降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★考案元号は3案だった=『平成紀』を読む(28)

2016年10月14日 | 新聞/小説

(きのう10月13日付の続きです。写真はイメージです)

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、あの1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社サイドでは……の第28回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。

*幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。
青山さんの等身大キャラ、35歳
▽常石功(つねいし・いさお)=別の通信社の政治部記者。20代半ば
▽元寇=佐藤元行(さとう・もとゆき)=楠が勤務する通信社の政治部デスク。
元行から元寇(げんこう)と呼ばれている
▽吉野庄一(よしの・しょういち)=通信社の官邸キャップ
▽赤錆(あかさび)さん=崩御に関して政府が動くマニュアルを司る実務責任者と評される高官
▽天田原優衣(あまだわら・ゆい)=テレビ局政治部官邸詰め記者。ボストン大学卒、24歳。
カナダのテレビ局にキャスターとして勤務後、東京の民放テレビ局に入社。ジャーナリスト志望
▽竹下登(たけした・のぼる)=第74代総理大臣。1924〜2000年(76歳没)。


【幻冬舎文庫『平成紀』142〜144ページから】
天皇陛下は戦没者追悼式への出席を終えられ❶、八月十八日に政府専用ヘリで那須の御用邸へ入られた。十一日後に、久々に発熱を見た❷。
楠はその発熱の日、京都の亡き学者の屋敷を再び訪れていた。
同じ小部屋のソファに座り、わずか三分ほどしたとき楠の膝の上に日記帳が置かれた。
開くことを許す夫人の言葉が聞こえる。遠くから聞こえる言葉に思える。
文思(ぶんし)
亡き碩学は、この二文字を新しい時代の元号に推していた。ほかに「天章」(てんしょう)、「光昭」(こうしょう)❸の二案も明記されている。
内閣の内政審議室は「三案以上をつくり、そのなかで最も推したい案がどれかも示すこと」を求めた。それも日記帳に明記されている。
初めて目にした、次の時代の称号であった。
日記帳を書き写し、深く頭を下げて外へ出ると、屋敷の塀が続く通りは白い熱に小さな生命も焼き尽くされているように感じられた。わずか十日前にありありと感じた正気が消え失せていた。
足が東京に向かないまま、京都御所を訪れた。白い玉砂利を踏み、御所を眺める。
天皇陛下の元のお住まいは堀もなく、塀がさして高くもなく、身軽な楠には苦もなく越えられそうに思える。
通信社京都支局の事件記者だった時代に、毎日この玉砂利を踏んで京都府警本部に通ったことを考えた。
御所の前を通ううち、深い堀で遮られている今の皇居は武家の砦であり天皇陛下にとっては異形の地であることが実感させられてきた。
「陛下の住まわれるところは、京の人にとってはね、自分たちの住まいと地続きの平らな場所にあったんだよな」
政治部天皇班の一員となっている楠は、夕暮れが迫る御所の前でそう呟いた。
生きる日々も、死せる日々も、ほんの少しの威儀で足りる。わたしたちの陛下は、そういうご存在だったのではないかと考えた。



❶天皇陛下は戦没者追悼式への出席を終えられ
小説の時間は、1988(昭和63)年8月。
佐野眞一さん(1947〜)は「ドキュメント昭和天皇の最期/崩御から二十年」(文藝春秋2009年2月号)で書いている。

昭和天皇にとって最後の戦没者追悼式となった昭和六十三年八月十五日の鬼気迫る行動につながった。このとき天皇は那須の御用邸からヘリコプターで帰京し、ふらつく足取りで戦没者追悼式に出席している。
昭和天皇は皇太子時代、病弱な大正天皇を側近の牧野伸顕らが〝棚上げ〟する形で、摂政という事実上の天皇の座を奪い取った。
そのトラウマまじりの強迫観念が、病による退位を峻拒する不退転の決意となり、天皇の座は生涯譲らないという強い意志となったのではないか。
昭和天皇は死ぬまで現役天皇でありつづけることにこだわった君主だった。

(同2月号164〜165ページから)

——その28年後、当時皇太子だった現・天皇は「生前退位」ご希望を述べられた。

❷十一日後に、久々に発熱を見た
1988(昭和63)年8月29日のこと。
その4日後の9月2日、最後の「ご機嫌奉伺」(記者会見)が行われた。
御用邸の車寄せに現れた天皇を見て、朝日新聞宮内庁記者だった清水建宇氏はあまりのやつれぶりに息をのんだという。
そのときすでに天皇の目には黄疸症状がでていた。
*清水建宇さん
1987(昭和62)年9月19日付朝日新聞「天皇陛下、腸のご病気」大スクープ記者。前日夜、侍医らがレントゲン写真をチェックしているのを見て、異変を察知したという。

❸文思/天章/光昭
実際に、元号懇談会で絞られた元号案は、
「平成」
「修文」
「正化」
だった。
頭文字「S」だと昭和と紛らわしいので平成採用説(➡︎あり得そう)、
終戦詔勅の草稿に手を入れた陽明学者・安岡正篤氏考案説(➡︎これが本命のようだ)
があるようだ。
(元号問題を担当していた、ときの官房副長官だった石原信雄氏は「亡くなった方が考案した元号は絶対に使いません」と否定している)

というわけで、続く。
———————————————————————————
【1988=昭和63年】
▽1月2日=天皇、皇居長和殿で宮中一般参賀
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成

▽5月19日=春の園遊会
▽6月2日=天皇、皇居内水田で「お田植え」
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▽7月20日=天皇、夏季静養のため那須御用邸
▽8月15日=終戦記念日戦没者追悼式

▽9月8日=天皇、静養先の那須から帰京
▽9月18日=大相撲ご観戦を中止
▽9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地さんが100m背泳ぎで金メダル

▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▽12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に

【1989=昭和64=平成元年】
▽1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに

▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▽1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▽1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▽1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置

▽2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列

▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧

▽6月3日=歌手・美空ひばりさん死去。52歳

▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊

▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値
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