ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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新しい仲間と

2011-03-31 | 育児
 いよいよ新学期が始まります。そして、新しい出会いが待っています。不安と期待が入り交じったこの時期だからこそ、自分をうまくアピールできるといいなあといつも思います。
 最初の印象がとても大事だとよく言われます。

 アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが提示した『メラビアンの法則』があります。
 
人間の第一印象は、
 
● 視覚的な情報(話し手の見た目):55%
 
● 聴覚的な情報(話のテンポ、リズム、大きさ):38%
 
● 言語情報(話の内容):7%

 だそうです。

 子どもへの印象だけでなく、新しく関わりをもつ同僚でも同じです。

初めの印象が後々に大きな影響を与えます。

 ここで心がけておきたいことは、人とどのようにつながりたいのかという人間関係づくりにたいする構えです。

 警戒して心を閉じていると、相手はそれを察知して、相手も心を閉じます。まずは、心を開くことから始めます。

 心が開いた状態というのは、何でも受け入れるという状態です。
相手を認め、相手を尊重することが、受け入れやすい状態になります。
これが姿として現れるのは、顔の表情になります。心を開いて、鏡を見て受け入れていますよという顔を探してみます。
 怒った顔では、受け入れてもらえません。すました顔も警戒されます。一番は、やっぱり笑顔でしょう。笑顔でいるときの顔は相手から受け入れられやすいと思いませんか?
 でも、ただ笑顔でいるだけでは不十分です。
笑顔でいる時に、何を思っているかということです。
作り笑顔は敏感な人ならば、すぐにわかります。逆に疑いの目で見られます。
 「あなたは価値ある存在です。独特ですばらしい。」と心の中でつぶやいてみます。
 目の前にいる相手がどんな存在なのかいろいろ想像してみます。
どんな人とつながっているのだろう。つながりのある人にとって大切な存在にちがいない。また、様々な人に影響を与えてきた存在だろう。そして、これから出会う多くの人に影響を与える存在だろう。などと関わりを感じながら、想像してみます。
 すると目の前にいる相手が次第に大切な存在に見えてきます。その相手とこれから関わりをもつ私も大切な関わりに見えてきます。
 そして、できれば、素敵な出会いにしたいと思う自分が強くなってきます。 

 視覚的な情報は55%の影響を与えるのですから、この笑顔は大きな力となります。
 場に合った身なりでいることも大事になります。場の雰囲気を壊すと違和感を感じさせてしまいます。

 次に聴覚的な情報です。話のテンポ、リズム、大きさなどは、相手との関わりを大事にしたいという思いがあれば、自分を主張することではないはずです。
 相手の呼吸を感じ、相手の雰囲気に合わせる努力をします。ゆっくりと話したり、声の大きさに気を配ったりしながら、相手の表情をみます。受け入れてもらいやすい状態にあるかどうか常にチェックしながら、話を進めます。
 
 そして、最後に話の内容です。
相手とできる限り近い存在になろうとすれば、何に興味があるのか、どこに焦点を当てたらよいのかを探りながら話を進めていくことになります。訊くことが増えてくるかもしれません。また、自分の事を話しながら、合う内容を探すかもしれません。

 うまくやろうと思うのではなく、相手を大事にしようという思いが必ず姿になって現れてきます。

 私たちは、言葉だけでなく、相手から印象として感じるものを受け止めています。この感じるものに焦点が当たるように意識しながら、関わりを作ることが効果を上げることになります。

 新しい仲間といよいよ子どもを育てることになります。この仲間と一緒に子育てができることの喜びをかみしめながら、出会いのための準備をしたいと思います。

必要とされている

2011-03-28 | 育児
  人から頼られているとき、何となく自分を誇らしく思ったり、責任感を感じたり、優越感をもったりすることがあります。何となく嬉しく感じます。
嫌な気分になることは、少ないと思います。
 これは、脳の働きによるものです。私たちの欲求を満足させてくれます。

・頼る対象となるということは、相手に自分との仲間意識がある。
・頼られる存在として存在そのものを認めてもらっている。
・頼る頼られる関係そのものが温かい人間関係になる。
・頼る頼られるという関係が成り立っているため、孤独を感じることはない。
・期待に応えると頼った相手から承認される。
つまり、頼るという行為が、私たちの社会的欲求や自尊欲求を満足させてくれることになります。

 これは、子どもでも同じです。
小さな子どもは、お手伝いが好きです。
母親のために、先生のために何かをしようとする姿をよく見かけるのは、そのためです。
 
 「子どもには、まだ力が十分備わっていないから、子どもには頼らない。」などと決めつけていると、子どもは、社会的欲求や自尊欲求を満たすことはできません。

 できるかどうかは、別です。まず頼ってみることで社会的欲求が満たされます。その後にくる自尊欲求は、行動をどれ程認めるかということになるだけです。
 子どもなりに精一杯取り組めば、求める成果が十分でなくても、認めることは、できます。
 それは、大人と違って経験が少ないため、失敗する確率は高いことは、十分承知できるからです。ここが私たち大人との扱われ方の違いになります。
 これを大人と同じように扱うと子どもは常に高いレベルを求められているという思いになり、自尊欲求が満足されずにいることになります。

 「できると信じているよ。」というのは、酷かもしれません。これは、できることが認める前提となっています。つまり、承認するのは、できた後になります。できなければ、承認してもらえないばかりか、社会的欲求も満たされません。これでは、挑戦することにかなり抵抗を感じることになります。

 できることと頼ることは別にしなければなりません。

 頼るよりも自分でやった方がいいと考えこともたくさんあります。しかし、子どもを育てるためには、子ども自身が自分を必要としてくれている人がそばにいることが重要になります。
 「頼りになるあなたがいてくれて嬉しいよ。」という気持ちをいつも子どもに発信していることが子どもの自尊感情をくすぐることになります。

 まずは、必要とされている自分を子どもが感じることです。子どものもっている能力とは切り離して考えたいのです。その方が子どもは活躍しやすくなります。

最後に伝えたいことは?

2011-03-24 | 育児
 子どもたちとの別れが近づいてきたと感じる今、最後に伝えたいことは何でしょう。

 今まで子どもたちと一緒に生活をし、様々な場面で様々なことを伝えてきたはずです。そして、子どもたちを育ててきました。
 思いが十分に伝わったと感じる子どももいれば、なかなか思いが伝わらなかったと感じる子どももいると思います。伝わらなかったと思っても、成果が今現れなかっただけで、後になって成果が現れることもあります。ですから、悲観することはありません。ただ、気づいていないだけです。記憶として必ず残っています。

 もうこれが最後だと思った時、感情が動き出します。
この感情が現れた時に、ふと浮かんでくる言葉があります。

これは、無意識が伝えたいと思っている言葉です。
意識しているときには、あまり気にならなかったことかもしれません。
逆に、意識していたことと同じになるかもしれません。

 自分を活かしてほしい。
 仲間を大切にしてほしい。
 勇気をもって挑戦してほしい。
 もっと自分を大切にしてほしい。
 仲間と仲良く暮らしてほしい。
 いつも感謝をもって生活してほしい。
 知恵を使って道を切り開いてほしい。
 
 短い言葉ですが、本当に伝えたいことが浮かんでくるはずです。

 子どもを愛し続ける教師だからこそ、自分の人生を通して大切にしていることは、子どもにも大切にしてほしいと思うものです。
 
 何がよくて何がいけないというものではありません。今、子どもたちの前に立っているあなたなのです。教師として子どもの前に立っているのです。


 子どもたちは、出会う様々な教師から様々なことを学びます。あなただけがすべてではありません。出会う教師の一人に過ぎません。だから気負うことではありません。
 
 精一杯関わりをもっているあなただからこそ、子どもの心に伝わるものがあるのです。全身全霊を込めて伝えようとすることは、必ず伝わります。

 ただし、本物か偽物か、今大切か否かは子どもが判断します。

 力みすぎると子どもは引いてしまいます。感情が理屈に追いやられてしまいます。心から伝えたいことを誠実に誠意をもって伝えます。どんな不器用な伝え方であってもいいのです。子どもは感じるはずです。

 教師だからこそ、子どもの目の前に立って話ができるのです。その機会が与えられるのは、教師だからなのです。この幸せをかみしめながら、ふと心に浮かぶ言葉を待ちます。

 一人の人間として、最後に伝えたいことは何だろうと自分に問いかけてみるのです。

別れ

2011-03-22 | 育児
 いよいよ学期末となりました。慣れた学級、慣れた友達と別れる時期になりました。
 別れを辛いと感じる子は多いと思います。しかし、私たちはいつまでもその場に立ち止まっている訳にはいきません。
 時間はどんどん流れていきます。その時間の経過とともに別れは、過去の記憶になっていきます。
 その時の感情の動きに合わせて対応することも大切ですが、「別れ」について語れる教師でいたいと思います。

 人生において、別れは必ずあります。
ただし、突然の別れではありません。学期末の別れは、あらかじめ予定されている別れです。ですから、別れるための準備もできます。そして、冷静に別れを見つめることもできます。
 出会った仲間から学んだことがあるはずです。
 出会った仲間と楽しい時間を過ごした経験があるはずです。
 出会った仲間に刺激を受けて、変化したことがあるはずです。
 出会った仲間のためにしたことがあるはずです。
つまり、出会いを通して自分自身の成長を振り返る機会になります。
そして、その仲間に対して、どんな思いをもっているのか確認することができます。
 そして、別れる今、何ができるのかを考える機会を作ることができます。

 別れは、一つの区切りになります。

別れを受け入れなければ、新しい出会いはありません。つまり、大事な人を失うという思いで、いつまでもいると新しい仲間を受け入れることができないということです。
 
 区切りをつけるから新たな出発ができます。

 この別れを大事に扱うことは、その人との関わりを大切にすることになります。それは、感謝という形となって現れることが多いのではないでしょうか。自らの力で成長したと思っている子どもはたくさんいます。そんな子どもたちに仲間の影響の大きさをとらえさせることで様々な気づきが生まれます。それがなければ、感謝の気持ちは生まれません。
 決して一人の力で成長してきたわけではありません。必ず関わりの中で成長してきた自分がいます。
・強引な自分を受け入れてくれたから、思い通りにできたのかもしれません。
・困った時に手をさしのべてくれたから、立ち上がれたのかもしれません。
・仲間の応援があったから、乗り越えられたのかもしれません。
・仲間を支える経験が思いやりの気持ちが育ったのかもしれません。
・仲間がいたから、耐えることができ、根気強さが身についたのかもしれません。
 具体的な場面を思い出しながら、人との関わりを振り返らせたいものです。

これが、次のような気づきにつながります。
・生かしてもらった自分に気づく
・自らの成長に欠かせない人がいたことに気づく
・一緒にいることの幸せに気づく
 
 これは、別れるまでに時間が保証されている別れだからできることです。

震災で突然の別れがやってきた人々の気持ちを考えると、辛くなります。

 教師として、準備ができるこの学期の別れを大事に扱うことがどれほど重要なことなのか再度見つめ直す機会にもなりました。

 儀式をこなすことではありません。その過程で関わりのあった人々への感謝の気持ちが高まっていくような支援に心がけたいと思います。

働くことが好き

2011-03-18 | 育児
 4才になる孫を見ているとびっくりするほど、遊びを作る名人だと思います。身近にあるものを何でも遊びの道具にしてしまいます。
 子どもには、生まれながらにして豊かな創造力があるのかもしれないと思うほどです。
 いろいろなことに興味をもち、真似をし、大人と同じようにしたがります。
この動きは生きるための知恵を学ぶ機会にもなっているのだろうと思います。

 掃除機を使っていると、「僕もやりたい。」とせがみます。掃除機を渡すと一生懸命に掃除をします。
 ただ子どもにとっては、掃除ではないかもしれません。掃除機を動かすことに興味をもっただけかもしれません。
 しかし、この動きが掃除をすることへの興味づけになることは確かです。

 もし、時間に追われているとすると子どもが「やりたい。」と言ってきたとしても「忙しいからだめ。」「面倒だからだめ。」「邪魔になるからあちらに行って。」「あちらで遊んでいなさい。」などと言ったとすると、子どもは、掃除をする機会を奪われてしまうことになります。

 このように考えてみると、子育ては、特別なことをすることではないように思えてなりません。

 日頃していることに子どもを参加させることから始めるのかもしれません。

 初めからうまくできるわけはありません。でも、
「上手にできたね。」
「きれいになったね。」
「おかげで助かったわ。」
などと、したことに意味をつけ、感謝し、褒めることで、子どもは自分のしたことにより興味をもつようになります。

 これを様々な場面に利用するのです。
時間はかかりますが、これを続けると、働くことの好きな子になるのではないかと思いました。

 子育て真っ最中の時には、こんなことを考えるゆとりはありませんでした。孫だから言えるのかもしれません。

 昔は、三世代が同居していた家族が多かったと思います。そして、様々な立場で見ている人が子どものそばにいたことが子育てには大きな影響を及ぼしたのではないかと思いました。

人のために

2011-03-16 | 育児
 震災復興のために何かできることがないかと子どもたちに提案しても、反応は様々です。
 積極的に支援しようとする子どももいれば、絶対にしないという子どももいます。

 この違いは何でしょう。

 脳は、自らの安心・安全のために働きます。
人のためにすることが自らの安全・安心につながることならば、積極的に働きます。逆に自らの安全・安心が脅かされることならば、消極的になります。
<安心・安全につながること>
・褒められる
・優越感を味わえる
・仲間と同じだという安心感が得られる
・人の役に立つことの喜びを味わえる
・辛い気持ちが和らぐ
<安心・安全が脅かされること>
・損をする感じがある
・時間を費やすことが惜しいと感じる
・自分のしたいことができなくなる不安がある
・考えが合わないと感じる

 いずれにしても「人のために行動した体験」や「困っている人を助けた体験」がベースになります。その体験がなければ、人の役に立つことの喜び等は味わうことはできません。

 今回の取り組みは、1つの体験になります。今まで体験したことがない子どもが今回の取り組みで初めて体験する機会になるとしたら、教師として大きな役割を果たすことになります。

 例えば、募金に協力した時に初めて体験する子どもたちだとしたら、どんな働きかけができるのでしょう。
「募金をしてくれてありがとう。」と募金の行動への感謝で終わってしまってはもったいないと思います。

 募金をするとすぐに被災者の方の生活が変わるとか、返事がすぐに返ってくるとか、すぐに結果が見えるわけではありません。その結果が見えないから意味がないというとらえ方をしている子どもだとしたら、自らの安心・安全にはつながりません。

 ここには意味づけが必要になります。そして、募金に取り組む素晴らしさに気づかせる必要があります。

 つまり、募金活動に関わる取り組みの中に子どもの素晴らしさをできる限り多く見つけて、賞賛することになります。

・募金は、困っている人のために役に立つ素晴らしい行為なのだ。
・被災者の事を考えることができたことは素晴らしい。
・やりくりして取り組んだその過程で知恵を使ったことが素晴らしい。
・募金をするまでの過程で、多くの学びができたことが素晴らしい。
・このような意味ある募金ができるあなたは素晴らしい。
・仲間と協力し合うあなたは素晴らしい。

 募金をする子どもの中にも「みんながするから」という子どもも必ずいます。その子にとって募金は、人のために役立つ自分にする機会になるとは限りません。

 人のために役立ったという実感をいかに味わわせるかが教師の腕の見せ所になります。

何ができるのか

2011-03-14 | 育児
1000年に一度の大地震でしたが、私は、全く揺れを感じることがありませんでした。
 その後、テレビ等の情報から多くの人たちが犠牲になったことを知り、自然の力の大きさを改めて感じる機会になりました。
 
 情報が十分ではないのでよくわかりませんが、弱い立場にいる子どもたちもきっと犠牲になっているのではないかと思います。とても辛い気持ちになります。

 また、学校が被害に遭ったり、避難所となっている学校もあったりして、通常に生活できる状態ではありません。
 生きている子どもたちもこれから大きな被害を受けることになります。大変な日々を過ごさなければなりません。それを考えると心が痛みます。

 直接地震の被害を受けていない私たちができることは何でしょう。

 輪番停電も始まりました。これは、国全体で支え合う姿勢が今求められているのだとと思います。自分の利益だけを考えているとなかなかこれもうまく機能しません。お互いに譲り合いながら少しでも手助けできることをしようという動きが支える事につながります。

 何かしなければ・・・・・。

目を集める

2011-03-11 | 育児
 多くの学校では、チャイムが鳴って、活動の区切りをつけています。その区切りは、強制的です。
 時間通りに動くということは、なかなか難しいものです。

これは、無意識の働きが大きな影響を与えています。
 特に好きな活動をしているときは、難しいと思います。
 それは、今続けている活動が、心地よく、脳にとって、安心・安全な状態であり、次の活動に移ることは、状態を変えることになるからです。
 仮に今の活動以上に安心・安全が保証される活動ならば、切り替えは早く行われます。そうでなければ、今の状態を続けたいと言うことになります。
 
 そのため、ここで必要となるのが、遊びです。

 今の活動をまとめたり、次の活動への興味付けをしたりする時間が次の活動への時間への遊びになります。

 ですから、活動の始まりや活動の終わりは、とても重要になります。
チャイムがなったから当然活動が始まりますが、気持ちの上では、まだ活動を始める気持ちになっていないかもしれません。

 これを無視して活動を始めても、その気になるまでに時間がかかる子は、活動から取り残されてしまいます。
 
 この遊びの時間をうまく利用できるかどうかは教師の力量の差となって現れます。

 まずは、子どもの気持ちに合わせることから始まります。

 そのためには、子どもを観察し、状況をつかむことになります。
 これから始まる活動への意識があるか、それとも始まる前の活動に執着しているかを見極めます。
 一番わかりやすいのが、目です。始まる前の活動に執着しているときは、目が動きます。これから始まる活動の合図は、多くの場合、教師から始まります。教師が何を話すか、気になるところです。それを聞こうとすれば、当然、教師に着目できることが重要になります。それができている時の目は、常に教師に集まっています。そして、聞きたいと目が訴えています。

 前の活動に執着している目をたくさん発見したら、活動を進めることはできません。

 こちらに目を集めるための活動が必要となります。

 興味関心のあるものをもってくる。
 そろえるための言葉かけをする。
 じっと揃うまで、待つ。
 目をつむって、始まる前の活動の意識を遮断する。

様々な取り組みが考えられます。

 できる限り効率よくすることが、次の活動への移行が早くなります。
また、取り組みを毎回変えるのではなく、習慣化するためには同じ取り組みをするとよいでしょう。

 これにより、揃わなければ始まらないという教師の思いが子どもに伝わっていきます。
 
 そろえば、活動がスムーズに進みます。

 3学期も終盤に入り、これまでの取り組みの繰り返しにより、活動の始まりや終わりは一つの形ができあがっていると思います。

 
 目が揃うまでの時間が、学級の凝縮度を測る目安になります。

 今の姿が、本当にこれでよいのかを見極める時期になっています。

 目一つにこだわるだけで、見事に変わってきます。次年度に向けて、目を集めるための取り組みを見直してみたいと思います。

本当に伝えたいこと

2011-03-09 | 育児
 私たちが口にする言葉は、本当に伝えたいことは違うということを意識して生活しているでしょうか?

 言葉だけに頼るとトラブルの原因にもなります。

・言葉に出した分は、伝えたいことのほんの一部になっていた。
・言葉とは裏腹の気持ちを本当は伝えたいことだった。
・表現した言葉が的確ではなく、誤解されていた。

例1
 単語で話を進めていることが多く、その先はあうんの呼吸で進めていることがあります。「わかってもらっているだろう。」という思いこみがここにはある。

例2
 気を引くために、わざと「嫌いだ」と言うことがあります。この「嫌い」という言葉に反応してしまうと最悪の事態を招きます。

例3
 伝えたい言葉がない時に、それに近い言葉を選んで伝えます。しかし、受け取った方は、その近い言葉から連想することしか浮かびません。それが誤解となって現れることがあります。

 豊かな表現力というのは、言葉の豊かさだけを言っているのではありません。言葉以外にも相手から伝わってくるものがあります。

 ここで参考にできるのが、メラビアンの法則です。
初対面で、直接顔をあわせるコミュニケーションにおいて、印象を決める要素を分析した結果、次のようなことがわかりました。

 言葉・・・・・・・・・・・・7%
 声のトーン・・・・・・・・38%
 ボディランゲージ・・・・・55%

 これを参考にすると、体全体から伝わってくる何とも言葉に表すことのできない雰囲気があるということです。

 母親は、幼い子どもが、「お母さん、嫌い。」と言ってもまともに相手はしません。それは、伝えたいことを体で感じているからです。

 本当に伝えたいことは、体で感じることの方が当たっていることが多いと
思います。
 うまい話に引っかかってしまう人がいます。どことなく怪しいと感じる力があれば、まずは疑ってみます。これが人間がもっている本来の姿だと思います。

 直接話をせず、言葉だけで話題が進むような場面が、広がっています。そのため、鈍感になりつつあるのが私たち人間なのではないでしょうか。

 ブログは、言葉で表現されていることが多いです。
 電話は、言葉に加えて、声のトーンが大きな影響を与えます。
しかし、ボディランゲージはありません。

 本当に相手が何を伝えたいのかを知るには、やはり対面するのが一番です。言葉に左右され、鈍感になっている私たちです。

 子どもから目を離さないということは、体全体で伝えようとしていることを的確につかむためにとても大事になります。
 
 「言葉にしないと伝わらないよ。」と簡単に言ってしまうことがあります。しかし、言葉にしないところでも伝わるものがあります。そのことをわかっている上で、よりわかりやすくするためにうまく言葉を使ういう思いがなければ、ただの言葉遊びになっています。
 
 
 「あなたの伝えたいことは、よくわかるよ。それをどんな言葉を使うとよりうまく相手に伝わるのだろうか、一緒に考えよう。」というスタンスがあるといいのではないでしょうか。

 言葉にしなくても、「何となく、先生はわたしの事をわかっていてくれる。」という思いがあれば、子どもはついてきてくれます。
 言葉にしないとだめだとなると、言葉が壁になって、伝えることに臆病な子どもにしてしまいます。

 言葉を発しない赤ん坊を目の前にしていた頃は、泣き声を頼りに回りのものが一生懸命に赤ん坊の気持ちを探ろうとしていました。

 この探ろうとする構えは、いくつになっても変えてはならないことではないでしょうか。言葉に頼りすぎていて、子どもの心を見失っては大変です。

根底にあるもの

2011-03-07 | 育児
 私たちは、いろいろな場面で問題にぶつかり、そのための努力をしています。
 その問題は、誰が創り上げたものなのでしょう。問題だととらえたのは、自分です。その問題についても、自分が問題ではないと思えば、消えてしまうものです。大した問題ではないと思えば、軽く解決してしまいます。つまり、自分が、問題だと感じると問題になるということです。

 そして、いつもその問題解決のために自分のもてる力を精一杯出して、その問題と向き合います。
 問題にかける時間は様々で、早く解決できるものもあれば、時間を要するものもあります。

 問題を感じないで毎日を過ごす事ができたらどれ程楽に生活できるでしょう。
 中には、問題があるから成長があると考えている方もいらっしゃるでしょう。

 この事は、見方を変えることによって事が違って見えることを表しています。
 問題は学びのチャンスだととらえる人は、いつもそう思うのです。逆に危機だと思う人は、いつも危機だと思うのです。

 もし、目の前に現れた問題は、今の自分を変化させるためには、必要だから現れてきのだと考えることができたら、どうでしょう。

・この問題には、どんな意味があるのだろう。
・この問題が現れることでどんな変化が必要なのだろう。
・このこととどのように向き合ったらいいだろう。

 などと自分自身を見つめることになります。

 ここは、他人の問題ではありません。自分自身のあり方が問われているのです。
 他人のせいにした方が楽なことはたくさんあります。それをあえて自分の問題にするのです。

 その事で学びのチャンスが増えていきます。

 何かに気づくために現れた問題だと考えると見方が広がります。他の場面にも当てはめることができます。
 これが自分を変えるチャンスにもなります。正しいことなのか、それとも悪いことなのかという判断をせず、ただ、事が起こったという気持ちでその問題をとらえ、サクサクとどのような取り組みがあるのかを考えたり、問題の見方を変えてみたりすることで動き始めることができます。

 とにかく動かなければ、問題の解決はありません。時間をかけたり、悩みにエネルギーを使ったりすることは、無駄が多いと思います。

 動いてから考えることも十分できるのが私たち人間です。柔軟性を生かすことでどのようにでも事柄をとらえることができるます。

 自己肯定感が物事の根底にあれば、常に前向きにとらえることができます。

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2011-03-05 | 育児
 私たちの仕事は、子どもの将来を見据えての仕事になります。
 たとえば、激しい時代の変化に対応する逞しく生きる人をイメージしたとします。そのためには、どんな能力を身につけなければならないとか、どんな見方や考え方をしなければならないかとか、いろいろ考えます。
 そして、それを目の前の子どもと比べたときに、現実と理想のずれを感じます。
 ここで、私たちは、足りないものを埋めようとすることが多いのではないでしょうか。

そして、
・能力がないから、能力を付けさせよう
・行動ができないから、行動を身につけさせよう
・このことに気づいていないから、気づかせよう。
と考えて指導に当たることが多いと思います。

 これは、内にないから、外から入れるという考えになります。するとどうしても教師が一方的に教授する形になることが多くなります。

 しかし、ここで考えたいことは、子ども一人一人が本来もっている資質です。

 幼い子どもたちには、経験が少ないことは確かです。だからといって能力がないとは言い切れません。
 本来もっているけれど、それがまだ開花していないだけなのかもしれません。経験が少ないだけで、可能性を秘めているかもしれません。

 つまり、内にはないと考えるのではなく、内にはもともとあるはずだと考えることができるのです。


 子ども一人一人がもっている資質は人によって異なります。違う子どもの実態を一括に扱うことはできません。本当ならば、子ども一人一人の資質に合わせて指導しなければならないものです。 

 つまり、この子にとって、能力や行動を身につけさせるために現在もっている役立つリソース(素材)は何だろうと考えるのです。そして、そのリソースをうまく生かしながら能力に結びつけていくことを考えることになります。

 これが、先を読むことになります。

 その子の将来像(能力や行動を身につけた姿)を目標にして、今もっている役立つリソースを元に今後必要となるリソースと合わせて、能力や行動が身に付くまでの歩みを組み立てることができます。

・とにかく夢中になって取り組むことができる
・真面目で言われたことは最後までやりぬく。
・依存心が強く、言われたことは素直にする。
・好奇心が強く、何事にも挑戦しようとする。

 何が役立つリソースになるのか、それを探ります。そして、どんなリソースを加えたらよいのかを考えます。

・新しい視点をもつこと
・時間を十分かけること
・仲間の応援を加えること
・自信がもてる言葉かけをすること
・新たな教材に立ち向かわせること

 様々なリソースが教師側にあれば、これらをうまく組み立てて、能力に結びつけていくことができます。

 子どもに「こんなあなただから、必ずできるようになるはずだ。」と言えるのは、教師側にこの読みがあるからです。

 「何が何でも勉強しなさい。勉強しないのは、あなたのせいだ。」などと子どもの責任にするのは、教師側に十分な読みがないためだと言えます。

 どの子に対しても、「今のあなたにこれを加えれば、必ず治る」と処方箋を用意している名医と同様に、教師にも「今のあなたにこれを加えれば、必ず力が身に付く。」と言えるリソースを用意しているのが、名教師だと思います。
 私たちの日々の努力は、そのためのものです。

 基礎基本の徹底と言われますが、決して子どもに教授することではありません。子どものよさや可能性を教師がつかみ、それを生かしながら、子どもの力になるように組み立てる教師の力量が求められています。

 名教師になるためには、まず子どもが今もっているリソース(素材)をきちんとつかむ教師でなければなりません。

 年度末の今、「本当にこの子のよさは何だろう。」、「次の学年でも生きて働く力となっていくこの子のもっているリソース(素材)は何だろう。」と問いかけてみたいと思います。

 そして、通知表の中に、それを落とさず、子どもや保護者に所見等で伝える教師でいたいと思います。

冷静な判断

2011-03-03 | 教育
 子どものトラブルに巻き込まれてしまう保護者はたくさんいます。冷静に判断できればよいのですが、なかなかそれができず、つい熱くなってしまう姿を見ることがあります。
 悩んで苦しむ子どもの姿を見ていると冷静になれというのは、酷なことかもしれません。

 よく考えてみると、感情が生まれる時は、目の前に悩み苦しむ子どもがいる時と、悩み苦しむ子どもを想像している時です。
 読書に夢中になっていたり、仕事に夢中になっていたりするときには、そんな感情は生まれません。

 ここがポイントです。

 つまり、悩み苦しむ子どもの姿に反応しているということになります。目の前に子どもがいなければ、想像している子どもの姿に反応していることになります。
 目の前に子どもがいる時に感情を抑えるということはなかなか難しいものです。また、感情的になることの方が大事なこともあります。
 感情的になってしまうとどうしても視野が狭くなってしまいます。
 ですから、冷静に判断するためには、目の前に子どもがいる時ではなく、この想像している時間をうまく利用することが有効になります。

 つまり、想像している時間をうまく扱うことができれば、冷静に判断することができるということです。

 想像ですから、どのようにでも変化させることができます。また、立ち位置を変えることもできます。  

例えば、想像している子どもの位置を正面からサイドに移し、子どもの目の前に子どもに対応している自分を映し出し、第三者の立場から2人を眺めている位置に自分を置いて
・この子は、本当は私に何が言いたいのだろうか。
・この子は、私に話をしたいだけではないだろうか。
・今、子どもが悩み苦しんでいることは、本当に問題なのだろうか。
・今、子どもが悩むことで学ぶことはないのだろうか。
・この悩み苦しむ体験が生かされる場面はないだろうか。
・本当に大切な助言は何だろう。
などと問いかけてみます。
また、考え出した助言があれば、それを実行している子どもを想像しながら、
・本当にその対応が子どもにとってよい対応だろうか。
・他に与える影響はどの程度なのだろうか。
・本当にそれで、悩み苦しむ問題は解決できるだろうか。
・同じような問題が起きることはないだろうか。
・もし、解決できないとすれば、問題の本質は何だろう。
などと考えを巡らせてみます。

 感情が冷静な判断を狂わせることは、誰にでもあることです。思いこみが問題の本質を見失わせていることもあります。

 刺激されない状態に自分を置いたときに初めて、冷静に判断できます。

 そして、子どものためにうまく時間を使えることができ、子どもをより健全に育てることになります。

 私たち教師は目の前に子どもがいるときに感情をむき出しにして、全力で子どもとぶつかり合うことが多いと思います。しかし、その前にイメージトレーニングをしています。感情的にならず、冷静でいられる時間をうまく使って、意図的、計画的に子育てをしているのが私たち教師なのです。

 イメージトレーニングをしている時は、常に冷静な判断があります。子どもを取り巻く周囲への影響もじっくりと考え、広い視野から子どもを眺めている自分がいます。常に広い視野をもち、子どもの将来をも見据えながら子どもの教育に当たっているのが私たち教師です。

 保護者の感情的な思いも受け入れながら、常に冷静に判断できる私たちが保護者の強い味方になるはずです。

辛さを解消する

2011-03-01 | 育児
 早いもので、今年度も残すところ1ヶ月となりました。
時間感覚は、人によってことなります。ただ、楽しい時間は早く過ぎていき、辛い時間は長く感じるのは、誰もが感じるように思います。

 ということは、時間は感情に左右されるということがわかります。

 実際に何をしたのかということよりも、どんな気分でいるかによって時間の感覚が変わるということになります。
 
 早く時間が過ぎることが幸せなのかどうかはわかりません。

 ただ、辛いと思う時間は、多くの場合、少ない方が幸せなことは確かです。

 そして、ここで理解することは、辛いと決めたのは、自分だということです。

 同じ事でも、辛いと感じる人もいれば、あまり辛いと感じないという人もいます。(この程度ならば、何ともないという人もいます。)

 例えば、人から「大変ですね。」と言われた時に、「そうなんです。大変なんです。」と答える人がいますし、「いいえ、そんなことはありませんよ。」と答える人もいます。まさにここがポイントになります。

 自分にとってマイナスだと思うと辛くなります。しかし、その事が自分にとってプラスだと思えば、楽しむことができます。

 辛い気持ちをわかってもらいたいと思っているとつい愚痴になります。その場ではわかってもらえたという気持ちがあるので、解消された気分になります。

 しかし、根本的には、同じような刺激を受けても抵抗力がつかなければ、同じように辛い気持ちが沸いてきます。
 
 この抵抗力をもっている人が逞しい人だということになります。辛い感情が感情として表れても、切り替えが早いということになります。

 「この程度のことなら我慢しなさい。」と言われて我慢できればよいのですが、なかなかそんな訳にはいきません。感情が動いているので、なかなかそこは、変えられません。

こんな時、次の4つの解決方法があるように思います。
○焦点を別のものに当てること
 出来事から目をそらし、別のものを見ることで、一時的に辛さを緩和することができます。
 小さい子どもなどをあやすときに、より興味のあることに焦点を当てるのはこれになります。

○出来事の見方を変えること
 出来事をある角度から見ると辛いと感じるけれど、見方を変えると辛いことではないと見えることがあります。
 「ここから学べることは何もないのだろうか。」と問うてみて、何らかの学びが見えれば、辛さも緩和されます。

○自分自身の立ち位置を変えること
 辛い出来事の中にどっぷりとつかっている自分を眺める位置に自分を置いてみます。するとどっぷりとつかっている自分に対する感情が沸いてきたり、冷静に判断したりすることができます。
 これがなかなかできないという時は、実際に今立っている場所に辛さを感じている自分をおいたまま、少し離れたところに立ってみるのです。そして、辛さを感じている自分を観察します。これだけで、かなりの効果があります。

○辛さの本質を見極めること
 辛いと感じている自分自身を見つめることがこれに当たります。辛いと感じるのは、何故なのか、何が辛さを感じさせるのだろうと自分自身を見つめてみます。
 自尊心を傷つけられたくないと思っているのかもしれません。自分にとって不利なことになると感じているのかもしれません。エゴが顔を出しているのかもしれません。何らかの自分が自分を守るために辛さを感じさせていることに気づくことがこれに当たります。

 自分の事をわかっているようでわかっていないのが私たちです。無意識の中にあることはなかなか気づきません。これを表出させることで扱いやすくなってきます。

 辛さから逃げるのではなく、辛さを解消するために何ができるかを考えることから始めたいと思います。

 辛い感情がある時こそ、立ち止まってみます。じっくり味わってみながら、何が出てくるのかそこに焦点を当てて楽しんで見てみます。

 過去の辛い出来事が出てくるかもしれません。それが原因で辛いと感じているとすれば、過去と現在を区別することで解決できます。

 探る過程で別の感情が表れれば、辛い感情は緩和されます。

 辛さの本質を探ることができれば辛さが変質するので、辛さは解消されます。
 
 辛さも学びの対象になります。感情にどっぷりつかって学ぶことを忘れていると辛さはどんどん辛くなっていきます。

 今年度の仕上げの今を笑顔で過ごしたいものです。