なぜ書くか
私がいきなりつたない言葉で、心の中に溜まりつつあるものを書き始めたのは、僅かに去年、一昨年位からでした。
それまで、「日記のようなもの」も何も書かずにきました。だんだん、だんだん、親戚の叔父叔母様、祖母様の死に出会い、子供が生まれて、新しい喜びや悩みや問題にぶつかりました。
うまくいっているときは、何も書かずに幸せな日々が流れていったように思います。うまくいかない場合に、やはり打ちひしがれてしまうのです。それが、解決されずに長く続くとシコリになっていきます。シコリは厄介で、自分自身をも腐らせていきはじめます。生きているうちから、腐臭が漂ってしまうようでは、どうしようもありません。
国際結婚なので、周りの人たちとの言葉のハンデを感じます。。。
大家族なので、舅様、姑様との問題に様々な違いを見い出し、やり方の違いで壁にぶつかります。。。
やんわりとした言葉で、説明しても、「はい、はい。」と言われて、理解してくれたのかと思うと、そうでもなく、行動としては何も変化はありません。言葉では私の希望に同意しても、行動ではまったく無視されている状態です。
そうなると、初めは言葉の問題か?と遠まわしの言い方を2回、3回してもダメだと分かり、伝わらないことはやり方を変えてはっきりと言ってみます。「これまでお願いしたように、子供達はもう十分大きいので、自分で靴の紐を結べますから、手伝わなくても大丈夫ですよ。学校に遅れる場合は、遅れてみましょう。一度遅れて嫌な気持ちになれば、もう遅れないように準備するようになると思いますから。手伝わなくても大丈夫ですよ。」といったふうに。
そうすると、「はい」の言葉は無くなり、壁の方にブンと顔を背けてしまいました。その後は、大変日本人的な感じで、すべて表立って何も言わないのですが、行動ですべて返してきます。すごい日本人的だなあとも思いましたが、よく話し合えば分かるだろうと思ったら、そうでもないのです。
なんだろう?なぜだろう?この変な感じは?まっすぐに、まっすぐに話しても、まっすぐが返ってこないのです。それどころか悪くなる感じです。好き嫌いだけの人か、分かり合おうという本当の心根がないかだと思いました。
そんな感じで、どんどん疲れていきます。
つまり、言葉の問題ではなく、やり方の違いだけなんですが、そんなことも受け入れられない人とうまくやって行かなければなりません。
何年も住んできて、なぜ書くかというと、人間に対する失望が書く動機となりましたが、影が成すには、太陽がなくてはできません。どんなに悪いというか、意地悪な人の負の部分にも、相手が変わればものすごく優しい顔を見せたりします。分かっているはずなのに、分かっていても自分の善に素直に向けない人というのがいるのだということが分かりました。
私の日記のようなものは、そういう両方の顔を見つめたときの気持ちだと思います。しかし、太陽を忘れているわけではありません。最初に影を見ましたが、かえって太陽の力をはっきりと感じ、またどんどんその力の意味を深く学び、感じつつあるという気がします。
また、どこの国にも土地も今では同じかもしれませんが、自分だけがよければいいという、自己の利のみを追う人が多く、つまらなく感じます。自己の利のみを追う人ばかりで、関係を持って生きている、助け合って生きているのは明らかなのに、行動には現れない人ばかりで、がっかりしてしまいます。
それでも、最初の「日記のようなもの」は、「早春」というもので、春のまだ雪の残るところがある時期、枯れ草の中から新しい草が生えてきて、いつも一人で散歩に行く大きな栗の木の下に来て、分かり合えないことの悲しみを漠然と抱えながらふと感じることがありました。青空を眺め、丘の上の城壁だけ残った城は、460年以上も前にあり、いろんなことがそこで起こりました。樹齢200年も300年もあるだろう大きな栗の木の下で、この木は何も言わないけれど、ずっとずっと黙って通りすぎるものを見てきている。ずっとずっと耐えながらも、きっと太陽の日が毎日あびられることの喜びをかみしめながら、馬鹿な人間にいきなり切られても文句も言わずに死んでいく。やわらかい土を踏んでは、土に返った命が無数の者、そのまた無数の者達であるだろうにと。生が繋がってきていることを感じながら、なんとつまらないことに苦しまなければならないんだろうかと、思いました。その日、ふと、繋げることに生きる意味があるのではないかと思いいたり、そうであるなら、怒りや憎しみなどの負の感情など、さほどの意味もないようにも思われました。
「日記のようなもの」は、自分の心の吐露ですが、読んでほしいと思う対象は、こちらの人に向けて書いているという気がします。
なぜ、「詩」と言いきらないかというと、日本人が最初の読者対象であると考えていないこと、字づらだけを追うというか、文字そのものでしか伝わらないヨーロッパ人を相手に、かなりはっきり言い切らないと通じないと思っているところがあります。
詩というには、はっきり言いすぎていて、詩性も何もあったものではないと思います。そう思っているときは、日本人を対象に考えているときで、日本では通用しないと思っているからだと思います。
それで、詩人になりたいのか?物書きになりたいのか?というと、それが目的で一生懸命書いているのではなくて、同じような人がいたら、きっと“繋がっている、繋げている”という認識が生まれれば、物事への受け止め方が変わるだろうと思うのです。そうすると、悩みから解放され、太陽を見て自然に生き生きと、できることをして生きられるようになると思うのです。そして、それが心から本当にそうできる毎日が増えてくると、自然にその人の顔にそういう生き方が出て、伝わると思うのです。伝わるには、長い長い時間がかかりますが。
書くことによって、自分がどうもがいて、泣いて笑って生きてきたか、子供達に伝えたいのだろうし、こちらの人間にこんな人間がここに生きたということを言いたいのだと思います。自己主張ですね。
そして、こちらの人には、あまりオブラートに包みすぎると、インプリケーションが効かない(理解されない)ことがわかったので、なるべくはっきりと心の叫びに近い言葉で、私らしく言おうとしています。日本人には、あまり強い感情的な言葉、詩は好まれないですね。
本当に魂からしぼり出されたことば、湧き出たことばであれば、やんわりとした表現だろうと、ふわっとした表現だろうと、そこに真実なるものが宿っていれば響くはずだと思います。過激な言葉を使う必要はありませんが、そんなことで私の詩は、詩とは言えない日記のような詩のようなものということで許してください。
「あなた」と「山を登る者」と「涙」を翻訳に出して、こちらの国の文芸誌に応募しました。評価を待っているという、前回の日記は、このことです。いくつかは、単にふわっとした喜びや、悲しみを書いたのではなく、本当に魂が締め付けられるような、そんな時に生まれたもので、それは評価してもらいたいという夢を持っています。ダメかもしれないなあと、最近だいぶ諦め気分ですが。
あまり考えないようにします。
「廃屋」はこちらの写真家の写真を見て書いたのですが、大変喜んでくれ、その人に差し上げました。
私がいきなりつたない言葉で、心の中に溜まりつつあるものを書き始めたのは、僅かに去年、一昨年位からでした。
それまで、「日記のようなもの」も何も書かずにきました。だんだん、だんだん、親戚の叔父叔母様、祖母様の死に出会い、子供が生まれて、新しい喜びや悩みや問題にぶつかりました。
うまくいっているときは、何も書かずに幸せな日々が流れていったように思います。うまくいかない場合に、やはり打ちひしがれてしまうのです。それが、解決されずに長く続くとシコリになっていきます。シコリは厄介で、自分自身をも腐らせていきはじめます。生きているうちから、腐臭が漂ってしまうようでは、どうしようもありません。
国際結婚なので、周りの人たちとの言葉のハンデを感じます。。。
大家族なので、舅様、姑様との問題に様々な違いを見い出し、やり方の違いで壁にぶつかります。。。
やんわりとした言葉で、説明しても、「はい、はい。」と言われて、理解してくれたのかと思うと、そうでもなく、行動としては何も変化はありません。言葉では私の希望に同意しても、行動ではまったく無視されている状態です。
そうなると、初めは言葉の問題か?と遠まわしの言い方を2回、3回してもダメだと分かり、伝わらないことはやり方を変えてはっきりと言ってみます。「これまでお願いしたように、子供達はもう十分大きいので、自分で靴の紐を結べますから、手伝わなくても大丈夫ですよ。学校に遅れる場合は、遅れてみましょう。一度遅れて嫌な気持ちになれば、もう遅れないように準備するようになると思いますから。手伝わなくても大丈夫ですよ。」といったふうに。
そうすると、「はい」の言葉は無くなり、壁の方にブンと顔を背けてしまいました。その後は、大変日本人的な感じで、すべて表立って何も言わないのですが、行動ですべて返してきます。すごい日本人的だなあとも思いましたが、よく話し合えば分かるだろうと思ったら、そうでもないのです。
なんだろう?なぜだろう?この変な感じは?まっすぐに、まっすぐに話しても、まっすぐが返ってこないのです。それどころか悪くなる感じです。好き嫌いだけの人か、分かり合おうという本当の心根がないかだと思いました。
そんな感じで、どんどん疲れていきます。
つまり、言葉の問題ではなく、やり方の違いだけなんですが、そんなことも受け入れられない人とうまくやって行かなければなりません。
何年も住んできて、なぜ書くかというと、人間に対する失望が書く動機となりましたが、影が成すには、太陽がなくてはできません。どんなに悪いというか、意地悪な人の負の部分にも、相手が変わればものすごく優しい顔を見せたりします。分かっているはずなのに、分かっていても自分の善に素直に向けない人というのがいるのだということが分かりました。
私の日記のようなものは、そういう両方の顔を見つめたときの気持ちだと思います。しかし、太陽を忘れているわけではありません。最初に影を見ましたが、かえって太陽の力をはっきりと感じ、またどんどんその力の意味を深く学び、感じつつあるという気がします。
また、どこの国にも土地も今では同じかもしれませんが、自分だけがよければいいという、自己の利のみを追う人が多く、つまらなく感じます。自己の利のみを追う人ばかりで、関係を持って生きている、助け合って生きているのは明らかなのに、行動には現れない人ばかりで、がっかりしてしまいます。
それでも、最初の「日記のようなもの」は、「早春」というもので、春のまだ雪の残るところがある時期、枯れ草の中から新しい草が生えてきて、いつも一人で散歩に行く大きな栗の木の下に来て、分かり合えないことの悲しみを漠然と抱えながらふと感じることがありました。青空を眺め、丘の上の城壁だけ残った城は、460年以上も前にあり、いろんなことがそこで起こりました。樹齢200年も300年もあるだろう大きな栗の木の下で、この木は何も言わないけれど、ずっとずっと黙って通りすぎるものを見てきている。ずっとずっと耐えながらも、きっと太陽の日が毎日あびられることの喜びをかみしめながら、馬鹿な人間にいきなり切られても文句も言わずに死んでいく。やわらかい土を踏んでは、土に返った命が無数の者、そのまた無数の者達であるだろうにと。生が繋がってきていることを感じながら、なんとつまらないことに苦しまなければならないんだろうかと、思いました。その日、ふと、繋げることに生きる意味があるのではないかと思いいたり、そうであるなら、怒りや憎しみなどの負の感情など、さほどの意味もないようにも思われました。
「日記のようなもの」は、自分の心の吐露ですが、読んでほしいと思う対象は、こちらの人に向けて書いているという気がします。
なぜ、「詩」と言いきらないかというと、日本人が最初の読者対象であると考えていないこと、字づらだけを追うというか、文字そのものでしか伝わらないヨーロッパ人を相手に、かなりはっきり言い切らないと通じないと思っているところがあります。
詩というには、はっきり言いすぎていて、詩性も何もあったものではないと思います。そう思っているときは、日本人を対象に考えているときで、日本では通用しないと思っているからだと思います。
それで、詩人になりたいのか?物書きになりたいのか?というと、それが目的で一生懸命書いているのではなくて、同じような人がいたら、きっと“繋がっている、繋げている”という認識が生まれれば、物事への受け止め方が変わるだろうと思うのです。そうすると、悩みから解放され、太陽を見て自然に生き生きと、できることをして生きられるようになると思うのです。そして、それが心から本当にそうできる毎日が増えてくると、自然にその人の顔にそういう生き方が出て、伝わると思うのです。伝わるには、長い長い時間がかかりますが。
書くことによって、自分がどうもがいて、泣いて笑って生きてきたか、子供達に伝えたいのだろうし、こちらの人間にこんな人間がここに生きたということを言いたいのだと思います。自己主張ですね。
そして、こちらの人には、あまりオブラートに包みすぎると、インプリケーションが効かない(理解されない)ことがわかったので、なるべくはっきりと心の叫びに近い言葉で、私らしく言おうとしています。日本人には、あまり強い感情的な言葉、詩は好まれないですね。
本当に魂からしぼり出されたことば、湧き出たことばであれば、やんわりとした表現だろうと、ふわっとした表現だろうと、そこに真実なるものが宿っていれば響くはずだと思います。過激な言葉を使う必要はありませんが、そんなことで私の詩は、詩とは言えない日記のような詩のようなものということで許してください。
「あなた」と「山を登る者」と「涙」を翻訳に出して、こちらの国の文芸誌に応募しました。評価を待っているという、前回の日記は、このことです。いくつかは、単にふわっとした喜びや、悲しみを書いたのではなく、本当に魂が締め付けられるような、そんな時に生まれたもので、それは評価してもらいたいという夢を持っています。ダメかもしれないなあと、最近だいぶ諦め気分ですが。
あまり考えないようにします。
「廃屋」はこちらの写真家の写真を見て書いたのですが、大変喜んでくれ、その人に差し上げました。









