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プーの命日

2017-03-27 19:25:58 | Weblog
今日はプーの命日です。
愛犬プーは1984年2月26日に生まれ、1998年3月27日に13歳と9ヵ月の短い生涯を閉じました。

私がスペイン、ポルトガルの2週間の旅行に出かけるので、いつも預けている獣医さんと違う獣医さんに預けたのです。友人のたっての願いを聞いてしまったのです。開業したばかりで患者も少ないからと言われて。
こんな事で義理など立てることなかったのに!父親と二人でやっていました。プーはもう心臓が悪く薬を飲んでいましたのでそのこともよく言って、水も必ずあげてくださいと頼んででかけました。安心しきって!

帰国してすぐ連れに行ったら、何だか元気がありません。それに妙に体が臭いのです。兎に角抱っこしてタクシーで帰宅しました。其の足ですぐにいつもの獣医さんに連れて行くべきでした。翌日異状なので何時もの獣医さんに連れて行ったら、腎臓が悪くなっていたのです。水が足りなかったのです。入院してすぐは面会に行ったら飛び跳ねて喜びを表しましたが、段々行ってもあまり喜びを表さず、悪くなっているなと感じました。それでも1週間程生きていましたが、27日夕方面会に行った時もだるそうにしていました。そのとき女医さんがプーの口に錠剤を1錠投げ込みました。帰宅して30分したら電話がかかって来て、喉に薬が詰まって今人工呼吸しているとの事。慌てて駆けつけましたが、長い舌を引っ張り出されて口に管が入っていて、目をつむって静かに寝ていました。ああ!もう駄目だ!苦しいだけ可哀想だ!管を外してください!泣きながら頼みました。本当に本当に馬鹿なことをした私です。いつもの状態をよく知っている獣医さんに預ければもう2~3年は生きられたでしょう。悲しくて悲しくて何でいつもの先生に預けなかったかと悔やまれました。プーと散歩した道を夜1人で泣きながら歩きました。抱っこしたときの感触が忘れられず毎晩毎晩泣き暮らしました。
本当に本当に悲しかった!今も泣きながら書いています。

彼の死後友人たちから沢山慰めて頂き、綺麗なお花も頂きました。今も彼のお骨は私の寝室でピッピと一緒に眠っています。毎朝お水を取り替えてお祈りしています。お母さんもアニーと行くから待ってねと。

その時友人たちにお礼状を書いた手紙が残っています。読んでください。
そしてプーの写真も見てやってください!

       
          大好きだったプッチャンへ
 
  花々が散り又新緑の季節が巡って来ました。
 
 寒い冬を共に過ごし暖かい春の訪れを一緒に待っていたプーとこのような形で別れなければならない等 とは 夢にも思いませんでした。今でもふっとそばに居るのではないかと振り向いてもプーはいない。
プーと呼んでも喜んで走って来たあの姿はもうない。
開けて!とカリカリと引っ掻いたドアーの傷。
通り抜けするたびにプーの鼻で汚れたカーテンの裾。
コーミング用のブラシに付いたプーの毛。
一緒に菅平にスキーに行った思い出。
草津で源泉にアンヨとオテテを入れてびっくり慌てたときの様子。
お使いから帰って来ると大喜びで玄関に飛び出して来て、買って来たものを一つ一つ嗅ぎまわっていたこと。
夜、お父さんにお歯はを磨いてもらうと、階段をトントコ、トントコ登って来て、お母さんから内緒で大好物のほねっこを貰うのが何より楽しみだったプー!
何もかも今はもう全てが過去の思い出になってしまいお母さんは悲しくて、寂しくて毎日泣いています。
こんなに可愛くて、優しくて、おとなしく、いい子だったあなたの気持ちも考えずに自分の都合であなたの死を早めてしまった自分を許せません!
プッチャン!ごめんなさい!ごめんなさい!本当にごめんなさい!ごめんなさい!
いつかプッチャンと会える日が来るまで待っていてください!
一緒に過ごした13年9ヵ月。
悲しいときも楽しいときも、いつもそばに居て共に喜び、慰めてもらった事を忘れません。
  プッチャン!たくさん、たくさんの幸せな思い出を有難う!
 心からご冥福をお祈り致します。安らかにお眠りください。

   1998年4月30日    プーのお母さん




















 

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