ブログ人ファイトマンの思い出づくり

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世界遺産姫路城と日本三名泉有馬温泉一泊二日

2016年09月16日 | 旅行記

 9月14日(水)AM6時45分、各地より集まった26名を乗せたバスはバンビ駐車場を出発浜松西Icから東名高速に乗り西進する。浜名湖Saで昼食を積み込み、伊勢湾岸道に7時36分に移り刈谷ハイウェーオアシスで休憩を摂る。名港トリトンを8時40分通過、木曽川の流れを境に三重県に入る。長島スパーランドのジェットコースターを左に眺め鈴鹿山脈が前方に見えてくる。四日市Jctより東名阪自動車道進み、亀山Jctで新名神に移り、鈴鹿トンネルを超えて滋賀県に入る。大津Saで休憩の後、京都府に入り吹田Jctより中国道に移る。7月に開始したばかりの日本一の観覧車が目に入る、その反対側に昭和45年に開催された大阪万博の太陽の塔が目に入る、まもなく兵庫県に入る。姫路Icを降りて国道372号線を進み、姫路城駐車場にに11時30分到着。

大津Saで琵琶湖を望む、何処かのおばさんがカメラの前に立つ。

姫路城外堀の橋を渡り桜門を入る所までバスガイドの案内で進み場内は自由散策、大手門を入り天守閣に登る。

橋を渡り姫路城内に入る桜門。

天を突くように威風堂々と聳える、白く輝く大天守。その圧倒的な姿は、白い鷺が舞い立つように見えることから、別名「白鷺城」と呼ばれています。昭和の大修理から45年。「平成の修理」と呼ばれた大天守保存修理工事は、かけがえのない世界文化遺産・国宝を築城時そのままの美しい姿で次の世代へ引き継ぐ為、漆喰壁の塗り替えや屋根瓦の吹きなおしを中心に約5年かけて行われた。

姫路城大天守閣


木造建築にして、世界でも類を見ない美的完成度を誇る姫路城。城郭建築では外観の屋根の数を「重」、内部の階段を「階」で表します。大天守も外から眺めると5階建てに見えますが、内部の造りは地上6階・地下1階になっています。

表玄関にふさわしく格式高い櫓門。

 

姫路市街の西。

姫路市街の東。

姫路市街の北。

お菊の井戸、怪談皿屋敷でお菊が身を投げたと言われる井戸。

姫路城三の丸から望む天守閣。

西の丸櫓群は鷺山に建てられた西の丸の外周をめぐる。原生林を活かし、自然の地形に合わせて延々と続く珍しい建物。背後の断崖や狭間を見ると厳重な防備を持つ城郭であることが分かります。

 徳川家康の孫娘千姫は7歳で大阪城の豊臣秀頼のもとへ輿入れしました。しかし秀吉死去の後大阪夏の陣で秀頼は自害し、豊臣家は滅亡。千姫は燃え盛る炎の中から助け出されました。江戸へ帰る道中、警護にあたった本田忠政の息子・忠刻と再婚。千姫20歳、忠刻21歳。千姫の化粧料(持参金)10万石で、姫路城三の丸に千姫の屋敷が建てられたと言われる。勝姫と幸千代の一男一女にも恵まれ、忠刻と暮らした姫路城の10年間が生涯で一番幸せだったと語られています。しかし長男幸千代は3歳で亡くなり、5年後には忠刻も31歳の若さで亡くなります。江戸へ帰った千姫は髪をおろして「天樹院」と号し夫や息子を思いながら余勢を送り、70年の生涯を閉じました。

天守閣の見学を終え西の丸櫓群・長局(百閒廊下)を見学して。13時40分、姫路城に別れを告げ、次の目的地「六甲ガーデンテラス」に向かう、六甲ドライブウェーを走り海抜千メートル近くまで登る。100万ドルの夜景が見られると言われるが、日没前であり、おまけに曇っていてはこの望みは儚いものになってしまった。

六甲ガーデンテラス土産店が3件あるのみ。

 1日目の観光を終え後はホテルに直行する。静岡から愛知県・三重県・滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県と、越えて来た、思えば遠くに来たもんだ!姫路城が一番遠く、ここからバスは戻ることになり、有馬温泉は六甲ガーデンテラスを降りた所にある。ホテル到着は4時50分。


 



 

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