嫁の巣

このコーナーは嫁に乗っ取られております。 基本的にはエビと関係ありましぇん。嫁の巣(過去版)はブックマークから。

1リットルの涙

2005年12月21日 | 思うこと
 最終回。ビデオに撮って今見ました(9時、ていろいろ忙しいからいつもビデオだったの。一人でじっくりと見たいドラマだったので、なおさら)。
 
 泣いた~。本当に、泣いた。
 ドラマでこんなに泣いたの、いつ以来だったかな。

 「生きる」
 なんで病気は自分を選んだの?
 自分は何のために生きるの?

 私は健康面では今までいろいろな経験をしてきたから、「健康が当たり前」とはあまり思えない。
 どちらかというとわりに「病気」というものを身近に感じる方なので、人ごとではない思いでドラマを見ていた。
 病気になった主人公の立場と、病気になった娘を思う親の立場、両方の立場で、胸にくるものがあった。
 いい家族だったよね。
 もし私がこういう病気になっていたら、自分の親とあんな関係が築けただろうか。
 お互いがお互いの気持ちを思いやる、あんな家族になりたいね。
 
 「病気」になった途端、「健康」というものがどれほどありがたく、かつ得難い物であるかを思い知る。
 病室から見る外の景色はなんであんなに輝いてるんだろうね。
 忙しそうに出勤する人達まで、すごく羨ましくなる。
 ガラス一枚向こうなだけなのに、すごく遠い世界のように感じるよ。
 病院から出たくて出たくてね。
 うるさいなあ、と思ってた家が、すごく恋しくなるんだ。
 家族皆で家で過ごせる、その有り難さを、しみじみ実感するんだ。

 何度かそういう経験をすると、今度いつまたあの気持ちを味わうのか、とつい怖さが気持ちに残るんだよね。
 もう、病気は治ったのにね。
 私は生まれつき持ってた物もあるから、つい、そう思っちゃうのね。
 けいちんやなぎが産まれるとき、実は少し心配だったんだ。
 私のようなことがあったらどうしよう、て。
 二人とも元気に産まれてきてくれて、本当に嬉しかった。
 自分の子供たちにはこんな思いをさせたくないからね。
 きっと今は、自分が病気になるよりも、子供が病気になるほうが辛いから。

 今、ちゃんと生活できているということ。
 毎日家族で過ごせてること。
 それはすごく幸せなこと。
 決して、当たり前ではない・・・。

 「自分は何のために生きてるの?」
 「誰かの役に立ててる?」
 「”平凡”という、幸せ」

 いつも心に止めておきたい、言葉。

 ありがとう。木藤亜也さん。

 
 

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2 コメント

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1リットルの涙。 (chami)
2005-12-21 23:29:32
あたしも、昨夜は号泣だったよ。

親になってから、特に2重の思いがあるから、

どちらの立場になっても辛いね。

自分が主人公の立場だったら、あんなに気丈にいられるかな。。。。

子供が病気になったら、あの母のようにあることが、できるかな。。。

あたしも、2年前に初めて入院を経験したから、ぶら嫁さんの言う事が良くわかる。



あたしの場合は、【完治】がないから、また、いつなるかわからないの。いつもは元気にしているけれど、時々ふとした時に、物凄く考えてしまう時があるよ。



平凡な毎日は、当たり前ではなく、この上ない幸福なんだよね。



このドラマを見た後に、ネットサーフィンしていたら、ある方のブログを拝見したの。

妊娠6ヶ月で退治の病気がわかり、出産しても程なく亡くなってしまうという病気。

もちろん、中絶を勧められたようなんだけど、本人は、【自然に】って事を希望し、死んでしまうとわかっていながら、自然分娩で出産。2時間後、赤ちゃんは亡くなったそうです。

彼女や旦那様、家族。。。みんなの協力で、その子はこの世にちゃんと存在し、本当に短い生涯だったけど、過ごす事が出来たんだよね。

あたしだったら、そんなすごい事出来るだろうか。。。



話が、はちゃめちゃになってごめんね昨夜は、本当に、色んな事を考えさせられる夜だったよ。
うんうん。 (ぶら嫁)
2005-12-24 00:42:06
 健康のありがたみ。

 本当に、「生きる」ということを考える機会を与えてくれた、ドラマだったよね。



 私は自分のしていた仕事上、様々な人生を抱えた子供達と接してきたの。

 そこで感じたのは、

 「人は生まれつき”平等”ではない」

 ということ。

 「健康に産まれる」ということは当たり前ではないし、「親に愛される」と言うことも決して当たり前な事ではないんだよね。

 産まれてきた子供達それぞれに産まれてすぐ、産まれ持った運命があり、人生がある。

 それを、しみじみ実感させられた場所でした。

 今自分が、ちゃんと育ててくれる親の元に産まれ、いろいろあったけれど今は健康で自分なりに自分の思った人生を歩いているということ。

 それは、自分の努力もあるけれど、大きな幸運にも恵まれていたということでもあると思うのね。

 世の中「当たり前」な事なんて本当はないのかもしれないね。

 どんな運命を背負っていても、頑張って自分の幸せを見つけてくれてるといいな、と、あの時出会った子供達のことを思います。

 そして、そんな子供達の頑張りを支え続けている親御さん達にも、ものすごく感動しています。



 不治の病を抱えていると分かってる子供の命を胎内で育む。

 それは本当に、どんな気持ちなんだろうね。

 「産まれること」=「死」だなんて、本当にその親御さん達は、どんな思いだったんだろうね。

 実は、私の在職中も、同じような状態のご夫婦がいらっしゃったの。

 その時私は配属が違ったから、同僚から話しを聞くだけで実際にケアには携われなかったんだけど、その親御さん達の苦悩。聞くだけでも、辛かった。

 お母さんの戸惑いも当たり前だし、それを支えるご主人の精神力も、大変なものだったと思う。

 様々な紆余曲折な思いを抱えての出産。

 出産後、私はそのお子さんに会えたのね。

 身体は見た目に分かる変化があったんだけど、顔はすごく可愛かった。

 苦しい息で、精一杯呼吸して、ちゃんとそこで生きててくれてたの。

 ご両親は、それまで様々な気持ちを抱えてたから(特にママが)、その子との初めての対面をスタッフ皆が心配してたんだけど、初めてじっくりと顔を見たママは「可愛い」と言ってくれたんだって。

 それからは、赤ちゃんへの愛情もちゃんと育ち、最期はママの腕で息を引き取ったんだ、と聞きました。

 ママとパパが抱えてたいろんな思いを、赤ちゃんはその存在で打ち消して、ママとパパと愛情を築いて、短い間だったけど、ちゃんと愛されて天に召されていった、と聞いて、亡くなったことは悲しいんだけど、ある意味ほっとした、というか・・・。

 今親になって、改めてその時のご両親の気持ちを思うと本当にどんな言葉でも言い表せないよね。

 

 人には本当に様々な人生があるんだ、と思ったよ。



 

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