした映像と紋切り型の言葉が結びつけられた。本当に現場の漁業者や市場関係者が意図している思いなのか、たいへん疑問に思った。
 結論は簡単で、おおよそ次のようになるだろう。日本周辺海域の多くの資源は枯渇し低迷しており、それは主に漁業の獲り過ぎによるものだ。漁獲規制をしないことが乱獲を招き、漁業者も消費者も困っている。未成魚を獲らず、数年がまんすれば魚は成長しみんなハッピーになれる。それをできないのはモラルの問題ではなく、制度の問題だから制度改革が必要だ。

(2)漁業=悪のイメージ、それは資源管理が悪いから
 前半は、各地の魚が獲れない、魚体が小さいのに価格は高いといった困った状況を映像で見せる。いわゆる細かいカット割りによるモンタージュの方法であり、イメージは伝えるが、話し手の正確な情報は前後左右が切断される。
 水産庁の太平洋クロマグロに対する新しい資源管理も一応取り上げているが、あまり視聴者には伝わらない。しかし、ネットで公開されているテキストには、規制が足りないと批判的ながらちゃんと触れられている。国=水産庁の施策はあくまで刺身のツマのようなもので、取扱いはアリバイ的だ。
 それと気になったのは漁業の資源管理には欠かせないTACやABC、IQといった横文字の略語はいっさい使っていない。わかりやすくするための工夫と言えばカッコ良いが、視聴者を馬鹿にしているのではないか。情報を薄めることで、理解の質はぐっと落ちる。今どきネットで検索したり、水産庁のホームページで「資源管理の部屋」を読めば大概のことはわかる。例えばTACに関する説明はひどい。
「国が漁獲量の上限を定めている魚種は、僅か7魚種。しかもその上限は、実勢の漁獲量を大きく上回っています。成長前の魚の捕獲を禁止するサイズの規制もありません」
 冒頭に「国が」という言葉が入っているのがミソである。国内の漁業の実態を少しでも知っている人なら、自主規制という形で地域漁業管理機関をはじめ漁業者や漁協が自らルールを決めている漁業が多いことを知っている。多いというより、完全にフリーで短期間に競争しながら獲りまくるという「オリンピック操業」は現実にはどこの沿岸にも存在しない。共同漁業権漁業という一番陸に近い海域でやる漁業のルールは、組合が管理する漁業(総有)として細かい行使規則を定めており、「オリンピック操業」になることはあり得ない。

(3)地域漁業における自主的IQが抜け落ちている
 番組後半で「船ごとの漁獲規制の試みを日本で始めた」として事例紹介されている新潟県のアマエビ(ホッコクアカエビ)。その努力と成果は、決して評価しないわけでないが、わずか3隻で取り組んでいるローカルな漁業と、批判の対象とされている太平洋クロマグロは漁業種類も漁船数も全く異なり、調整の難度は比較できない。
 地域漁業の例ならば、オホーツク海で実施している毛ガニかご漁業の自主的な資源管理くらいのレベルは紹介すべきだったろう。毛ガニは海域ごと、漁協ごと、漁船ごとのノルマ(漁獲の上限)が毎年、試験研究機関の資源評価をもとに決定しており、道が許可の方針を示し、業界とコンセンサスを得ることでルールが担保されている。しかもロシア水域とのまたがり資源であり、国籍不明の密漁などの防止国際的な資源管理、違法操業対策もその取り組みの中に入っている。水産庁の資料によると、こうした自主的なIQの例は新潟県のエビを含め全国に13あり、ほとんどが漁船別の漁獲割当を行っている。
 いわゆるIVQ(漁船別漁獲割当)の事例は、「資源管理のあり方検討会」の第2回会議(2014年4月18日)でも水産庁がノルウェーのマダラを取り上げでおり、ノルウェーでも効果はあるとはいえ、魚価を含めた経営面では必ずしもオールマイティーな管理手段とは言えないことが明らかにされた。特に小型漁船が多い日本の沿岸漁業にはマイナス効果大きいと感じている。

(4)資源管理の議論が足りないからバカな批判を受ける
 さて、全体に日本の資源管理をめぐる議論は、拙速で積み重ねが足りない印象が強い。資源管理・収入安定対策の導入、つまり漁業共済を活用した経営支援(積立ぷらす)の加入要件として出てきた「資源管理計画」を今や全国的な資源管理の体系として既成事実化し、その効果の自主点検を求める国の姿勢にはやはり納得できない。
 「資源管理のあり方検討会」では自主管理と公的管理の高度化を通じて資源回復を図るという趣旨の取りまとめ対応策が打ち出された。しかし、前政権の時に「資源管理・漁業所得補償対策」として実現した「積立ぷらす」はあくまでも損保(収穫保険方式)の上乗せ措置で(漁業者の負担、資金提供が前提)、所得補償とはかけ離れたものであった。加入は自己責任であり、年金制度と同様の格差を内包している。あるヒトなどはその制度名から「漁業者は資源が減っているのに乱獲を止めないのは生活保護(所得補償)を受けているせいだ」と勘違いするほどだった。国際的な漁業者補助金の廃止議論とは別に、資源管理と所得補償(産業的なセーフティーネット)は別個に根本的なところから議論し、漁業者とコンセンサスを得られる制度とすべきだった。辻褄の合わなくなった制度の正当性を予算獲得の見返りに都道府県と漁業者(漁協)に「効果」(領収証)を出せというのはあまりに無責任ではないか。
 こうした不満を持ちながらも、「収入安定対策」自体は普及率が7割を超え、近年の漁業政策ではたいへん成功した制度だと思う。当然、格差の是正、制度に加入できない漁業者のセーフティーネットをどうするかという課題は残る。それにしても、クローズアップ現代で勝川氏が述べている「厳しい漁獲規制」とその効果に対する楽観主義はひどすぎる。国以上に無責任だ。

(5)漁獲規制の厳格化でみんなハッピーになれるか
 番組で語られる「3キロのクロマグロを6年間獲らないで100キロに育てば、体重は30倍、単価も10倍になる」との発言。これ本当かと制作サイドはまったく疑問を感じなかったのだろうか。一つは、太平洋クロマグロの未成魚を6年間1本も獲らなければ、10倍に成長するのかという問題。
 10年一昔というが、今後5~6年同じ状況が続くほど、太平洋の環境は甘くないだろう。激しい環境変化、自然および社会の両方からもたらされるマイナス要因をどう予想しているのか大変疑問だ。都市化=工業化、鉱物資源の開発、国境問題と漁業をめぐる環境問題は複雑化し、とても内部の論理だけでは持続性を維持できない。
 もう一つは、現在の市場環境で可能な価値が6年後に実現するかという社会経済的な側面である。世界は旺盛な水産物需要に対応するために養殖業による増産が急速に進展している。天然のクロマグロの価値が6年後も今と同じとは到底考えられない。それはエビやサーモンをはじめ多くの商品価値の高い魚種で証明されている。マグロの資源減少も実は、世界で急増した蓄養による巨大ビジネス化した漁業の変貌と無関係ではない。その背景には世界的な和食ブーム、その中心にあるスシに欠かせないマグロの需要増大があるのは言うまでもない。グローバル化が進む水産物市場は、もはや国内の需給調整で安定化させるのが困難だ。
 勝川氏が語る「規制があることによって漁業は成長産業になるし、漁業者もハッピーになる。これは、海外の漁獲規制をやっている国で起こっている」というユートピアは、国内の漁業者と消費者が最も望む水産物の生産(供給)や価格の安定につながらない。資源管理をしっかりやれば、漁業者の経営が良くなるというのは、可能性としては否定できないが、イコールではない。資源と経営は別であり、それぞれに固有の方策が求められる。その先に両者が交差し、最適の生産と価格の構造が初めてイメージアップされる。
 それ以前に自然相手の仕事である漁業には、適切な環境が求められる。資源があっても水温や潮流で獲れない。あるいは獲れても費用に見合った価格が出ないというのが漁業の実態であり、今や担い手が不足して獲れないという社会人口的な問題も加わる。人口減少、少子高齢化は日本社会全体の問題であり、これも漁業自体で解決するのは不可能だ。

(6)国家統制による強権的な資源管理はアナクロ
 結局、勝川氏は漁業がうまく行かないのは、「制度の問題」であり、厳しい漁獲規制に踏み切れない原因は「政治的なハードルの高さ」にあるとする。そして「資源を残せば全体の利益が増えるビジョンの共有」「我慢した人が報われるような制度」が必要だと言う。
 テレビで聞き流せばいかにも受けがいい印象だが、具体的には何のことだかわからない。むしろ、上からの公権力による規制強化を呼び込む姿勢としか受け取れない。国の責任で資源管理を行うことのベクトルが全く逆なのだ。下からのコンセンサスをもとに、漁業調整の結果を担保し、漁業者の自助努力を超えるリスクを補い、経営支援の手を差しのべることが国の責任のあり方ではないだろうか。
 国境に近い辺境の地で定住し、産業に従事する人々は、産業が存続する限りは、その地に留まるだろうが、産業的な内実を失えば、離散し二度と戻らない。日本に固有な沿岸漁業をいかに守るか。水産業ほど国際化している地域産業はない。水産物は市場経済の最前線にいる。だから逆に、漁業を通じて発現される外部経済的な価値(多面的な機能)を認めるべきであり、漁業が地域で成り立つことが環境保全、社会的費用の面でも最も合理的な形と言えるだろう。
 資源は太平洋クロマグロのように著しく減少する魚種もあれば、マサバのように増大しているものもある。それぞれの条件に適合した「順応的管理」に取り組むべきだし、その必要性は漁業者が一番わかっている。5年程度で効果が出る場合もそうでない場合もあるのが漁業だ。
 資源評価は漁獲のデータが基本であり、広い海を満遍なく常に調査するのは物理的、コスト的に難しい。また、多くの魚種にIQやITQを導入し、厳格なチェックを行うは漁船、漁港が多い日本では難しい。少なくとも現体制では不可能だ。国家の公的な規制で厳格な資源管理を行い、資源を回復しようとすれば、莫大な財政出動が想定され、費用対効果は必ずしも期待できない。多種多様な沿岸の魚を小売で供給してもらうためのシステムは、沿岸漁業者を活かし、漁業を続けてもらう以外にないだろう。漁獲規制を万能の解決策のように主張するのは間違いであり、その方向には日本漁業の廃墟があるだけだ。


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