簾 満月「バスの助手席」

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山田方谷(JR乗り潰し・伯備線)

2016-10-28 | Weblog


 今から210年余前、方谷駅の有るこの村の貧しい農家で一人の男子が生
まれた。幼名は球、通称を安五郎と言う。



 幼いころから神童と呼ばれ、5歳になると親元を離れ新見藩の儒学塾で学
ぶようになる。
20歳になり士分に取り立てられ藩主から奨学金を賜り、それを機に京都や
江戸に出て朱子学や陽明学を学び、30歳を過ぎた頃には藩校有終館の学
頭になる。
その後45歳の時に藩主から、今で言う財政責任者に取り立てられ、藩財政
の立て直しを任されることとなった。



 当時藩には大阪などの商人から、合わせて10万両の借金が有った。
立て直しを任された方谷は、当然その返済のため節約を強く求めた。
と同時に、文武を奨励し、産業の振興にも努め、新たに鉱山を開発し、この
地からとれる砂鉄などを原料に農具(備中鍬)や釘を作った。



 山には杉、竹、漆を植え、畑ではお茶や葉タバコを栽培、さらに藩民の屋
敷などでは柚や柿を植えさせ、そこから得られる産物は高梁川を高瀬舟で
下り、玉島から藩船に積み替え、直接江戸などに運び売り捌いた。
結果約7年で借金を完済、逆に10万両を蓄えるまでに立て直した。



 今日これらの藩政改革は、かの上杉鷹山をも凌ぐと評価されている。
その人こそ、幕末期から明治維新にかけて活躍した政治家・漢学者・陽明
学者の「山田方谷」である。
方谷は農民の出でありながら藩政にも関わり、後には明治新政府からも再
三出仕を要請されるほどであったが一民間教育者として天寿を全うする道
を選んだと言う。



 ちなみに今日この付近では柚餅子や柚菓子は、代表的なお土産としても
てはやされている。(続)
(写真:本文とは無関係 備中高梁市内各所)

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