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山崎ハコ*ライブ20120521

2012-05-23 | Weblog
 客電が落ちる。期待が一気に膨らむ瞬間だ。ギターの安田裕美さんの登場。お名前から女の人かもと思っていたら恰幅のいいサングラスの男の人。そして山崎ハコさんの登場。とても小柄で華奢なことに驚く。
 
 一曲目は『織江の唄』。ああ、いきなり。ハコさんの世界。声は全然変わってないんじゃないだろうか。張り詰めた、つーんと高い、心の奥のほうをざわつかせられる声。見たこともない「遠賀川」や「ボタ山」が浮かぶ。遠い昔に読んだ『青春の門』を思い浮かべる。「明日は小倉の夜の蝶 そやけん 抱いてくれんね 信介しゃん どうせ汚れてしまうけん」という歌詞に、映画で観た信介役だった若い頃の佐藤浩市さんの拗ねた表情や、織江役だった大竹しのぶさんの清純だけど肝のすわった感じを思い浮かべる。(ただし、この二人は共演ではなかった。だけど私の中の信介と織江のイメージは、この二人。実際には田中健+大竹しのぶ・佐藤浩市+杉田かおる)この一曲で、もうどうにもならず心を囚われてしまった私は、普通に座ってはいるけど、自分から大きく揺れる感情が、はみだしてしょうがないのがわかる。心情としては自分が「信介しゃん」で、ハコさん=織江に切々と訴えられている気がしていた。

「今日は私のドキュメンタリーを聞きに来たと思って下さい」MCになると途端に柔らかく可愛らしい表情に変わるハコさんに、私は内心、ずっと(かわいいー)(かわいいー)と叫び続けていた。大分の日田出身であること(それも知らなかった!)、両親は横浜で働いていて、ずっとおばあちゃんと暮らしていたこと。中学校の卒業式後に突然、両親と横浜に行くことになったこと。その時、ハコさんと魂で繋がっていたおばあちゃんは親戚の家に連れて行かれていたこと。ああ、やめて。と思う。突然、話は逸れるけれど、何回観たかわからないテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』の中で、クララのおばあさんが自分の屋敷に帰らなければいけないのだけど、クララとハイジが寂しがるのでパーティを開いたその間にそっと、おばあさんは帰ってしまう。私はこのシーンがいつも辛くて辛くて、クララとハイジが楽しさと寂しさとの落差のせいで、よけいがっかりするだろうことを思うといつも心の中で泣く。そんなことを思い出して、やっぱり泣きたくなった。

 そして『白い花』。初めて聴いたのだけど、聴いてる間中、この歌好きだなとずっと思い続けた。ハコさんが作って北原ミレイさんも歌っている曲らしくて、そんなもん、そりゃあ好きなはずで。私は北原ミレイさんの『石狩晩歌』と『ざんげの値打ちもない』が、子供の頃から、とてもとてもとてもトラウマのごとく好きだから。ハコさんの口から「北原ミレイさんの」と出て来た時には、またしても、がーーーん、ってなった。考えてみれば二人は絶対、繋がってる。揺るぎない地下茎のようなもので。『石狩挽歌』の背景は、なかにし礼さんの『兄弟』を読めばよくわかる。ニシン漁が大博打のようなものであることなど。テレビドラマの『兄弟』の兄役 ビートたけし・弟=なかにし礼役 豊川悦司というのも私には、ぴたっときた。豊川悦司さんはちょっと苦手とするタイプなんだけど、キンチョールのCMのヒモ役が大好きだった。役柄的に胡散臭さが漂う人が大好きで、成田三樹夫さんは最強だった。仕組みのわからない髪型といい。と『北原ミレイ』というワードだけで限りなく頭の中は暴走する。

『りんご追分』のカバーについて、ひばりさんの息子さんの加藤和也さんに連絡したら、「よくぞ歌ってくれました」という勢いで喜んでくれた、というのがよくわかるほど、ひばりさんであってハコさんのものだった。歌も凄かったけど、独白の部分。成り切るというより、成っている。ハコさんの爆発的に声量のボリュームが増す、直前の高音が好きだ。赤い寒天を思い浮かべる。内側に張り詰めて崩れる直前という感じの。『りんご追分』はGEISAIで聴いた曽我部恵一さんのアカペラの『りんご追分』も、とてもよく、そのことも、ふっと思い出した。ハコさんはひばりさんのモノマネも驚くほど上手で、MCの時も、みんな大喜び。

 十何年か前に所属していた事務所が突然閉鎖されて、行き場を失くしたハコさんを心配した女優の渡辺えりさんや俳優の原田芳雄さんがとてもよくしてくれたということ。MCでは、おっとりと穏やかなハコさんは歌になると突然きりっとした表情に変わる。ハコさんにとって原田さんや横浜との思い出と繋がっているのであろう『ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース』。私は松田優作さん版で聴いていたので、ここでも物凄く驚いて、私、今日、引き寄せられて来たのかなと、ぼんやり考える。ハコさんはパワフルで、歌ってて、こうも楽しいという表情。憧れる。

 ギターの安田裕美さんについて。アコースティック時代の陽水さんとツアーしていたという、基本的にスタジオミュージシャンであるということだった。突然『東へ西へ』や『傘がない』のさわりがハコさんと始まる。ああ、と、また持っていかれる。大滝詠一さんの曲や、数々のCMにも参加されているとのこと。日本生命のCMで流れていた『ニュー・シネマ・パラダイスのテーマ』のギター演奏にみんなで聴き入る。沁み込む。

『ざんげの値打ちもない』これで完膚なきまでに、やられる。ハコさんが、これはミレイさんのものだから私は歌えないって言ったら、ミレイさんがハコさんのこの歌をぜひ聴きたいと言われたそう。最高だった。ハコさんの思い詰めたような声と集中力、どっかで浅くひっくり返るような声、すべてがぴったり。今日、私はこれを聴きにきたんだな、と思った。

 「大分から行ったのが横浜でよかった。いろんな人がいたから。生徒会長からハーフで金髪だった。休み時間に校内放送で流れる音楽の英語の意味を、いつも黒人のハーフの男の子に教えてもらってた。東京や横浜でライブすると同級生がいっぱい来てくれる。大きな子供を連れて」とてもわかる気がした。ハコさんの人間的な魅力と、ブルースと演歌とフォークとロックが独特の割合で配合された濃密な世界。絶対、コアなファンがいる。ハコさんが出演している映画『ヘヴンズストーリー』も観てみたい。シーナ&ロケッツの誠さんとシーナさんが電話で「えらいよかった」と褒めてくれたそう。泉谷しげるさんもハコさんに「お前いいじゃん」って。

 アンコールラスト『気分を変えて』。パワフルでフレッシュで、デビュー当時の川本真琴さん?(『愛の才能』が大好き)と本気で思ったくらい。少女っぽくて大人で、たおやかで深みのあるハコさんに圧倒的に魅了されっぱなしの時間だった。ライブ終了後にCD『縁(えにし)』のディスクにサインしていただく。握手もしていただいた。小さな手。その日に限ってハイヒールの、がっちり脱げないサンダルを履いていって、でかい女の自分が恥ずかしくなった。「素晴らしかったです」と、ぎゅっと手を握る。しばらく力を込めて離せなかった。

 カバーアルバム『十八番』の中の『時の過ぎゆくままに』がとても好きという動機で、緊張しつつ向かった初ライブだったが、想像を遥かに超えた素晴らしさで、まさに『縁』を感じた。また絶対行きたい。最後にハコさんのMCで一番印象に残った言葉。
「自分の中に、昔の山崎ハコの歌があって、そいつが素晴らしいわけですよ。でも、今の自分が、影のように離れず、薄くならずにやって行きたいわけです」

三月の雑感

2012-03-06 | Weblog
 あれから一年が経とうとしています。まさか、という驚きに続く恐怖。あの日からしばらく弱り目にたたり目のように被災地に雪まで降り続けるので雪を憎みました。そして、あの日起こったことへの怒りや絶望や悲しみは、全ての人の心を地下水路のように浸してしまった。だけど、それを声に出せる人、あまりのことに口をつぐむ人それぞれで、強い感情が一人の人間を通過して激しいものとして形を成したり、逆に別の形の柔らかなものとなったりもする。そのことを思いながら斉藤和義さんのギターオークションの売り上げ金で被災地にギターが贈られる「空に星が綺麗」http://www.jvcmusic.co.jp/saito/guitar/や、奈良美智さんtwitter情報の「桜ライン311」http://sakura-line311.org/
を支持してます。「空に星が綺麗」も「桜ライン311」も集まったお金のゆくえが見届けられるところが素晴らしい。贈られたギターを弾いたことがきっかけで誰かの人生が豊かになったり、長い季節を耐えて毎年のように多くの人の目を楽しませてくれる桜が咲くということを想像しただけで、うれしくなりませんか?

奇跡 

2012-02-04 | Weblog
一時間待ちと告げられ歩き出す 立体的な道のりとして

美しい青にひかれて買ったのに忘れてしまうような約束

ブラックガム一枚一枚噛み切って感謝を知れと真夜中にいう

逆さまに真っすぐ置いたカードから読み取る以外の世界が開く

二十七階から見てる偶然の仕業みたいな夜景が、そうよ

            (NHK短歌11月号掲載)2011

カレイドスコープ (小説)

2012-01-26 | Weblog
 万華鏡は、お母さんが巻く海苔巻きより細くて短かった。そして海苔ではなく、赤と水色の花模様のざらりとした千代紙が巻いてあった。お父さんが社員旅行のお土産に、私には万華鏡、妹にはお手玉を買ってきてくれたのだ。海苔巻きなら卵やほうれんそうやピンクのソーセージの具が見える片方が一センチくらいの覗き穴になっていて反対側の端には、おはじきのような半透明のビーズがじゃらじゃらと底に、たまるように入っていた。
 穴の中は、水中眼鏡でプールの底を見るみたいにひんやりとした赤や青や緑や紫の透き通った色が集まったり重なったりして花の輪の形に広がっていた。さっき見た安っぽいビーズとは思えない。見ることは出来ても触ることの出来ない、この中だけの、きれいなもの、だった。お母さんの真似をして、ゆっくり万華鏡をまわすと花の輪は、たくさんの花束の形に変わった。
「はやく、はやく、見せて」妹が私の肩を揺さぶると花束の形が崩れた。
「ちょっと待って」右手で妹を軽く押すと
「いじわる」と泣いた。
「貸してあげなさい」お母さんに言われてしかたなく妹に渡した。
「きれいねえ」同じことを繰り返して妹は万華鏡を覗きながら寝っ転がっていた。そのまま万華鏡は妹の物になり、マイクや懐中電灯、望遠鏡代わりになった後、忘れられた。
    *
 マガジンハウスから『オリーブ』が創刊された時、私は二十一歳になっていた。タータンチェックのスカートや紺色のダッフルコート等、本来なら生真面目な洋服を、手足の細くて長いモデルがパリの女学生風に小粋に着こなして、とても新鮮だった。十代の女の子向けの雑誌として洋服から始まり日常生活全体の夢見がちレベルを格段に向上させたのだ。
 残念なことに私はもう十代ではなくて、おまけにOLだった。高校に入ったばかりだった妹はたちまちオリーブ少女になった。髪を軽く脱色し、ひたすら長く伸ばした。学校では三つ編みで過ごし、放課後は三つ編みをほどいてゆるっとしたウエーブヘアにした。日焼けを敵とみなして、薄茶の眉墨で頬にソバカスを自作した。砂壁、ふすま、畳の三重苦を独自の知恵と工夫で克服し、自分の部屋をパリのアパルトマン風に変えた。ジェーン・バーキンのポスターの真似をして、眉の上で前髪をぱつんと切った。
 働いている私でさえ買うには勇気のいる、金額の張る憧れブランドの紺のピーコートを春あたりから、おこづかいをこつこつ貯めて買い、紺と緑のタータンチェックのプリーツスカートは手頃な店で買って間に合わせていた。紺色のハイソックスとモスグリーンのベレー帽に革の学生鞄がリュック型になった物を背負って、気分はリセエンヌらしかった。
 そして、妹は高校三年生の夏に、卒業したらフランスに渡って働くつもりだと言って両親を驚かせた。私は驚かなかった。妹なら、ある、と思った。
「言葉はどうするん?英語と違って検討がつかんよ」お母さんがやんわり反対すると、妹は高一の夏からフランス語の単語を毎日ひとつずつ覚えていったと言う。少なくとも七百語は覚えたと胸を張った。
 妹には、かなわない。妹は、いつもしたいようにし、したいようにするには、どうすればいいかを考えていた。私は、そんな妹が羨ましく妬ましく憎たらしく、そして大好きで自慢で憧れだった。その気持ちはいつも複雑に重なり合ったり、散らばったりして、万華鏡が見せる模様のように、その時々で形や色を変えた。羨望や嫉妬や憎悪さえも、不思議と混ざりあったり濁ることのない、ひとつひとつの感情として。
 妹は本当にフランスに飛んだ。たまに、フランス人の夫とその間に生まれた人形みたいにかわいい男の子と女の子に囲まれて、この上ない笑顔の妹の写真がハガキとして届く。それは妹の部屋の砂壁を被ったアイボリーの有孔ボードの壁の上に増えていった。
 私は二つの万華鏡を買い、フランスの小さな甥と姪に送ることにした。懐かしい気持ちで万華鏡を覗き込むと、光をくぐらせた色とりどりの模様が広がり、ゆっくりと回すたびに、しゃらりと乾いた音をたてて深い色を見せたり透き通った色を見せて形を変えた。
 ふいに蘇ったのは、妹がフライパンで焼いたまだらに焦げ色のついた分厚いクレープ。ホットケーキとあんまり変わってないよ、とげらげら笑った妹と私。
 オリーブは休刊になるみたいです。私も、もうすぐ母になります。
 万華鏡の中は、しゃらんと、また模様を変えた。

残る。

2012-01-24 | Weblog
 昔も今も古典の素養がまるでない私は、たまたまインターネットで枡野浩一さんの短歌をみかけ
た。そして、生まれて初めて自分から、まじまじと読んだのが枡野浩一さんの短歌集だった。残念ながら絶版になった白無垢のようにかっこいい短歌集には、見開き二ページごとに一首が二センチほどの特大文字で印刷されている。

今夜どしゃぶりは屋根など突き抜けて俺の背中ではじけるべきだ 
     枡野浩一『ますの。』

なんなんだ、これは。何があろうと自分の背中で直接受け止めるべきだという、それは悲しみなのか怒りなのか。そう考えながら、夜に響くどしゃぶりの音が大きく聴こえてくるような気がした。
 どうも短歌というものには、何か秘密があるらしい。そう思った私は、短歌を自分でも作ってみることにした。その頃の短歌を私はすっかり都合よく忘れてしまったのだが、売れない演歌みたいな短歌だった。
 短歌を作ること自体には、カメラもパソコンも楽器もいらない。すぐに忘れてしまう一瞬だけよぎった気持ち、その時にだけ気づいた色合いや匂い、空気感までも、たった三十一文字にとどめることができる、ものすごいこと。それが短歌だった。それから短歌は私にとって写真で絵で物語で音楽で匂いになった。

胸のうちいちど空にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし
     前川佐美雄『植物際』

あの真っすぐな水仙の葉を胸のうちにつめこみたいという衝動。ストイックに張り詰めた心の非常事態には切腹さえ想像させられ、水仙の葉の青臭い匂いや凛とした様子が一種の恍惚感を伴った諦念として、きりきりと迫ってくる。

あめいろの空をはがれてゆく雲にかすかに匂うセロファンテープ
    笹井宏之『てんとろり』

いつの空だったんだろうという不思議な気持ちと、どこかで自分もあめいろの空を見上げていたような錯覚が同時に起こる。それに被ってくるセロファンテープの糊とセロファンが混じったような独特の匂い。思い描くという優しさだけが、何度も何度もはがれ続けては現れる。
 パソコンや携帯電話は、めまぐるしく新しいものに変わっていく。それを便利に使ったり使いこなせなかったりしているからこそ、決して変わらないものへの憧れがどんどん強くなっていく。どしゃぶりの音が、水仙の葉の形が、セロファンテープのかすかな匂いが、何度も蘇る。それは、どんなことが起ころうと押し流されず心に残る。


もろいとき赤えんぴつの先ほどの弱いちからで折れていたんだ 
           杉山理紀


                (NHK短歌12月号掲載)2011

もうひとつの抱負2012

2012-01-01 | Weblog

*あけましておめでとうございます*2012*

2011は再会、再発見の向こうに見たことのないドアが現れた年でしたが
年明けて少しのんびりしてます。

ここ数年で大きく私の世界観を変えたのは、とても近い人間の死が続いたことでした。
どんなに悲しくても、その横にちょこっと笑いがあること、泣き死んだりはしないこと、
悲しくてもお腹はすくこと、などと共に、誰の人生にも限りがあるということを
実感として思い知りました。

そして3.11以降。私まだ何もやってないよ、とあせりました。もしかしたら
明日死ぬかもしれないのに。まだ何もやってない。書きかけていた200枚の文章は
当然、震災の影響を受けました。震災を受けられた当事者の方の文章はもちろん何かの形で
残るだろうけど、遠く離れていても、痛くてつらくて、というのは、ちゃんと私なりに
形にしたかった。

それから、また別に300枚書きました。これは、ずっと納得がいかなかった結末の物語の
骨組みを使って自分が好き勝手にアレンジして、納得いく結末にしてしまいたかったからです。

さらに100枚。で去年は終わりました。

おととしの11月くらいから急に書き始めて、あほみたいに推敲を繰り返した初めての100枚が
文藝賞の予選、三作目の200枚がポプラ社新人賞の予選に引っかかってくれたのが
とりあえず、こっちに向かってていいんだなという指針になりました。

そうとう昔、偶然通りかかって行列が短かったからみてもらった新宿の母の占いを今さら真に受けて
今年もがんばります。ちなみに新宿の母は三回ほど、小説を「ね、書きなさい」と言ってくれました。
が、書けって言われても、ね、って言われても、ど、どうやって。と思ったきり、何年もなんにも書けなかったのです。

穂村弘VS枡野浩一ブックデザイン自慢合戦20111213

2011-12-14 | Weblog
 行列ができていて、しかも真っすぐでなく曲がるほどに。最後尾につくが後ろにも人が増えていく気配がする。支払いをして入場し席を左端に決め、きょろきょろする。見知った顔が一人も見当たらず困惑。何もすることがないので席に置いてあったパンフレットを読む。なぜか鈴木清順の浪漫三部作のものも混じっていて、優作ファンの私は隈無く読む。それでも暇なので、サインしてもらう用の本を買う。 そろそろ人がいっぱいになってきて、私の右側の席に
「こちら開いてますか」
と、すっきりした大人の美人が現れる。知らない若者たちに囲まれて心細くなっていた私はうれしくなって声をかけた。
「どこかの結社に入っていらっしゃるんですか」
「え、けっちゃ?」
短歌系の人ではないらしい。逆に
「枡野さんと穂村さんのどちらのファンですか」
と尋ねられて返答に困り
「どちらがどうということもなく」
と声がだんだん小さくなる。
「私は枡野さんが、きっかけで短歌を始めたので。どちらのファンですか」
「どちらも知り合いなんですよ」
「もしかして漫画家さんですか」
「なんで、わかるんですか」
「ツイッターで、お見かけしたことがあるような。おかざき真里さんですか」
「違います」
「失礼しました」
などと微妙な感じになったのをよそに、穂村さんと枡野さんのトークは始まった。
 枡野さんのツイッターを読んで、ややこしいいざこざに枡野さんがあたっていると、すごくすっきりすると言い放つ穂村さん。
「でも、枡野さんのほうが僕より実は友達が多いし、天国に行けると思うよ」
「いや、ピュアなだけじゃ天国に行けないんだと思いますよ」
いきなり話は加速する。私も枡野さんは必ず天国に行けると思う。正直なせいで傷だらけの天使枠がきっとあるはず。
 枡野さんの最新刊『すれちがうとき聴いた歌』について。會本久美子さんのイラストがエロティックで、小説からは枡野さんの誰に対してもフラットな視線を感じると穂村さん。ここから枡野さんの『すかすか本』に対する愛が語られる。すかすか本とは、文字数、ページとも少ない本のことで、中沢けいさんの『海を感じる時』や椎名桜子さん、初期の山田詠美さんの本が実例としてスクリーンに映し出される。
 対して穂村さんは、多くの著名なデザイナーと次々にコラボしていくという手法を披露。穂村さんが直接会って、どんなに憧れているかを伝えるらしい。が、枡野さんは
「それって、浮気性なんじゃないですか」
と疑問を。
 デザインが凝っていて増刷すると赤字になるので増刷できないという本『ますの。』。祖父江慎さんデザインのこの本は、隠しデザインが各所に見られる。真っ白の本の綴じ糸が赤。帯の裏の鏡文字。見開きの奥の赤い短歌など。持っていても気づいてなかったこともあって確かめたいと思った。
 穂村さんは自分の本ではなくコレクションの数々をスクリーンに。昔のフィルムが入っていた封筒、人文字のアルファベットの本、手作りの赤ずきんちゃんの本には小さなハサミもついている。どれもガーリーでロマンティック。これらが現実の向こうに行くドアになるという穂村さん。現実以外に興味がないという枡野さん。
 枡野さんが高校時代にワープロとコピーを駆使して手作りしたという冊子が紹介される。書いたものをマジックのようなもので消した形跡も意図的に残されている。
「これ、こわいな。こわいと、かっこいいは紙一重なんだな」
と穂村さん。
 また、枡野さんがノンカフェブックスの分厚いサイコロ状のメモのような本を紹介される。何冊かの本を合体させ表紙を変えて蘇らせたものらしく、今、現状として四割の本が返品され裁断されてしまうので、この考え方はすごくいいと思うと言われた。穂村さんは、それじゃ作者の自意識はどうなるの、一冊一冊丁寧に作って送り出したいのに、と。
「僕、自意識ってないんですよ。だから手元に自分でも驚くほど自書がないし、自書が本屋に並んだり、読者に届くことに喜びを感じます」
と枡野さんに言われて動揺が隠せない穂村さん。
 話せば話すほど、わかりあえず大きく食い違って行く穂村さんと枡野さんの間に生まれる妙な幸福感と緊張感とに引き込まれ、あっと言う間に時間が過ぎたのだった。ぜひ、また体調と気力を整えられたお二人に第二弾の奇跡の、なにごとかがありますように。
 ちなみに、お隣の美人は『ダーリンは外国人』の小栗左多里さんだった。たいへん失礼いたしました。

忘れないように*5

2011-11-16 | Weblog
 私が笹井さんの歌を初めて読んだのは歌葉の新人賞の選考過程でだった。そして題詠ブログを眺めていると目の錯覚かと思うほど、笹井さんの歌が笹井さんの歌だけの輪郭を持ってきらきら輝いて思えるのに驚いた。それがどういうことなのか今もよくわからない。でも、枡野浩一さんのかんたん短歌blogの『笹井宏之寄稿『飴色時間』(2008年2月22日) 』http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/2008222_77cf.html を読むと、少しは分かったような気になれる。枡野さんは笹井さんを『この人は……あいにくと天才かも』『コントロールのきかない才能ってニュアンスがあると思うんです。天才には』と表現されている。笹井さんにとってのかんたん短歌は、目が覚めたらご飯を食べて仕事に行ったり、帰りに本屋に寄ったり、恋人と待ち合わせて晩ご飯食べに行って笑ったりだのの普通の生活に根ざすもので、それは笹井さんにとっての憧れに他ならないものだっただろう。笹井さんの歌は座ったまま遠景が見えているようであったり、とても身近な身の回りのもの、たとえば天井やクリアファイルを通して、ここではないどこかをみつめて心だけ飛ばしてる感じがする。恨みごとのない世界へ。
 『てんとろり』のあとがきで、加藤さんが歌葉新人賞の博多の会食の時のことを書かれている。『ふと私は「きみ、食べるの遅いね」と言った。彼を理解していなかったのである。深呼吸して瞑想するように眼を閉じる笹井君の生のリズムが今なら分かる。がさつな人だと彼の目には映ったことだろう。笹井君は、この人には優しくしなくてもよいと直感したのだと思う』ここを読むとどうしても泣きそうと思う前に泣いてしまう。私にも加藤さんと似たようなことをした覚えがあるからだ。残された者は何度も同じ場面を思い出して最初から後悔する。なんであの時気づけなかったのか。もっと優しくできなかったのかと。でも、笹井さんは全部分かっていると思う。加藤さんに優しく微笑んでいると思う。

 あるときはまぶたのようにひっそりと私をとじてくれましたよね 笹井宏之『てんとろり』

忘れないように*4

2011-11-15 | Weblog
 加藤さんの内側に響く暖かみのある声が何度か途切れて、見ると目の辺りを拭っておられた。それは主に笹井さんの歌を読み上げられる途中だった。未来という短歌結社に入会されていて、毎月、几帳面に締め切りのいくらか前に投稿を続けておられたという笹井さん。笹井さんの三十代、四十代の歌も読みたかったと繰り返された加藤さんが最後に受け取られたという歌。

 さようならが機能をしなくなりました あなたが雪であったばかりに

 加藤さんの講演後、書肆侃侃房の社長さんが盛大なマイクのハウリングを『どうにかして、これ、誰か』と言いながら前に立たれた。ジーンズにチェックのシャツを羽織られた飾り気のないご婦人。『今日は追悼会ということではなく、言葉の持つ力を伝えたかった』と力強く言われた。素敵な方だと思った。
 そして笹井さんのお父さんが『宏之にだけでなく、3月11日に亡くなられた方たちのためにも』と有田焼碗琴の演奏をされた。会場はとてもなごやかで、BOOKOKAとか書肆侃侃房の若いスタッフの方々が周りに立っておられる、その中に笹井さんもそっと混じって見守っておられるような雰囲気だった。
 次に二十代前半までに笹井さんが作られたという曲が流された。おだやかで豊かで、笹井さんの内側にあった広々とした世界のようなものが流れ込んできて、携帯電話も筆記用具も忘れたのに、たまたま入れた小さなタオルハンカチが役立つ。
 閉会後、加藤さんにご挨拶に。『未来に投稿してよ』と言っていただき『未来に入ってなくても投稿できるんですか』と本気で尋ねると『それは困る』と答えられた時の加藤さんの顔は大層、困った顔だった。(つづくかも)

忘れないように*3

2011-11-15 | Weblog
 みんなさかな、みんな責任感、みんな再結成されたバンドのドラム

 この歌はやはり『ひとさらい』からの一首で、博多の批評会の時に穂村さんが取り上げて『今の若者っぽい。さかなとか、責任感とか、再結成されたバンドの、しかもドラムって、しょぼい』という意味のことを言われたらしい。私が思うに穂村さんは、しょぼい、という言葉を、たぶん地に足がついたとか地道という意味でも使われたのだろう。加藤さんは以前、若手歌人の野口あや子さんにも、短歌について『責任感』と発言されたことにすごい驚いた、と本当に心底驚いた顔をされた。そして『短歌に責任感なんて。すごい自由なんじゃないの、短歌は』と。

 『てんとろり』より

 遊具からおちる子どもを見ています 夕焼けがたいへんきれいです

 風。そしてあなたがねむる数万の夜へわたしはシーツをかける

 つばさではないと言われたことがある 羽ばたくようにしてみせたのに

 切らないでおいたたくあんくるしそう ほんらいのすがたじゃないものね

 さようならが機能をしなくなりました あなたが雪であったばかりに

 笹井さんの遺稿集となってしまった『てんとろり』を加藤さん、中島裕介さんが中心となって編集を始められた時のお話。笹井さんだったら、どんなタイトルにするだろうかと考えられて連作のタイトルでもあった『てんとろり』にしようとなったそう。ひらがな五文字のところも『ひとさらい』に通じるものを感じられたとか。

 風。そしてあなたがねむる数万の夜へわたしはシーツをかける

 2011年3月11日。あのひとつの戦争だったと思える日。たくさんの魂が押し流され、思い出が押し流され、生活が押し流されてしまった日。その後、ツイッターで笹井さんのこの歌がまるで鎮魂の日々を予言していたかのようだと多く囁かれたとか。そのことについて加藤さんは『まるでアメリカの同時多発テロ後に人々がビートルズのイマジンを歌う、あれのようだった』と言われた。(つづく)

忘れないように*2

2011-11-14 | Weblog
 笹井さんの体調を考えて歌葉新人賞の授賞式を博多で行われた時のお話。笹井さんと笹井さんのお父さん、加藤治郎さんと場所を手配された須藤歩実さんの四人の会食という形での授賞式。加藤さんが初対面の笹井さんから受けた印象は『思ったより元気そう』だったそうで、加藤さんが後に知ることとなったのは、その日のために笹井さんは何日も前から体調を整えての大変な旅だったということだった。
 そして博多で行われた『ひとさらい』の批評会にあたって『誰かひとりだけゲストを呼ぶとしたら誰がいい?』という加藤さんに『穂村さん』と笹井さんは即答。穂村さんも快諾。穂村さんは九州にまで呼ばれるからには凄い歌集なのだろうと思ったということを加藤さんはこれも後日知ったとのこと。笹井さんは批評会の打ち上げを二次会まで出席されたそうで笹井さんの生涯で、そういったことは最初で最後だったのではないか、ということだった。

 真水から引き上げる手がしっかりと私を掴みまた離すのだ
 
 拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません

 集めてはしかたないねとつぶやいて燃やす林間学校だより

 水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って
 
 レシートの端っこかじる音だけでオーケストラを作る計画

この五首は歌葉新人賞受賞時の連作『数えてゆけば会えます』からのもので既に代表作といえる歌が含まれていた幸運なスタート、と加藤さん。私が覚えている範囲の加藤さんの読みは
 
 真水から引き上げる手がしっかりと私を掴みまた離すのだ
『救われたと思ったら突き放されるという思いを何度かしたのではないのか』
 
 拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません
『読者に手紙のイメージをまず提示しているが、実は本当の手紙ではなく、しかもあなたのようでもあるという独特の二重性を感じる』

 レシートの端っこかじる音だけでオーケストラを作る計画
『レシートの端っこかじる音という発見。しかもそれでオーケストラを作るというから楽しい』

 集めてはしかたないねとつぶやいて燃やす林間学校だより
『体調の関係もあり参加できなかった林間学校のプリントを燃やしたのだろう』

といった感じだった。触れてない歌は私に記憶がないという深い事情が。(つづく)
 

忘れないように*1

2011-11-14 | Weblog
2011.11.12(土)のこと。

 『彗星のように現代短歌を駆け抜けた笹井宏之の世界』加藤治郎さんの講演会(BOOKUOKAKA×書肆侃侃房/ぶっくおか×しょしかんかんぼう)へ。
 前夜、謎の蕁麻疹が出て、かゆみどめの薬を飲んだせいなのか(これも謎)朝、全身が肩こりみたいにガチガチで、今日は無理かもと思う。でも、ぐずぐず悩んだ挙げ句にやっと昨日、予約したのになあと残念でしばらく様子を見ようと寝る。ちょっと、まともになったのでシャワーを浴び身支度。ほぼ、しゃんとする。博多へ。
 警固神社(けごじんじゃ)。すでに外は暗く微妙に遅刻。会場は大きなガラス張りになっていて中が全て見通せる。一番後ろに座っている加藤治郎さんを発見。ここだ。
 笹井さんのお父さんが有田焼でできた楽器を演奏されている。が終盤だったらしくすぐに加藤さんの講演へ。一番後ろの端に座ったのに、いっせいに回れ右して、一番前の端に変わる。(内心、この仕組みにびっくり)よく見ると確かに後ろと思っていた前に講演会の垂れ幕と長い座卓があった。
「近いですね」と加藤さんの講演が始まる。みんな畳の上の座布団に座っている。加藤さんも。前列との距離、せいぜい二メートルくらい。
 まず、笹井さんの歌集を出版したいという福岡の書肆侃侃房の社長さんが東京に行き、名古屋から来た加藤さんにお願いしたという熱意を知る。通常、一年がかりの歌集作りをかなり早めることになったのも社長さんの熱意に動かされてで「やれば、できるもんだ」と加藤さん自身も驚かれたということだった。(つづく)

カーテン

2011-11-09 | Weblog
  カーテン
 これは夢でも見てたんじゃないのかと思ってくれてかまわないんだけど。
 その日、僕は学校をずる休みして家にいた。十一月のまんなかの急に寒くなった頃だったから、かあさんは僕の嘘を信じた。仕事に行くのに急いでたから、まあたまにはいいかと信じたふりをしてくれたのかもしれない。実際、僕はだるかった。
 小学二年生だった僕にとって、朝から家にずっとひとりぼっちでいるなんて、それだけで大冒険だった。かあさんが妹をひっかかえて保育園に連れて行くのを布団の中で見送った後、僕は飛び起きた。わくわくして、じっとしてられなかったんだ。まず、とうさんに絶対さわるなといわれている棚に向かった。
 とうさんは朝早くから夜遅くまで毎日仕事で趣味はミニカー集めだったんだ。細かく仕切った棚を自分で手作りして、ガラス屋さんにガラスの引き戸をつけてもらっていた。僕はそっとガラス戸を開けて、真っ赤な消防車を取り出した。僕の片手に乗るくらいの小さな車だけど、ずっしり重い気がした。次に僕は畳の上を走らせてみることにした。僕は消防車に片手を添えたまま畳の上を行ったり来たりして出動させた。声には出さなかったけど頭の中では消防車のサイレンがずっと鳴ってるんだ。
 次は黄色いスポーツカーを走らせてみようと思って、消防車をしまおうとした。だけどどういう訳か元の所にうまく収まらなくなった。僕はあせった。そして、こわくなった。僕が畳の上なんか走らせたから、消防車が少し大きくなったんだと思った。その時、ガラスに映った何かが動いたんだ。僕はますますこわくなった。でも、思い切って振り向いた。窓も開けていないのにカーテンが揺れていた。確かに揺れていた。その夜、寝たきりだったじいちゃんが亡くなったと連絡があったんだ。

アントニオの歌

2011-10-31 | Weblog
空をひろげて
自由にむかうあなたの羽が閉じないように
彼方の虹が溶け出さないうちに
コンドルは強く孤独にむかい
僕たちに厳かに告げる                     
「虹へ 虹へ向かいなさい まだ見えてるうちに」


アントニオは喜びと憂いを混ぜ合わせ
アントニオは新しい世界をひろげる
アントニオは歌う
信じる夢の続きが消えないように       
自由が孤独を呼ばないように
押し流された魂の行きつく先が
どうかどこかにありますように  
愚かに恋に落ちたり静かに悔やんでみたり
誰にも明日が来ますように

We sing a song  長く忘れてた歌
途切れることなく歌う
虹をこじあける光のように
踊ろうか 魂が揺れるままに
僕らのまだ見てない明日へ
自由の鎖さえ解き放ち
流れるリズムに導かれ
行きたい場所へ向かう
いつかたどり着く虹をこじあけに

自選2011

2011-09-15 | Weblog
一首ずつ自選してます。
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