風のとおり道

山あり谷あり暴走中。

震災から3週間。

2011年04月01日 18時57分06秒 | moblog
このたびの太平洋沖を震源とする地震により被害を受けられた方々に、
深くお見舞い申し上げます。

現在私は、宮城県内のある食品スーパーに勤めています。


地震発生当時の私は、
仙台市でも、多賀城市に近いお店の応援で精肉部門に入ってました。

私は現在本社職員なので、本来ならば、その日行われてた本社での会議に出るはずでした。

しかし、たまたま出勤するはずだったパートさんが忌引で休むということで、
急遽、1人で午後のお肉屋さんを守っていたのです。

今思えば、
パートさんじゃなくて、
私でよかったと思います。

その日は金曜日で比較的、お客様が少ない…
つまり、正社員も少ないんです。
店長も休みだったし。


地震により店の天井からガラス板が落下し、
それを右手で押さえ、
左手でお菓子の棚がずれて流れ込んでくるのを押さえ、
立てなくなったおばあちゃんに覆いかぶさるように
両足を踏張って、

長い地震に耐えました。。。


やっとおばあちゃんと店の外に出ると、
電柱が傾いていて、

そして…

雪が舞っていました。



その直後から、
私は崩れそうな店内から物を捜し出し、
店頭での物資販売をはじめました。

次の日も次の日も、
長い行列が出来ましたが、
安全性の点検が済むまではお客様を中に入れることは出来ず、
店先にテントを張って
販売をし続けました。

はじめは、何時間並んでも、
お一人様10点とか制限あったし、
入荷がないから、
暗い店内をヘルメットかぶって捜索し、
在庫だけで販売をしなければなりませんでした。


私たちは、廃棄にしなければならない
半分解凍されちゃった冷凍食品とか、ねりもの、
期限の切れたものとか食べてしのいでましたよ。。。

電気がないのでね。



今は、仙台市の中心部は
ライフラインも復活しつつあり、
お店も結構開いてます。
物は限られてるけど、
お店の中で営業を再開しています。

ただ…ガソリンがないのが、つらいですね。。。
灯油とかもないから、
寒い寒い。。。

震災のあった日は、
とてもじゃないけど家には入れなくて、
車の中で過ごしましたが、
今は部屋の中で生活してます。



私は、実家もこの地震で避難区域に入りました。

家族全員が生きていることは確認しましたが、
帰る家がある町は
世界中から注目されている
危険区域です。


生きていればなんとかなる!
と願いつつも、
小さい頃から大学に入るまで住んでいた町が
今後どうなっちゃうのかと、
不安でいっぱいです。

でも、私に出来ることは、
宮城県の復興のために、
お店を立て直していくことですから、
きっと宮城が復活すれば、
福島も元気になるから、

私たちが福島の野菜とか売らないと。

せっかく、

安全だよ〜ってアピールできる仕事なんだから☆


全国からの、世界中からの応援とご協力に本当に感謝してます。

あとは前を向いて歩いていくだけです。
宮城はがんばってます!

きっとこれを乗り越えて、
東北は強くなると信じてます。
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キーワード
食品スーパー
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2 コメント

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Unknown (ボン)
2011-04-10 01:57:18
ガラスが落ちてきたり棚が倒れる中で
おばあちゃんを助け、
その後も販売を続けて頑張るなんて
誰にでもできることではない凄いことだと思う。

農水産物の風評被害も大きくなっている中で
彗ちゃんのように食についての安全性を学んだ人が
こういう野菜は全く心配要らないんだよと
発信していけば東北・福島の復興は少しずつかもしれないけど確実に早まるように思います。

負けるな東北・福島・彗ちゃん!!
Unknown (彗)
2011-04-23 14:38:14
宮城は少しずつ復興に向かっていますが、
時間がたったからこそその復興状況に差が出てきているという状況です。
まさに、津波の被害を受けたところは
いまだに3.11のまま。
車も通れないようなところはとくにひどいそうです。
同じ石巻市内でも普通に住める人もいるし、
仙台市内でも避難生活をしている人はいます。

避難所生活をしている人には救援物資はいくかもしれません。
しかし、
「自分たちは家の中で暮らせるから、
救援物資が足りなくなるから…」
とあえて避難所へはいかずに、自力で生活をしている人もいます。
そういう人たちのために、私たちは店を開けなければなりませんね。
ライフラインですから。

それでも、うちのところの店も3店舗は海に沈みました。
津波にのまれてもかろうじて営業できそうな店舗をようやく改装して
一店舗開店始めたところです。

他の企業は、本震でぎりぎり耐えていた状態で営業し、
余震でエレベーターが落ちて
営業停止になったところもあるそうです。
こういう店や建物は少なくはありません。

今もまだ余震に怯えながら生活しています。
まだ完全に復旧したわけではなく、
次の地震で、いつ停電するか、いつ水が止まるか、とみんなが心配しています。

それでもできることから普通の生活をしていかなければ、
明るくしていかなければ、
仙台も宮城ももとにもどることはできませんから…
少しずつ前に進んでいかないと。


私の実家はとうとう警戒区域に設定され、
両親は家のある町から強制的に出て行くことにまりました。
父は仕事があるため遠く離れた避難所で生活をし、
体のあまり強くない母は知り合いの家にお世話になっており、別々に暮らしています。

いまや、宮城よりも茨城・福島の方が余震の規模も大きく多いことが心配です。

弟は宮城で原子力関係の仕事をしています。
現場にたっています。
今は原子炉が止まっている状態ですが、
海に近いため、けして安全とはいえません。

家族それぞれがバラバラになって
それぞれの仕事をしています。
それでも私たちは自分たちの役割を果たさなければなりません。
今、やらなければならないことをがんばります。

きっと前に進めます。
全国の方々の協力や励ましのメッセージに感謝しています。
ありがとうございます。

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